くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「ケイコ 目を澄ませて」「泣いたり笑ったり」

「ケイコ 目を澄ませて」

良い映画でした。絵作りの才能があちこちに散りばめられている。決して大層な物語が展開するわけではないけれど、人物のいない静かなインサートカットのタイミングの使い方が抜群に上手い。まるで、木下恵介の名作を見ているような静かな感覚を味わってしまいました。岸井ゆきの、こういう良い作品に出ないといけません。監督は三宅唱

 

暗闇に縄跳びをする音が聞こえてきて映画は幕を開けます。机に向かう主人公ケイコの姿からタイトルと暗転して、夜の街灯、そこに群がる虫の影、一軒の場末のボクシングジム、稽古をする人たちの姿、ケイコがミットをうっている。彼女は両耳が聞こえない。しかし、プロ資格を取得し、試合にも勝っている。そんな場面から映画は幕を明けます。このオープニングにまず引き込まれます。

 

この日の試合も、善戦の末勝ち、ジムの会長、母親、同居している弟の祝福を受ける。インタビューを受けるものの、それほどな華やかさはない。母は、いつになったらボクシングをやめるのかと聞く。1945年、今の会長の父がこのジムを始めたらしい。ジムの会長はインタビューで、彼女には才能はないが直向きに真っ直ぐだという。なぜボクシングをするのかもわからないと答える。それでも会長は彼女を可愛がっているふうである。

 

病院の検診で、目や耳などの衰えを感じる会長、新しい選手も集まらない中経営は厳しい。ジムが閉まるという噂が流れ、会長も、胸の内を話し、間も無くジムは閉鎖すると選手達に告げる。ケイコもショックなのだが、言葉がないために表立って感情を描写することはない。かつて、ランニングの途中で会長に出会った事や、さりげない過去の想い出がフラッシュバックされる。

 

ケイコは、実はみんなに迷惑をかけているらしいからしばらくジムを休みたいと会長に話すつもりで手紙を書いていたが、渡そうとジムに行くと、会長が一人、ケイコの試合のビデオを見ていて渡せず、そのまま、会長と少し練習をしたりしてしまう。会長が次のジムを探してくれたが、ケイコは家から遠いと断るのだが、それが真意かは不明である。

 

そんな時、会長が倒れる。軽い脳梗塞で入院することになる。ケイコは、次の試合に出ることになる。試合当日、相手の反則などがあったとはいえ、ムキになってカウンターを食らったケイコはダウンして負けてしまう。その姿をビデオで見た会長は寂しそうに車椅子を動かし、向こうへ消えていく。このシーンがとっても良い。

 

一人ランニングの後河原で座っていると、先日の相手が近づいてきて、お礼を言われる。ケイコは複雑な思いでまたランニングを続けて物語は終わる。街並みを写しながらのエンドクレジット、全て終わって運河を左手から船が静かにインサートしてきて暗転、縄跳びの音が聞こえて映画は終わる。このラストが絶品の場面です。

 

ケイコを支える周辺に配置された役者達が実に良くて、特に目立たず、それでもしっかりと映画をリアリティのあるものにしていきます。スポーツものだからと余計な感動シーンなどはなく、主人公が耳が聞こえないからと、それを認めよというような押し付けがましさもない。淡々と進む主人公の日常がさりげなく胸に響いてきます。絵のリズムも素晴らしく、決して傑作とは言わないけれど相当素敵な秀作だった気がします。

 

「泣いたり笑ったり」

じじいのゲイカップルの話ということなので全く期待もしてなくて、見る気もなかったが、時間があったのでちょっと見てみた。これがなかなか良い映画でした。エピソードの配分が上手いし、音楽センスがいいのか、ダンスシーンも効果的に使われてるし、ラストは素直に感動してしまいました。典型的なイタリア映画ですがちょっとした作品でした。監督はシモーネ・ゴダノ。

 

保育所、赤ん坊を迎えにいくのが遅れるという電話を聞いている一人の保育士の場面と愚痴から暗転して、カルロの家族が、車の後ろにバナナボートを繋いで、友人トニの海辺の家に招待され向かっている場面から映画は始まる。車の中にはカルロの息子サンドロとその妻、息子、さらにカルロの幼い息子ディアゴも一緒だった。

 

出迎えたトニの家族、娘のペネロペは幼い頃から父トニに放っておかれていて寂しい思いをしていた。これが冒頭のシーンにオーバーラップする。トニにはもう一人、遊び回っていた時にできたオリヴィアという娘もいた。トニは妻とは別れたらしいが、カルロの妻は死別していた。カルロは妻に死なれて落ち込んでいる時にトニと出会い、立ち直れたらしく、そこに男であるとか女であるとか関係なく愛してしまったらしい。

 

二つの家族は賑やかに出会いを楽しんだが、程なく、トニが三週間後に結婚するのだという。しかも相手はカルロだというのでそれぞれの家族は仰天する。特に、漁師をしているカルロの息子サンドロらは子供達に悪影響だと大反対するが、トニの家族は自由主義で、それとなく受け入れた風を装う。それでも、ペネロペは受け入れがたかった。

 

ペネロペとサンドロは、この結婚をぶち壊そうと画策を始める。しかし、そんなドタバタの中で。仲の良かったはずにトニとカルロはお互いにギクシャクし始める。トニのパーティに呼ばれたカルロたち家族も独特の自由奔放さに呆れてしまう。昼食を共にする時、カルロが拗ねたように二つの家族から距離を置き、流れてきた曲でぎこちなく踊り始めると、なんとなくお互いの家族もダンスに加わり、いつか自然と和み始める。ところが、その夜、ペネロペはついサンドロにキスしてしまい、それをサンドロの妻に目撃され、大喧嘩となる。

 

錯乱したペネロペを介抱したのはカルロだった。そして一夜が明け、トニの家に戻ったカルロとペネロペだが、サンドロたちは帰ってしまったという。カルロもサンドロを追って帰り、サンドロと仲直りをする。ペネロペはトニに、幼い頃から寂しい思いをしてきたことを告白してトニの元を去るが、トニはペネロペの勤める保育所を訪ね、過去を謝る。

 

トニとペネロペはサンドロを訪ね、謝り、カルロに会いたいと申し出る。予定していた結婚式は明日に迫っていた。サンドロはゴムボートにトニとペネロペを乗せて、漁をしているカルロの船に連れていく。そして、トニとカルロは仲直りしキスをして物語は終わる。エンドクレジットに結婚式の場面が写し出されて映画は終わっていく。

 

イタリア映画らしい陽気で機関銃のようなセリフの応酬ですが、挿入される曲や歌が実に物語にマッチしているのとタイミングがいいので映画にリズムが生み出され、展開も心地良いのでラストも素直に受け入れてしまいます。傑作ではないまでも、予想以上に良い映画でした。

映画感想「I AM JAM ピザの惑星危機一髪!」「サポート・ザ・ガールズ」「伴奏者」

「I AM JAM ピザの惑星危機一髪!」

サイレント映画を令和に復活させるとして、活弁士大森くみこと組んで仕上げた珍品。とにかく全編お遊び映画ですが、こんな遊びがあってもいいんじゃないかなと思います。コミカルでやりたい放題の映像作りで、悪く言えば自己満足映画かもしれないけれど、こうやって楽しく映画も作れるよという映画愛もさりげなく見えてくるのは良い。監督は辻凪子。

 

ピザ屋でバイトをする主人公のジャム。その紹介からピザ屋のコミカルな風景が、サイレント映画であり、舞台劇であるようなノリで描かれていきます。この街に巨大台風が来て、ジャムは家ごと飛ばされて辿り着いたのはピザの惑星。宇宙を守る守護神ゴードンが風邪を引いたのが台風の原因らしく、しかも、このピザの惑星には笑いがない。王様は四つのピザを集めると笑いが蘇るとジャムにその使命を託す。

 

こうしてジャムは、ピザ屋のバイト仲間に似たいろんなメンバーと出会いながら、まるで「オズの魔法使」の如き展開で見事ピザを集め、ゴードンの風邪も治し、大好きなおじいちゃんにもピザを届けて、夢であったコメディエンヌになるというハッピーエンド。

 

たわいのない映画ですが、映画関係者がたくさん協力して仕上げたお気楽作品という楽しさがとっても心地よい一本でした。

 

「サポート・ザ・ガールズ」

シンプルでたわいのない映画なんですが、バイタリティに溢れているし、女性達がとってもかっこいい。セクハラや黒人差別などもさりげなくセリフの端々に出てきるのに見ていて清々しい。作劇のうまさとしか言いようのない、ちょっとした小品でした。見て良かった。監督はアンドリュー・ブジャルスキー

 

ハイウェイをバックに軽快な音楽とタイトルバックで映画は始まる。ハイウェイのそばに店を構えるスポーツバーのマネージャーリサは、従業員の女の子の失敗をカバーするのに必要なお金を集めようと勝手に募金を始める。今日は新人の女の子の面接もあり大忙し。事務所の2階で音がするというので見てもらったら、どうやらダクトに隠した金庫の金を狙ってコソ泥が入り抜け出せなくなったらしい。しかも、その犯人は厨房で働く男の従兄弟だった。

 

そんなこんなをリサは見事に処理しながら、店が運営されていく。この展開が実にテンポ良くて面白い。リサの同僚で黒人のダニエラは、店のナンバーツーでもありリサを慕っている。というより、何かにつけて世話をしたり、客を大事にするリサはみんなから慕われていた。募金のためにオーディオショップのオーナーにスピーカーを借りてきたり、洗車のサービスをしたり、それもこれもオーナーのカブが旅行中に勝手にしている。でもどれもが人のためというリサの姿勢が心地よいのです。

 

まもなくしてオーナーのカブが帰ってきて、コソ泥の件を報告しなかったリサをクビにする。そして、ダニエラを次のマネージャーに昇格させる。リサは夫ともうまくいっておらず、別居を考えて、夫の部屋を探そうとしているが夫はなかなか煮え切らない。リサが出て行った後、残ったメンバーは店のテレビが壊れているのをいいことに好き放題し、店が禁じている大騒ぎを始める。収拾がつかなくなりその日の営業は取りやめになる。

 

場面が変わり、リサは近くにできるライバル店の面接に来ていた。面接を終えて出てみると、ダニエラらもクビになったといってきていた。面接が終わり、リサやダニエラらは屋上で酒を飲んで思い切り叫んで鬱憤を晴らす。こうして映画は終わるが、タイトの後、リサの夫が「ただいま」と言っている声で映画は終わる。良いじゃないの。というエンディング。

 

リサが奔走するスポーツバーのほんの数日を描いただけで、舞台もスポーツバーからほとんどでない。そこで、セクハラ発言する客を追い返したり、白人の女の子が黒人選手の刺青を入れてクビになったり、トランスジェンダーの女性が男達に喧嘩を売ったりというさりげない今時の問題が取り込まれている。でもそれぞれが実に自然で、押し付けがましくないのがとっても清々しいのです。小品ですが、良い映画だった気がします。

 

「伴奏者」

これは名作でした。主要人物の背後にもちゃんと何を映すかが計算されている画面作り、一流の作家が作るとこうなるという典型的な素晴らしい絵作りです。しかも、淡々としたストーリーが非常にサスペンスフルで、どんどん物語に引き込まれていくし、しっかりした構図が落ち着いた知的な雰囲気を醸し出してきます。まさに傑作、良い映画を見ました。監督はクロード・ミレール

 

オペラの曲でしょうか、心地よいメロディを背景に列車から線路をとらえる映像が続きタイトル。1942年、パリは食料の不足から死亡者が急増しているというテロップの後一人の女性が豪華なホールにやってくる。彼女の名前はソフィ、この日、伴奏者として雇われる予定の歌手イレーヌの舞台の終盤を垣間見て魅了される。

 

イレーヌの楽屋に行き、自分の意見をしっかりと話すソフィのことが気に入って、イレーヌはソフィを専属の伴奏者として雇う。ソフィはピアノを教えている母と二人暮らしの貧しい生活だった。ソフィはイレーヌの部屋で空腹のため気を失ってしまい、イレーヌにその夜の晩餐会に誘われる。晩餐会は富裕層ばかりで、さりげなく背後にドイツ将校が映されたり、退屈そうにあくびをする楽団員の姿が挿入される。この場面演出が見事。ペットに食事を食べさせる老婦人の姿を傍に見ながら必死で食事をするソフィ。帰り際、パンをそっと鞄に忍ばせる。

 

イレーヌがやってきて、帰りの馬車代にと金をもらうが、ソフィはその金を残すために馬車に乗らず歩いて帰る。イレーヌと練習を始めて間も無く、ソフィはイレーヌに一通の手紙をポストに入れてほしいと頼まれる。たまたま家の近くだったので直接届けにいくが、出てきたのは若いジャックという好青年だった。ソフィはイレーヌがこの男性と関係があると直感で知ってしまう。

 

イレーヌの夫チャールズは、巧みにドイツに取り入って商売を広げていたが、その真実はドイツを憎んでいた。イレーヌとソフィはお互いに信頼し合い、次々とステージを成功させていく。やがて戦火は厳しくなり、イレーヌはヴィシーでの公演にチャールズとソフィの三人で向かう。しかし、ジャックに会えないイレーヌの寂しさをソフィは感じ取る。

 

フランスでの生活に危険を感じ始めたチャールズは、ロンドンへ向かう決心をし、フランスを縦断しポルトガルの港までやってくる。そしてイギリスへ渡る船の港で、ソフィはブノワという青年と知り合い恋に落ちる。しかし、将来の現実を見なさいとイレーヌに言われ、ブノワにプロポーズされていたにも関わらずソフィはロンドンの港でブノワと別れる。

 

ロンドンでは一時はスパイ容疑でイレーヌとチャールズは逮捕されかかるが、イレーヌがジャックに連絡を取り、イレーヌ達は釈放される。イレーヌはBBCのオーディションをきっかけに人気が出て、あちこちのステージに出るようになる。当然ソフィも伴奏者として随伴するが、ある時、ソフィはジャックからイレーヌ宛のメモを渡される。ジャックもロンドンにやってきたのだ。

 

それから、イレーヌは頻繁にジャックと会うようになる。たまたま、チャールズの机にピストルのあるのを見つけたソフィは、チャールズがイレーヌの行動に不審を抱いているのではないかと不安になり始める。ソフィはイレーヌがチャールズと密会しているのを尾行するようになるが、ある時、仕事で出かけるといったチャールズが、イレーヌが密会している店の前に立つ姿を見つけてしまう。

 

慌てて、ソフィは自宅に戻りチャールズの引き出しを開けるがピストルがなかった。先に帰ったチャールズにソフィは問い詰められる。その場を取り繕ったソフィだが、直後、銃声が聞こえる。チャールズが自殺したのだ。葬儀を終えたソフィは、母から体調が悪いと連絡を受けて一人パリに帰る。一方、イレーヌはおそらくこのままジャックと一緒になるのだろうと想像された。

 

パリに着いたソフィは、ブノワと再会する。すでにフランスが勝ち戦争が終わっていた。ソフィはかつての思いをブノワに向けようとするが、ブノワの傍らにはペギーという妻がいた。また会おうと去っていくブノワを見送るソフィのシーンで映画は終わっていく。

 

まさに名作ですね。一人ぼっちから始まるソフィの物語は、また一人になって終わっていく。背後に流れるオペラの曲の数々がシーンごとにオーバーラップしていく演出も素晴らしいし、フィックスでとらえるカメラが時に大胆な構図に変わるリズム感も見事。ドキドキするほど先が気になるストーリーテリングも素晴らしく、登場人物それぞれの個性も際立って映画を引き立てます。これこそ名作です。良かった。

映画感想「アバター ウェイ・オブ・ウォーター」(IMAX HFR 3D)「クライング・ゲーム」(デジタルリマスター版)

アバター ウェイ・オブ・ウォーター」

監督のジェームズ・キャメロンが、通常の倍のビットレートHFRで描いた大ヒット映画の続編。正直、映像アトラクションという感じの作品で、観客のことを考えずに描く192分は正直ちょっと長い。しかもその長さの中に詰め込まれるドラマはほとんどなくて、脚本はシンプルそのもの。ただHFRの謳い文句通り3Dにも関わらずほとんど目が疲れないし、圧倒的な映像に陶酔感さえ覚えてしまいます。革新的な映像技術を見せつけたという意味で、海洋シーンが好きな監督の自己満足だったのではないかとさえ思ってしまいます。クライマックスは「タイタニック」だし、中盤にいかにも捕鯨非難するような映像もちょっと鼻につきました。とはいっても、ここまでの映像作品を現実にしたジェームズ・キャメロン監督の才能には拍手したいと思います。

 

パンドラで日々を送る元海兵隊のジェイクと愛する妻ネイティリ。二人の間には子供達も生まれ平和に暮らしている。しかし、執拗にジェイクを倒そうとするスカイ・ピープル=人類のクオリッチ大佐は、リコン計画の元でナヴィと人類の混血の姿リコビナントとなって意識をバックアップし、ジェイク達を求めてパンドラにやってくる。身の危険を感じたジェイクらは、森を捨てて海の民族のもとに身を隠そうとする。

 

海の民のもとで、ジェイクの子供達も人間的に成長していくが、クオリッチ大佐らは、とうとうジェイク達を発見、海の民を交えての人類とジェイク達の壮絶な戦いが幕を開ける。登場人物それぞれの関係の中でのドラマは描かれるが、あまりに映像が美しすぎて、そこに視線が注がれてしまう。全く途切れることなく次々とため息の出るような映像が氾濫、ジェイクの子供達らの苦悩や父と子の確執、人間とナヴィとの混血であることの悩みなどところどころに描かれるものの、全体の尺が長すぎて希薄になってしまった感じです。

 

ナヴィになるべくジェイクらと行動を共にしていたスパイダーは、実はクオリッチ大佐の息子であったり、スパイダーの母を殺した矢はネイティリの放ったものらしい等の描写も散りばめられ、さらに続編を予想させる展開もある。人類は、死にゆく地球を離れてパンドラへの移住を急いでいるという背景も描かれていく。巨大な鯨状の生き物タルカンを捕獲して、老化防止のエキスアムリタを手に入れようとする人物も登場、いかにも環境問題を見せていますという後半の出だしあたりは、この作品のテーマかもしれませんがちょっと鼻につきます。

 

ジェイクはクオリッチ大佐との戦いに勝つものの、巨大な捕鯨船の下敷きになり、海に沈んでいく。それを助けに息子が駆けつけ、一方、ネイティリも娘と一緒に逃げているが、捕鯨船の中で瀕死の状態になる。あわやというところで助けに来たのは海洋生物エイワと会話ができる不思議な娘キリだった。こうしてジェイク達もネイティリ達も助かるが戦闘の中で長男ネティヤムは命を落としてしまう。

 

スパイダーは、一時は海の底に沈んだ父クオリッチ大佐を助け出す。ジェイクらは海の民に受け入れられる。こうしてジェイクらの家族、スパイダーの親子の物語は一旦幕を下ろす。

 

とにかく、映像が凄すぎて圧倒され、背後に忍ばせている環境問題や家族の絆の物語は、若干隠れてしまった気がしないではない。もう少しストーリー部分を研ぎ澄ませば傑作になりそうな一本ですが、全五部作らしいので、これからの展開を見てからということになりそうです。でも、素晴らしい映像作品でした。

 

クライング・ゲーム

これはいい映画でした。傑作とかいうのではなく、とっても映画らしい洒落た秀作。ゲイを扱ったラブストーリーなのですがどこかとっても純粋な愛を感じさせてくれるから良い。こういう映画はやはりイギリスですね。見て良かった。監督はニール・ジョーダン

 

橋の下から遠くに遊園地を臨む画面、心地よい音楽とタイトルが被って映画が始まります。カメラがその遊園地に入っていくと一人の黒人ジョディが女の子の手を繋いであちこち連れ回している。ジョディがその女の子といちゃついて倒れ込んだところへ、さっきから周りを彷徨いていた男達が襲いかかり、ジョディは拉致される。実は男達はIRAの組織の人間で、逮捕された仲間を救出するために軍人のジョディを拉致し、交換の交渉をしようとした。連れ回していた女もジュードというIRAのメンバーだった。

 

顔に布を被せられ、森の中の小屋に拉致されたジョディをファーガスという男がみはることになる。しかし、もともと心が優しいファーガスは次第にジョディと心が通じ始め、布を外してやったりするが、甘い態度を取るファーガスにリーダーのピーターやジュードは厳しかった。いずれ殺されると判断したジョディは、ファーガスに自分の財布の中の写真を見せる。そこには一人の女性ディルがジョディと映っていた。もし自分が殺されたらロンドンのミリー美容室にいるディルに会いに行き、愛していたと告げてほしいという。

 

交渉が進まない中、ピーターはジョディの処刑を明日の朝と決めてファーガスにその執行を指示する。翌朝、ファーガスはジョディに銃口を向けるが撃てない、ファーガスは逃してくれと言い走り出す。後を追うファーガスだが後ろから撃つことができないまま追いかけていくが、ファーガスは道路に飛び出し、彼を救出に来た軍のトラックに撥ねられて死んでしまう。ファーガスはその場を逃げ、しばらくしてロンドンで仕事に就く。そして、ジョディが話していたミリー美容室に行きデイルと会う。

 

美容師の傍、メトロというバーで歌手をしたりして生活するディルには付き纏う男がいた。ファーガスはジミーと名乗ってデイルと親しくなり、付き纏っている男を追い払ってやる。デイルの部屋にはジョディの写真が沢山あった。二人は次第に惹かれ始め、とうとう、ディルに部屋に行ったファーガスは、抱き合うためにデイルの服を脱がせていく。ところがデイルは男だった。ショックでその場は飛び出してしまうファーガスだが、後日気を取り直してデイルに謝る。

 

そんな時、ファーガスが家に戻るとジュードがいた。ジュードとピーターはあの場を脱出し、次のターゲットである判事を殺すべく計画を立てていた。そしてその執行をファーガスに指示する。一方ジュードはファーガスのそばにいるデイルに必要以上に嫉妬し、下手をすると殺しかねないようだった。危険を感じたファーガスは、ディルに男の格好をさせ、ホテルで待つようにいって、ピーターらと、ターゲットの最後の準備に向かう。

 

ところが戻ってみるとデイルは勝手に部屋を出ていた。理由がわからないから家に帰るというデイルとデイルの部屋に帰ったファーガスは一夜を過ごすが、翌朝、デイルはファーガスをベッドに縛り、ファーガスのピストルを手にする。判事暗殺の決行の朝だった。ファーガスを待ちくたびれたピーターらは、強引に判事を撃ち殺し、ピーターはボディガードに撃ち殺される。ジュードはデイルの家にやってきたが銃を構えていたデイルに撃たれ死んでしまう。ファーガスはデイルを逃し、自分が銃を握って警察を待つ。

 

逮捕されたファーガスに面会に行ったデイルに、ファーガスはかつてジョディが話してくれたサソリとカエルの話をする。こうして映画は終わります。

 

物語はIRA兵士の活動という物騒な流れながら、いつのまにかラブストーリーからサスペンスに変わり、最後はとってもピュアなエンディングで幕を閉じる。背後に流れる曲のセンスもいいし、脚本に書かれたセリフの数々もとってもオシャレで、非常に上品な作品に仕上がっています。本当に珠玉の秀作という評価がぴったりの一本でした。

映画感想「空の大怪獣ラドン」(4Kデジタルリマスター版)「N ever Goin‘ B ack ネバー・ゴーイン・バック」

「空の大怪獣ラドン

ゴジラ」に比べて脚本の甘さが目立つけれども、真面目に大人向けに作られた怪獣映画として十分に楽しめました。有名なラストのラドン阿蘇山に飲み込まれる場面は、どこか哀愁を帯びていて、この時代の怪獣映画の特色をきっちりと見せてくれます。福岡襲撃シーンも迫力があるし、やはりミニチュア特撮は楽しいですね。監督は本多猪四郎

 

阿蘇山のそばの炭鉱で、謎の水没事故が起こり、まもなくして、巨大なヤゴが人々を襲う。炭鉱夫の河村は、炭鉱の落盤で、ヤゴがある巨大な鳥に食べられるのを見て記憶を無くしてしまう。

 

そんな頃、謎の飛行物体が航空機を襲う事件が起こり、そのスピードから、UFOではないかとさえ思われてしまう。自衛隊の追撃を軽く交わしたその飛行物体は古代生物プテラノドンと判明、ラドンと名付けてその対策を練り始めるが、ラドンは福岡市を襲う。なんで福岡市を襲ったのかが全く不明なのですが。

 

古代生物の研究者柏木博士によって、ラドンは帰巣本能で阿蘇山付近の炭鉱に戻ってくると推測する。調査しにいくと、そこにはラドンのつがいがいた。自衛隊は、周辺を爆破してラドンの逃げ道を塞ぎ、誘発される阿蘇山噴火で退治しようとする。そして、攻撃が開始され、飛び出したラドンのつがいは阿蘇山の炎で再び溶岩の中に落とされる。やがて、溶岩に食われるようにラドンのつがいが溶かされていって映画は終わる。

 

なんとも切ないラストシーンですが、人間ドラマにほとんど視点が向けられていないのと、当時のこの手の作品への評価もあって、かなり雑な展開になっています。でも円谷英二の特撮場面はやはり楽しい。それだけでも見た値打ちのある映画でした。

 

「N ever Goin’ B ack ネバー・ゴーイン・バック」

軽快な音楽に乗せて展開するビッチな女の子二人のまさに吹っ飛んだガールズムービーの快作。楽しい。ひたすらに楽しくて明るい映画だった。クソな二人の女の子が憎めないほどに陽気なのも良い。さすがA24という感じの下品さも明るく楽しめました。監督はオーガスティン・フリッゼル。

 

アンジェラとジェシーが、いつものように同じベッドで朝、目が覚める。といってレズビアンではないただの高校中退した友達。アンジェラはジェシーの誕生日に一週間のビーチリゾート旅行をプレゼントしたというのだが、そのお金は二人の家賃だった。一瞬戸惑うジェシーだが、アンジェラの気持ちにそのまま乗っかる。このオープニングがまず爽快。

 

家賃を稼がないといけないので、バイト先のファミレスで無理なシフトを入れてもらうが、突然、兄ダスティンのコソ泥失敗で、わけもわからないままに家電を持って行かれてしまう。しかもそのどさくさで自宅に大麻があるのを見つけられたアンジェラらは警察に逮捕された48時間拘束されてしまう。留置所でトイレにいけないジェシーはひたすら我慢して便秘になってしまう。

 

便秘解消のためにスーパーでブルーベリーを大量に試食していて、買い物に来ていた老夫婦に責められ、悪態をつきながら、その店を飛び出す。アンジェラらはお金のためにさらに奔走し始めるが、バイト用の制服を兄達に汚されてしまい、クリーニングしようとコインランドリーを回っていて、友人のパーティに誘われる。そこで洗濯機も借りようと出かけたものの、誤って大麻入りのクッキーを大量に食べてしまう。

 

ハイになったまま、汚れた制服を着てその夜のシフトにバイト先に向かうが、当然ながらクビになる。仕事もなくなり途方に暮れた二人は友人のブランドンが働くファーストフード店に強盗に入ったように見せかけてブランドンにお金を借りようと画策、店に向かう。そんな頃、ジェシーの兄ダスティンらも金の工面のためにブランドンの店に本気で強盗に入ろうと計画する。

 

アンジェラらがブランドンに協力を交渉している時、ダスティンらが強盗に入ってくるが、アンジェラらに見破られ、渋々帰っていく。しかも店には50ドルほどしかないとブランドンに言われガッカリするアンジェラ達。

 

ところがそこに、店のオーナーがやってくる。慌てたブランドンはアンジェラらを掃除用具倉庫に匿う。オーナーは、やりたいことがあるから先に帰れとブランドンを無理やり帰し、アンジェラらは逃げるタイミングを失するが、よく見ると、そのオーナーは昼、スーパーで責められた老夫婦の夫の方だった。最悪な状況の中、アンジェラらが覗き見する前でオーナーはエロサイトを見て一人でオナニーを始める。

 

驚いたアンジェラらだが、食べたサンドイッチのせいで、ジェシー便意をもよおし、用具室で排便してしまう。我慢しきれず吐きながら飛び出したアンジェラは驚いたオーナーを気絶させてしまう。しかもオーナーは店と手提げ金庫のキーを置いたままだった。アンジェラらは、オーナーの携帯のエロサイトの写真と妻のアドレスを手に入れたと置き手紙をし、金庫を開けて大金を手にして逃走する。

 

家に帰ったらアンジェラらは、兄達が寝るそばをすり抜けてベッドに行き、どこかのビーチへ行って楽しんでいる夢を見て映画は終わっていく。現実なのか夢だったのかという曖昧さの残るエンディング。

 

とにかく、痛快で楽しい快作で、決して傑作ではないかもしれないけれど、軽快な音楽に乗せて、なんでもありの青春真っ只中というフレッシュな映像がとっても心地よいです。小品ですがちょっとした佳作でした。

 

 

映画感想「1950 水門橋決戦」

「1950 水門橋決戦」

「1950 鋼の第7中隊」の続編。例によって、中国軍は精鋭でアメリカ軍は間抜けばかりという設定のもと、物量とCGで描く戦争スペクタクルになっています。特に奥の深いものもない娯楽大作として楽しめる映画でした。監督はツイ・ハーク

 

アメリカ軍の長津湖防衛基地を撃破した中国軍だが、敵の退路をたつために、第7中隊には水門橋破壊の命令が降るところから物語は始まる。千里中隊長以下第7中隊は厳しい天候とアメリカ軍の爆撃の中、水門橋にたどり着く。少数の中国軍に対し圧倒的な火力で襲いかかるアメリカ軍に果敢に臨み、一旦は水門橋を破壊するが、アメリカ軍の物資援助で応急処置が施され、さらに援軍も到着する。

 

第7中隊ら中国軍は、巧みな囮作戦と身を捨てた攻撃で二度目の破壊を画策、ついに千里中隊長の決死の作戦で、再び水門橋は破壊される。しかし、千里は亡くなり、その遺骸を抱く万里。アメリカ軍の撤退が行われ、万里は偶然から、アメリカ軍の最後の攻撃から逃れて、本隊に戻っていく。こうしてアメリカ軍は撤退、万里は千里の遺骨を持って故郷に戻り映画は終わる。

 

CG映像を楽しむだけのエンタメ映画で、アメリカ軍が悪で中国軍は勇猛果敢な正義という設定を何度も前面に出す展開になっているので、中盤若干退屈になってくるが、中身もそれほどないので気楽に見れる一本でした。

映画感想「ホワイト・ノイズ」

「ホワイト・ノイズ」

よくわからないけれど、面白い映画だった。いつの間にか時間が経ってラストになってたが、振り返ってみると、一体なんだったのかというコメディ作品。エンドクレジットのスーパー内のダンスシーンがとにかく楽しい。監督はノア・バームバック

 

第二次大戦の頃のニュース映像などが繰り返され、真上から道路を映す場面、大学教授のジャックの家の朝が慌ただしく描写されて映画は始まる。この細かいカットのオープニングにまず戸惑う。ジャックは大学でナチス研究の第一人者と言われているがドイツ語が全くダメで、ドイツ語教師に一ヶ月でなんとかしてくれなどと言っている。大学の同僚のマレーは、ジャックがヒトラーに詳しいように自分もエルヴィスに詳しい教授になりたいから、自分の講義に乱入してきてナチス論を語ってほしいという。

 

ジャックはマレーの講義の場に飛び込んで、延々とナチス論を語り始め、マレーのエルヴィス論と重なっていくくだりが実に面白い。そんな頃、危険な化学物質を積んだ貨物列車が走っている。一方、飲んだくれの運転手が運転する可燃物を積んだトレーラーが走っている。予想通り、トレーラーと貨物列車は衝突し、貨物列車の危険物質が空中にばら撒かれ黒い雲となって広がり始める。

 

ジャックは妻のバベットとの寝物語で、お互いに先に死んでほしくないなどと話し、ジャックは、深夜に幻覚を見たりする。最近、バベットは物忘れがひどくなったと思い始めていた。娘のデニースは、母親のバベットが、謎の薬ダインを飲んでいるらしいという。調べてもわからず、ジャックも大学の化学の教授に調べてもらったりするが、市販もされていなくてわからない。

 

危険物質の雲が広がり始め、それを眺めながら夕食を始めるジャックの家族。実はジャックと妻のバベットはどちらもバツ四で、お互いの連れ子の名前がよくわかっていない。

 

息子のハインリッヒは、その雲の危険を父のジャックに訴えるがジャックは取り合わない。ところが、消防署から危険を知らせるアナウンスが流れて、ジャックたちは取るものも取らず車に乗りハイウェイに出るが、大渋滞に巻き込まれる。とりあえず、ラジオの情報から避難所へ向かうが、途中ガス欠になりかけ、ジャックは無人の給油所でガソリンをれる。しかし、危険物質の雲がジャックの頭上を通り過ぎてしまい、ジャックは二分余り雲にさらされてしまう。

 

川に落ちたり、林を突き抜けたりしながら、さらに救難所へ向かい、なんとか避難所にたどり着く。しばらくして、危険物質の雲に危険物質を食べる微生物を撒いたということで危険が去る。しかし、ジャックには、妻が飲んでいるダインという薬の謎が残っていた。ある夜、ベッドでバベットを問い詰めたジャックは妻から驚愕の話を聞く。

 

バベットは、自分は死に対して極度の恐怖を感じるようになり、たまたま、そういう症状を和らげる薬の治験者を募集していて応募したのだという。その薬を開発しているミスターグレーに身を任せた事実を告白する。ショックを受けたジャックはバベットと別れることも考えるが、ぞんな自分も、危険物質の雲にしばらく晒されたことで死に対する恐怖を感じていた。そして、バベットの薬を飲んでみようとして、バベットが隠していたところを探すが無い。デニースがゴミの圧縮機に捨ててしまったという。

 

ジャックは、ゴミの中を探すが見つからず。代わりに、ミスターグレーの治験募集の記事を見つける。ジャックはミスターグレーに電話をし、措定されたモーテルに向かう。ジャックは、ピストルを持っていく。ジャックは薬は盗んで、ミスターグレーは殺すつもりだった。モーテルに着いたジャックはミスターグレーを撃ち、倒れたミスターグレーにピストルを握らせるが、そこへバベットがやってくる。ジャックが人殺しをするのではないかと思ったためだ。

 

まだ息があったミスターグレーは、ジャックを撃つが、弾が逸れて、ジャックとバベットの体を掠めるだけになる。ジャックはバベットと一緒にミスターグレーを助けるべく車に乗せ、救急病院に連れていく。そこで、迎えに出た尼さんとのコミカルな会話を交わす。全てが終わり、元の日常が戻る。スーパーで買い物するジャック達、物語はここで終わり、エンドクレジットが流れて。スーパーの中の人たちの群舞シーンで映画は終わっていく。

 

一体なんなのだという映画ですが、全体のテイストはコメディです。とにかく、何が何だかわからないままに展開していく意味不明なコメディ映画という感じでしたが、映画がとっても楽しい。作り手の姿さえ見えてくるほどに楽しい作品に仕上がっていました。

映画感想「天上の花」「夜、鳥たちが啼く」

「天上の花」

荒井晴彦のバイタリティ溢れる脚本が演出で描ききれなかった感じで、サイコなホラー映画の如き終盤の展開はちょっと力不足を感じました。時間が前後するジャンプカットが最初は戸惑ったものの、東出昌大の狂気の演技だけが妙に際立った。人間の心には表と裏があることがちゃんと含んだ演出ができればと思いました。決して凡作ではないものの、勿体無い映画でした。監督は片嶋一貴

 

時は昭和19年福井、海岸で嬉々として遊ぶ三好達治の姿から映画は幕を明けます。16年7ヶ月思い続けた一人の女性慶子を待つ三好達治のセリフから時は昭和二年に遡る。恩師萩原朔太郎を訪ねて三好は朔太郎の妹で、離縁されて実家に戻った慶子と出会い一目惚れしまう。しかし、生活できるほどの仕事もない三好には慶子との結婚は難しく、まもなくして佐藤春夫の姪と結婚することになる。慶子も結婚するがしばらくしてその夫は亡くなってしまう。

 

時が過ぎて、朔太郎はこの世の人でなくなり、その葬儀の場で三好は慶子と再会する。元々関係が覚めていた三好夫婦は妻と離婚し、朔太郎の三回忌に福井に連れて行きたいと慶子に告げる。時は日米大戦勃発、東京を逃れて田舎に着いた慶子だが、自分を束縛する三好の態度にだんだん辟易とし始める。しかも、嫉妬深い三好は何かにつけて慶子に暴力を振るうようになる。

 

慶子は近所に住む三好の友人のところに逃げ込むが、その度に三好に連れ戻され、さらに逃げ込んだ友人宅の妻にも耐えるようにと諭される。この辺りからサイコな三好に追い詰められる慶子のホラー映画のようになってくる。何度目かの逃亡で、慶子は三好に大怪我させられ、とうとう、友人らの助けで家を出ることになる。

 

時は経ち、第二次大戦も終わり、世間も落ち着く。昭和三十九年、三好も亡くなり、慶子のところに、最後に出ていく時に三好が返してくれなかった着物が届く。最後まで三好が大事にしていたのだという。こうして映画は終わる。

 

三好が慶子と出会った頃、慶子と暮らしている福井の場面と、突然入れ替わる編集に当初は戸惑うのだが、それが次第に映画に迫力を加えていく。さすが荒井晴彦脚本とは思うのだが、登場人物の一面だけを描く演出で、どうにも人物に厚みが出て来ず、サイコホラーのような作りに見えてしまったのは残念。面白い作品だと思うのですが、後一歩ですね。

 

「夜、鳥たちが啼く」

淡々と描く男と女の物語という感じで、どこか艶やかさが漂う映画の雰囲気は流石にうまい。ただ、ほんの後一歩物足りなさを感じたのは何かが足りない。でもいい映画でした。監督は城定秀夫。

 

夜、慎一がビールケースを近くのプレハブの建物に運ぶ、そばで飼われている鳥が発情期なのかやたら泣き叫ぶ場面から映画は幕を開ける。翌朝、裕子が息子のアキラと真一の家に越してくる。夫と離婚して家を出た裕子は、次の住居を探すまでの間、裕子の夫の職場仲間だった慎一の家に居候することになったのだ。

 

慎一の家のそばにプレハブがあり、作家でもある慎一はそこで原稿を書いていた。かつて慎一も恋人文子と一緒に住んでいたが、嫉妬深い慎一は文子に愛想を尽かされ、今は一人だった。

 

物語は、慎一と裕子、アキラの三人の日常が過去をフラッシュバックさせながら淡々と描かれる。ライブスタジオの音響スタッフのバイトをしていた慎一は同僚の邦博に親しくしてもらっていた。邦博には愛する妻裕子と息子のアキラがいたが、邦博が浮気をし、裕子は離婚した。裕子は毎晩、アキラが寝た後、男とその場限りの夜遊びを繰り返していた。

 

そんなある時、夜、アキラが、ひとりぼっちなのを知った慎一はアキラとしばらく過ごす。帰ってきた裕子と話をし、やがて二人はお互いの生き方を見直し、三人で海に遊びに行ったり、次第に親しくなっていく。まもなくして、慎一と裕子は体を合わせるが、裕子にとってはそれ以上になるつもりはなかった。たまたま公園で、慎一はアキラがクラスメートと遊ぶのを手助けしてやり、いつも一人で見にいく草野球に行く約束をする。その球場で花火大会があると聞いた裕子らは慎一を誘う。

 

三人でピザを食べ、アキラがトイレに立った時に、慎一は裕子に、結婚していないけれど家庭内別居で暮らそうと提案する。そして三人は花火の後、家に帰る。それぞれの建物に別れた後、裕子は、だるまさんが転んだと呟き、慎一が戻るのではと思うが慎一はプレハブに入って執筆を始めていた。アキラに呼ばれて家に入る裕子、慎一を窓から捉えたカメラがゆっくりと引くと、三人で行った花火会場に少し時間が戻る。花火が上がり映画は終わっていく。このラストの処理が上手い。

 

最後の最後に二人が体を合わせるタイミングが実に上手いし、濃厚なベッドシーンながら、それまでを淡々とつかず離れず描くシーンの数々とのバランスがいい。映画全体がどこか覚めた中に艶やかさを漂わせ、さらに、家族というものの温かさもさりげなく見せてくれる。いい映画でした。