くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「殺人狂時代」(デジタルリマスター版)「黄金狂時代」(デジタルリマスター版)「チャップリンの給料日」「ドリーム・ホース」

「殺人狂時代」

テレビで見ただけの作品でしたが、これはまさしく名作、傑作です。物語の構成も見事なのでサスペンスとしても一級品で面白いし、しかも人間ドラマとして主人公の心の変遷も見事に描かれている。さらに毒の聞いた風刺も効いていて、似た話の「後妻業の女」なんて子供騙しに見えてしまいます。素晴らしい映画です。監督はチャールズ・チャップリン

 

墓地、主人公ヴェルドゥの墓がある場面から、カットが変わり南フランスワイン農家の家、セルマという娘が最近、一人の男性と結婚をした後行方不明になっているというのを家族が話している場面から映画は始まる。カットが変わると、一人のいかにもプレイボーイ風の男が庭で薔薇をいじっている。傍の焼却炉から煙が出ていて、もう三日も燃えているというメイド達の噂の声。この家を買いに一人の夫人が現れる。庭のバラを褒められたので、この男は強引に愛を打ち明けるがその場は逃げられてしまう。この夫人の心を手に入れるため、毎週薔薇を送るように画策する。明らかにこの男が裕福な女性を手玉に取っては金をせしめている悪人だとわかる。このオープニングが見事。

 

投資先のバロン証券から、至急不足分の金がいるからと連絡が入り、この男はある夫人の家に行き、銀行が危ないからと無理やり金を引き出させ、翌朝、何やら殺害したようなシーンが続く。この男は自宅に戻ると、車椅子に乗った妻と可愛い男の子がいる。銀行員という夫だが、無理をしているらしく、後二、三年で別のことをすると言っている。実はヴェルドゥは三十年勤めた銀行を不況でクビになり、裕福な女性を騙しては金を手にして妻子を養っていた。

 

次に、船長をしているという出立になったヴェルドゥはある夫人の元へ行く。そこで金を手にしようとするが用心深くてうまくいかない上に、ちょっと胡散臭いメイドがいて邪魔をされる。ヴェルドゥは、飲んだ後一時間経ったら心臓麻痺になる薬の調合を教えてもらい、まず通りがかりの若い婦人を家に招いて、薬のテストをしようとするが、すんでのところでこの婦人に心が動かされ断念する。一方、薔薇を送っていた夫人からようやく返事が来る。そんな時、一人の刑事がヴェルドゥをつけていて、逮捕するべく家にやってくるが、護送される前に飲ませた毒入りワインが列車の中で効いてきてヴェルドゥは難を逃れる。

 

船長の姿であっていた夫人を殺そうと毒入りワインを持ち込むが、メイドがたまたま、ヴェルドゥの持ち込んだ瓶を割ってしまい、夫人は難を逃れ、ヴェルドゥはそのまま田舎で夫人とバカンスする羽目になる。ヴェルドゥは夫人を湖で突き落として殺そうとするが結局うまくいかない。断念したヴェルドゥだが、薔薇を送った夫人に連絡をし返事が来て、再会、強引に結婚にこぎつけ、結婚式となる。そこへ、湖で殺そうとしていた夫人と鉢合わせして、ヴェルドゥは式場を逃げ出すことになる。

 

怪しい言動を繰り返すヴェルドゥは、ついに警察から監視されることになる。折しも世界恐慌となり、ヴェルドゥが投資していた証券会社は破綻し、ヴェルドゥは無一文になる。妻も息子も亡くなり、希望もなくなって通りをふらふら歩いていて、かつて心が動かされた若い婦人が立派な車で通りかかり、ヴェルドゥと再会。あの時のお礼をしたいとレストランに行く。若い婦人はあの後、軍需産業で大成功した男性と結婚したのだという。そのレストランで、セルマの家族と偶然再会、警察沙汰となる。ヴェルドゥは、若い婦人にもらった名刺を破り捨て、自ら警察の前に出て逮捕される。

 

公判で、潔く罪を認め、死刑宣告となる。有名な「一人を殺せば殺人で大量に殺せば英雄」というセリフを最後に司祭に告げ、死刑台へ向かうヴェルドゥの姿で映画は終わる。

 

殺人シーンが次々とサスペンスフルに変化していく一方で、若い婦人と出会い、心が少し変化、その後の大団円へ大きく畝っていくドラマティックな展開も素晴らしい。サスペンスとしても一級品かつブラックコメディとしてもずば抜けた出来栄えに見事な映画でした。

 

「黄金狂時代」

四十年ぶりくらいの見直しでしたが、こんなにお話が凝っていたのかと改めて感激。靴を食べるシーンやパンを使ったダンス、崖から落ちかける小屋のドタバタなど名シーンはほとんど覚えていました。やはり名作でしょうね。監督はチャールズ・チャップリン

 

アラスカでの金採掘ブームの場面から主人公チャーリーが雪山を進むカットへ。熊との散歩シーンから、吹雪に見舞われて一軒の小屋にたどり着く。そこには悪漢ラーセンがいて、ドタバタしているところへ、金鉱を発見したものの吹雪を避難してきたジムがやってくる。食料が尽きて、それぞれが疑心暗鬼になるコミカルなシーンの後、ラーセンが食糧調達に出かけて、彼を追ってきた警官隊を殺して食料を手にして、その帰りにジムの金鉱を発見、

 

一方、迷い込んできた熊を食べて落ち着いたチャーリーとジムはそれぞれ別れて帰る。ジムが金鉱に戻るとラーセンがいて、争いの末殴られて気絶。ラーセンは下山途中崖下に落ちて死亡。ジムは記憶を失って麓の村に降りてくる。一方チャーリーは麓の村で美しい娘ジョージアと出会い恋に落ちるが、からかっただけのジョージアは、チャーリーを相手にしない。それでも真面目にジョージアに尽くそうとするチャーリーは、探検家の家で留守番をしていてジョージアと再会、大晦日にパーティを約束するがジョージアは本気でなく、チャーリーのところへ行くのを忘れる。準備していたチャーリーはショックのままバーにやってくると、金鉱のありかを探していたジムと再会、二人はかつての小屋に向かう。

 

そこで吹雪に会い、小屋が崖から落ちそうになるが、落ちた後に金鉱の場所が見つかり二人は大金持ちになる。一等船室でくつろぐチャーリーとジム。三等船室にはジョージアがいて、密航者を探す役人達もいた。たまたま写真を撮るために昔の格好をしていたチャーリーは階段を踏み外して三等船室の甲板に落ちジョージアと再会するが、密航者を探していた役人に咎められる。しかし駆けつけたジムらにすぐに疑いを晴らされ、ジョージアとともに一等船室へ上がっていくシーンでエンディング。ハッピーエンドです。

 

独特の風刺はほとんど見られない良質のスプラッターコメディ。チャップリンの名人芸を堪能する作品です。面白かった。

 

チャップリンの給料日」

給料日の一日を描いた短編作品で、チャップリンのドタバタ劇を堪能する一本でした。監督はチャールズ・チャップリン

 

建築現場で働くチャーリーの軽妙なコミカルシーンから映画は幕を開ける。その後給料をもらって、財布を握る妻の元に帰る。途中、仲間とすっかり酔い潰れて朝帰りしたチャーリーは、妻に責められながらも最後はハッピーエンド。軽いタッチの短編コメディでした。

 

「ドリーム・ホース」

いい映画なのですが、出だしのクオリティがどんどん俗物に変わっていく展開がちょっと残念。音楽センスというか映像のリズムセンスのなさがこういう作品になったのでしょう。ただ、物語の構成はしっかりしているし面白い。なので、ラストまでどんどん引き込まれていくので、とっても好感。監督はユーロス・リン。

 

暗闇、馬の息遣いから、ウェールズの片田舎の夫婦の寝室、ジャンの夫ブライアンのいびきに画面が繋がる。早朝に起きたジャンはパート先のスーパーへ向かう。途中、街にポニーがうろついていたり、動物や鳥がうろついているいかにもない片田舎。いつものように掃除をしてレジ打ちをするジャン。夜はバーで働いている。ここまでのオープニングは秀逸です。バーでは賑やかに仲間と酒を飲むハワードという男達の姿に目が止まる。最近、店に来るようになったらしく、かつて馬主組合の一員だったが、失敗して破産した会計士なのだという。興味を持ったジャンは馬主になることを考える。

 

一週に10ポンド集めて資金を募り、牝馬を手に入れて子馬を産ませて調教すればいいと計画を立てる。ハワードにもアドバイスをもらうようになり、村のメンバーも集まって具体的に動き始める。やがて牝馬を手にして種付したものの、子馬を産んだ後母馬は死んでしまう。子馬はドリームアライアンスと名付けて育て、名調教師ホッブスにあづける。そしてまず地方でのレースに出るが、スタート遅れしたにも関わらず大健闘したドリームアライアンスは、次々とレースに出て少しずつ順位を上げていく。

 

ところが、大レースに出た時に、大怪我をしてしまう。その場で撃ち殺すかどうかという判断をホッブスに迫られるが、一か八かで手術にかけ、一晩かけてとりあえず手術を成功させる。そして時が経ち、奇跡的に蘇ったドリームアライアンスはホッブスの提案でウェールズ1の大レースに出ることになる。そして見事優勝する。こうして映画は終わっていきます。

 

ジャンを始め、メンバー達が、一頭の馬によって希望を見出していくという肝心のドラマ部分があまり描けておらず、無用な歌のシーンが作品のレベルを下げてしまっていますが、馬の活躍を中心にした作劇自体はそれなりに成功しているかと思います。オープニングの絵作りは面白いのにどんどん平凡になっていくのはちょっと勿体無い。でもいい映画でした。

 

 

映画感想「ラ・ブーム」(デジタルリマスター版)「ニューヨークの王様」(デジタルリマスター版)「柳川」

ラ・ブーム

ソフィ・マルソーのデビュー作。細かいカットとハイテンポなストーリー展開で、思春期の揺れ動く少女達のラブストーリーを、ヒット曲に乗せて描くとっても心地よい映画でした。監督はクロード・ピノトー

 

父フランソワに送られて夏休みが終わった新学期、学校へ来た主人公ヴィック。ペネロブという友達もできて、かっこいいレマン先生や、イケメン男子に目移りするばかり。週末にあるブーム=パーティで恋が芽生えるのを夢見ているヴィックとペネロプは、男子から誘われるように心ときめかせている。

 

一方、まだまだ子供と思っているヴィックの父フランソワも母フランソワーズも気が気でないが、義母でモダンな考えの音楽家のプペットはヴィックの良き相談相手でもあった。ブームにうまく誘われたものの両親の許可を取るべく奔走するヴィック。なんとか許しをもらったが、心配な両親は二人で娘を車で送っていく。そして若き日、二人もブームで知り合った思い出を話す。

 

ヴィックはそのブームで一人の青年マチューと出会い一目惚れで恋に落ちてしまう。気もそぞろな日々が始まり、ブームでデートしたり映画を見たりと楽しい日々が続く。一方、フランソワにはヴィクトリアという愛人がいた。なんとか誤魔化しながら逢瀬を続けるフランソワだが、とうとう、隠し切れず告白してしまう。怒ったフランソワーズは、別居して頭を冷やすことにする。

 

一方、マチューは、別の女の子とブームにいるのを見かけて、ヴィックとの仲が疎遠になる。しかし、それぞれのわだかまりが解けたかに見えるたころ、マチューを愛するヴィックは、プペットのアドバイスのもと、マチューが両親と向かった旅行先へ追いかけていき、ベッドインの覚悟を決めてマチューを呼び出すが、乗り切らないマチューは途中で帰ってしまう。

 

そんな頃、フランソワーズは、ヴィックの学校のイケメン教師レマンといい仲になってしまう。その気配を知ったフランソワは、自宅を見張り、フランソワーズとレマンとのデート現場を見てしまう。まもなくして、フランソワーズは妊娠していることがわかる。もちろん父親はフランソワだった。

 

それぞれが罪の意識を感じ始め、それでもなかなか言い出せないままに仲直りできない。フランソワーズは、レマンに誘われアフリカに一緒に旅立つことを決意する。一方、フランソワは、フランソワーズとの仲を取り戻すべくベニス行きの航空券を二枚手に入れた。しかし、言い出せないまま、フランソワーズを空港へ見送ることになる。

 

一旦はフランソワと別れレマンと一緒に飛行機に向かったフランソワーズだが、引き返して、若き日の思い出のカフェを覗くと、一人食事をしているフランソワを発見、こうして仲は修復される。

 

この日、ヴィックの14歳の誕生日のブームが自宅で開かれていた。密かにマチューを待つヴィックだが、一向に現れない。諦めて別の男の子とダンスをするヴィックの前にすっかり大人になったマチューが現れる。二人は愛を確かめ合い、いつまでもダンスを続ける。こうして映画は終わる。

 

短いエピソードのカットとストーリー展開が実にリズミカルな一本で、ほのぼのした大人と思春期の少年少女のラブストーリーが描かれる様がとっても素敵な一本。テーマ曲も素晴らしく、ソフィ・マルソーの可愛らしさのみでなく周囲の脇役も魅力的で、何度も見直したくなる作品だと思いました。

 

「ニューヨークの王様」

軽妙なドタバタ喜劇を挟みながら、独特の風刺を散りばめていく作品で、そのテンポの良さはさすがに絶品。事実上国外追放され、イギリスに帰っていたチャップリンアメリカ文明批判が鋭い作品です。監督はチャールズ・チャップリン、彼の最後の主演作です。

 

原子力の平和利用を訴えた計画が原因で自国に革命が起こり、アメリカに亡命したシャドフ国王がニューヨークのホテルに到着するところから映画は始まります。自身の財産を首相に持ち逃げされ、一文無し同然となった国王ですが、アメリカメディアが放っておかず、アン・ケイというやり手のキャスターを派遣、隠しカメラで国王に巧みに演技をさせてテレビ放映し話題をさらいます。その出演料でなんとかそに場を凌いだものの、テレビに対する嫌悪感は拭えない国王ですが、次第にお金の必要に迫られるとともに、大口の出演依頼が舞い込み始め、どんどんテレビ出演をし始めます。一方、顔立ちを若くするために整形を勧められたり、皮肉混じりのエピソードが展開。

 

たまたま、到着直後に立ち寄った学校で知り合った弁のたつルパート少年が、寒空に通りにいるのを見かけた国王は、部屋に連れ帰り保護してやります。ところが彼の両親は共産党員で、裁判にかけられ、ルパートを保護した国王にも嫌疑がかけられ裁判所に召喚されてしまいます。あれよあれよというまに、騒動に巻き込まれていく国王。中心の物語の随所にサイレント映画的なドタバタ劇を挿入、チャップリン映画の真骨頂を見せていきます。

 

嫌疑が晴れた国王は、ニューヨークを離れヨーロッパに行く決心をします。離婚間近だった妃との仲も元通となり、ルパート少年やアン・ケイに別れを告げた国王は飛行機に乗って旅立って映画は終わります。

 

チャップリン映画らしい風刺とドタバタ劇の一本で、チャップリンの名人芸も見られる作品。トーキー作品なのでちょっと違和感が見え隠れするところもあるけれど、毒のある風刺を織り交ぜた作品の厚さは見応え十分でした。

 

「柳川」

これというドラマティックな物語はなく淡々と進むストーリー。静かな映像と素朴な構図、人生を振り返る瞬間を描いていく作品で、意外に退屈を感じさせないのは、演出の賜物か脚本の不思議なリズムか、良い映画でした。監督はチャン・リュル。

 

北京大学の病院、一人の男ドンが出てくる。校庭のベンチに座る婦人に、自分は癌で、それも末期だと呟くところから映画は始まる。カットが変わり、中国の日本居酒屋で兄のチュンと酒を飲むドン。日本にある柳川という街の話をする。柳川は中国読みするとリウ・チュアンになるという。それはかつて二人が愛した女性チュアンと同じ読みになる。

 

場面が変わり、二人は柳川にいた。民宿のような旅館で、日本人の主人中山と話し、チュアンが日本で仕事をしているバーを教えてもらう。そこにいく前に日本の居酒屋に寄り、女将と話したりする。その後、目当てのバーに行き、そこで歌っているチュアンと二十年ぶりに再会、三人が出会った頃の話をする。物語は三人の懐かしの話を柳川の街や運河の上などで延々と語り、時に中山の娘のエピソードや居酒屋の女将との会話などを挿入、繰り返していく。チュアンはチュン達の前から突然消えてロンドンへ行きその後柳川にきたのだという。

 

やがて、ドン達は中国に戻り一年が経つ。チュンは、妻と家の改装を相談している。父の遺言で家はドンに譲ったらしいが、ドンはチュンに贈ったのだ。そこへチュアンが訪ねてくる。かつて遊びにきた家を見て、チュンにドンが過ごしていた寝室を案内されるが、そこには何もなかった。後に何も残さず消えたいと言っていたというが、チュンはドンに預かったテープをチュアンに渡す。そこに流れるチュアンの歌声を暗転して映画は終わる。

 

柳川の運河の如く、淡々と流れるストーリーは、ある意味三人の人生の流れであるかのように、これという劇的なものがなかったにも関わらず心の行き交いが見えてくる。そんな二十年に渡る物語を映像にしただけという作品ですが、なかなか良質の一本だった。

映画感想「ブラックナイトパレード」「ホイットニー・ヒューストン I WANNA DANCE WITH SOMEBODY」

「ブラックナイトパレード」

もっと悪ふざけばかりの映画かと思っていたら意外に感動ものだった。原作の良さだろう。もうちょっとラストの真相の展開が鮮やかだったら傑作だったかもしれないが、そこは監督が福田雄一なので、ここまでで留めた方が良かったのかもしれない。

 

クリスマス深夜のコンビニ、フリーターになって三年の三春は、後輩で、仕事をしないカイザにいいようにあしらわれながらせっせと仕事をこなしていた。カイザは彼女とデートに出て行ってしまい、店長には濡れ衣を着せられた上、むしゃくしゃしたまま、三春は廃棄品を処分に出して、ついでに憂さ晴らしに普段は絶対にしない廃棄のケーキを持って帰る。

 

途中、やけ酒を飲むのに屋台に立ち寄った三春は、屋台の店主に化けたブラックサンタクネヒトに連れ去られる。着いたところは何故か北極で、ハッカーの志乃とシェフの鉄平に出迎えられる。顔のないブラックサンタのクネヒトからサンタハウスで正社員になるかと詰め寄られる。しかも、あれよあれよとブラックサンタになるべくして就職することになる三春は、その才能を買われて子供達に渡すプレゼントを選別する部署に配属される。実は赤いサンタがかつて存在していたのだが、赤いサンタを妬むネズミと呼ばれる集団に殺されたのだ。赤いサンタは良い子に、ブラックサンタは悪い子にプレゼントを配っていたのだ。

 

三春は次のステップとしてトナカイになるべく志乃や鉄平と準備を始める。トナカイはエリートコースでそのリーダーの赤鼻のトナカイはレイモンドと言われて尊敬されていた。トナカイの適性試験、なんと三春の後輩のカイザ=田中皇帝もやってきていた。しかも、三春たちが勤めていたコンビニの店長はブラックサンタ養成のために三春を三年間コンビニで修行させていたというはちゃめちゃな前提があらわになる。コンビニで働くきっかけになるカイザとの出会いや、カイザの発注ミスによる苺大福のエピソード、発注ミスをわざとやった性格の悪い稲穂の事件などが語られ、その流れで三春はあのコンビニで働くことになったのだ。

 

トナカイの実技試験が迫った日、たまたま三春は大事にしていた母からのクリスマスカードのコレクションの中にクレジットカードのブラックカードを見つける。それは、幼い頃、父が亡くなって初めてのクリスマスでサンタクロースにもらったものだった。それが限度額無制限のクレジットカードとは知らなかった三春だが、それをもらった時からおもちゃを大量に買って、父を亡くしたことと母が入院した寂しさを紛らわしていたことが今更ながら判明する。母は父が亡くなった後、息子を育てるにあたり過労でしばらく入院していたのだ。

 

退院してきた母は、大量のおもちゃに驚愕する。再び心労をかけたと思った幼い三春は、おもちゃを子供たちに配ることを決意し、包装準備をする。その配達を請け負ったのがクネヒトらトナカイだった。一方、ネズミは田中皇帝を亡き者にしようと襲いかかってくる。田中皇帝は最有力でトナカイになる可能性があると判断されたのだ。田中皇帝=カイザの危機を感じた三春はカイザを助けようとするが逆にネズミに襲われ、カイザが三春を助ける。これで、かつて、苺大福事件で三春に助けられたカイザは恩返しをした。

 

見事、トナカイの適性試験に合格した鉄平、三春、志乃、カイザは、いよいよ実技試験となる。それはサンタが送り損ねたプレゼントを全て配達するというものだった。三春たちは力を合わせて次々とプレゼントを配達、最後の一個になるが立ちはだかったのはネズミ達だった。最後の最後、ネズミにより高層マンションの屋上から突き落とされた三春だが、駆けつけたレイモンドに助けられる。それはクネヒトの指示だった。

 

無事プレゼントを配り終えた四人は晴れてトナカイとなる。三春はクネヒトの部屋に呼ばれた。行ってみると、そこにかかっていた赤いサンタの肖像は三春の父の姿だった。幼い頃から三春の父は三春を見守っていたのだ。三春は赤いサンタとなることを決意し、全てハッピーエンドとなって映画は終わる。

 

福田雄一らしい馬鹿馬鹿しい展開が散りばめられる作品ですが、原作がしっかりしているのか、次第に親子の人間ドラマが表に出てきて終盤は胸が熱くなってしまいました。一級品とは言えないまでも思いの外、厚い作品に仕上がっていたと思います。面白かったです。

 

ホイットニー・ヒューストン I WANNA DANCE WITH SOMEBODY」

二時間半ほどの長尺ながら、全然退屈せず、ホイットニー・ヒューストンの歌声に引き込まれる映画でした。少々脚本が荒っぽいので、ドラマ部分は相当に希薄だし、カメラワークも平凡なので、映像作品としては普通ですが、主人公の物語とカリスマ性に最後まで画面を見つめられる作品でした。監督はケイシー・レモンズ。

 

教会でゴスペルを歌っている主人公ホイットニーと母のシシーの姿から映画は幕を明けます。街で女子大生ロビンと知り合うホイットニーは、意気投合する。彼女はレズビアンだった。ここはかなり唐突。歌手としてそれなりに有名な母シシーは娘の才能を生かすために数々の一流歌手を育てたプロデューサークライブ・デイビスにホイットニーを引き合わせる。一目でその才能を認めたクライブは早速レコード契約を結び、ホイットニーはみるみる成功街道を走り始める。

 

ロビンをマネージャーにし、ホイットニーはクライブのもとで次々とヒット曲を発表していくが、父のジョンはホイットニーのボスとして会社を運営するようになる。そして、ロビンを排除するようにと勧めるがホイットニーは受け入れなかった。そんな時、ホイットニーは歌手のボビー・ブラウンと知り合い恋に落ちる。やがて二人は結婚するが、女遊びやドラッグに溺れるボビーはホイットニーにとって負担になり始める。さらにロビンとボビーも事ありごとに対立するようになる。この辺りの描写がかなり雑である。

 

ジョンはホイットニーの稼ぎを自分のものにして贅沢三昧を繰り返し、それに気がついて問い詰めたホイットニーに、世界ツアーに出て大きく稼ぐようにと提案する。クライブの反対を押し切って世界ツアーに出たホイットニーだが、そのストレスからドラッグに溺れ始める。やがて、ドラッグで逮捕され、四ヶ月の療養を言い渡される。

 

復帰して初めてのステージを見たクライブは、休養を進めるが、ホイットニーは強行してツアーに出てファンから見放されるほどの不評を買ってしまう。時が経ち、この日、久しぶりのステージが控えていた。バーでかつてのホイットニーを知るバーテンから応援している旨を話され、控え室で予定していた既存の曲を口ずさむが、いざステージでは、歌ったことがない愛の歌のメドレーを熱唱、客席からはスタンディングオベーションの大歓声を受ける。こうして映画は終わり、2012年、ドラッグの過剰摂取で浴室で亡くなったというテロップが出てエンドクレジットとなる。

 

実際のエピソードを次々と見せていく脚本で、ホイットニー・ヒューストンの周辺の人物とのエピソード描写はかなり雑に描かれているので、ドラマ性は非常に薄っぺらいのですが、ステージシーンの迫力でグイグイとラストまで引っ張っていきます。ホイットニー・ヒューストンの歌声をひたすら楽しむ作品という感じの一本でしたが、大満足できました。よかったです。

映画感想「勇者たちの休息」「7月の物語」

「勇者たちの休息」

レマン湖畔からアルプス山脈を抜けて地中海へ至る大アルプスコースという自転車観光コースを走る人たちを描いたドキュメンタリーです。監督はギヨーム・ブラック。

 

一人の青年が自転車を漕ぐ姿を背後から捉えて映画は始まります。黄色のジャケット姿の青年の後ろ姿の周囲は溶岩質のような山肌が迫っている。この色彩演出がまず目を惹きます。あとは、大アルプスコースのチャレンジする老人たちの姿と、ツール・ドゥ・フランスのニュースアナウンスを背後に流して、ロードバイクを楽しむ人たちのさりげない映像を淡々と描いていく。

 

これと言うわけでもないのですが、挿入される会話シーンに癒され、自転車を楽しむ人たちの素朴な気持ちが伝わってきて、見ている私たちも自転車をやりたくなってしまう。そんな映画でした。

 

「7月の物語」

フランス国立高等演劇学校の学生たちと作った「日曜日の友だち」「ハンネと革命記念日」の二部構成の作品。監督はギヨーム・ブラック。

第一部「日曜日の友だち」

リュシーがバイト先でいやなことがあって階段の踊り場で悪態をついている場面から映画は始まる。同僚のミレナの誘いでパリ郊外のレジャー施設に遊びにいくことにする。そこで、一人も施設管理人のジャンと知り合うが、ジャンはミレナにぞっこんで、次第にリュシーはいづらくなってくる。そして、閉園後、カヌーで遊びに行こうとジャンは誘うが、リュシーが断ったことから、ミレナとリュシーは険悪なムードになる。

 

ミレナはジャンとカヌーで立ち入り禁止だが美しい景色の入江に行く。そこで意気投合した二人だがジャンは突然ミレナにキスして来る。ジャンを突き飛ばし、険悪なムードになる。戻ってみるとジャンの彼女が嫉妬に狂い、ミレナを突き飛ばす。一方のリュシーは、広場でフェンシングの練習をしている青年と出会い、フェンシングを教えてもらい、また会う約束をする。帰りの待ち合わせ場所でリュシーとミレナは、お互いの一日の思い出を語りながら帰路のバスに乗って映画は終わる。

 

たわいない夏の一日の物語という感じの一本で、これというわけではないけれど、面白かった。

 

第二部「ハンネと革命記念日

ハンネが友だちアンドレアに傍で眠っている。朝、アンドレアはハンネを見ながらオナニーを始めるが目が覚めたハンネに追い出される。今日は革命記念日7月14日である。街に出たハンネは、ロマンという青年にナンパされ、今夜の花火に一緒に行こうと誘われる。

 

部屋に戻ったハンネをアンドレアが待っていて、執拗に迫ってくる。そんなところへロマンの迎えが来る。切れたアンドレアはロマンを殴ってしまい、ロマンは鼻から血を流す。部屋に担ぎ込み、救命士の知り合いの青年に来てもらい手当てをしてもらう。しかしロマンは一段落したらハンネにキスをしようとしてきたのでハンネはロマンを追い返す。

 

救命士の青年は、ハンネたちを友人のパーティに誘う。救命士の青年に惹かれた友達のサロメはまずここで食事をしてからにしようと食事の準備をし、救命士の青年とアンドレアも交えてしばらく歓談するが、サロメが救命士の青年に言い寄るのを阻止したハンネは、アンドレアに非難され、サロメも出ていき、救命士も居た堪れなくなり一人パーティに行ってしまう。

 

一人になったハンネの耳に、花火大会の場にトラックが突っ込んで大惨事になったというニュースが聞こえてくる。ハンネは、アンドレアの部屋に行き、眠っているアンドレアに軽くキスをして部屋を出て帰路につく。こうして映画は終わる。

 

こちらもたわいない話ですが、夏の一日をドラマティックに切り取った感のある作品で、詰め込まれた凝縮感を感じさせる一本でした。

映画感想「トゥモロー・モーニング」「そばかす」「かがみの孤城」

「トゥモロー・モーニング」

曲もいいし、役者の歌唱力も抜群で、見ていてミュージカルの根本的な面白さは満喫できるのですが、ちょっとカット割りが良くないために映画としてテンポに乗ってこず、全体に緩急が見えてこない。ただ、現代と十年前を巧みに切り返す展開はちゃんとわかるように色分けされた演出がされているし、それとなくハッピーエンドが予想できる心地よさも良かった。映画としてはそれほど出来は良くないけれど、楽しいミュージカルでした。監督はニック・ウィンストン。

 

一人の男ウィルが、夜、建物から出てくる。彼は十年寄り添った妻と離婚を決意し、明日がその審理の日だった。二人にはザックという男の子がいた。ウィルはロンドン橋を望む河辺にやってきて、目の前に十年前、妻との結婚式を明日に控えた夜の二人に出会うところから物語は幕を開ける。全編歌によるセリフの応酬というフルミュージカルで、現代と十年前を繰り返しながら、ウィルとキャサリンの出会いから別れる寸前までを描いていく。

 

キャサリンは、画家として成功、一方ウィルもコピーライターとしてそれなりに成功していた。何かにつけて喧嘩をするようになった両親を見て悲しむザックの存在が、ウィルもキャサリンも辛いものがあった。どうして二人がいがみ合うようになったのかの部分がわかりにくいのは、とにかく曲の羅列で次々と展開していくためだろう。

 

明日に結婚を控えた夜、キャサリンは妊娠していることを知る。それをウィルに伝え、ウィルも大喜び。いっぽう十年後、離婚後はザックはキャサリンと一緒に暮らすことになるらしいが転校を伴うこともあり、躊躇していた。ザックはキャサリンに無断で深夜、自転車で父ウィルのところへ行ってしまい、ウィルもキャサリンも心配する。

 

やがて、審理の場、ザックを学校へ送って行ったウィルは、ザックが車から降りる時にザックに、なんとかならないのかと詰められる。ウィルは少し遅刻して、裁判所に着く。キャサリンと目を合わせ、それぞれがずっと結婚式の前夜のことを考えていたと告白、やり直そうという。場面は結婚式の日、友人たちと一緒に踊り回るウィルとキャサリンの姿で映画は終わる。ハッピーエンドです。

 

淡々と曲が進んでいく流れにちょっと緩急がついたらもっといい映画になるし、胸に迫ってきたかもしれないのが少し残念。でも楽しかった。

 

「そばかす」

凡作ではないし、面白い映画なのですが、中盤から後半にかけて微妙に歪みが見えてくる。何か一本筋を通した物がくっきり見えたら、素晴らしい秀作になった感じです。でも、なかなかの映画ではありました。監督は玉田真也。

 

海岸で一人座り込んでいる佳純の姿から映画が始まり、カットが変わり、合コンでしょうか、男性二人と女性二人の飲み会から物語は幕を開ける。この一人が主人公佳純である。どこかギクシャクした雰囲気になって、「宇宙戦争」という映画のトム・クルーズが走るのが面白いなどと言ってしまう。その場は終えて、一人いつもいくラーメン屋でラーメンを食べ、自宅に戻る途中、幼馴染の八代と会う。自宅に戻れば、母がやたら結婚しろとせっついてきてうんざり、妊娠している妹の睦美とふざけて一日が終わる。

 

母は、勝手に見合いを決めてしまい、佳純を騙して見合いの場に連れていく。そこで出会った男性木暮は、恋愛とか結婚とかどうでもいいと言われて佳純と気が合う。しかも木暮は佳純がよくいくラーメン屋の店員だったことから急接近する。二人でラーメンを食べに行き、その帰り木暮に迫られた佳純は、自分は恋愛ができないし性的な欲求も感じないと告白して木暮に嫌われてしまう。そんな佳純は八代に誘われ保育所で働くようになる。しかも八代はゲイだと告白する。

 

気を紛らわせるためにいつもいく海岸で一人座っていると、中学時代の同級生真帆に声をかけられる。真帆に誘われてキャンプに行き、二人は急速に親しくなる。真帆は元AV女優だったらしく、彼氏と別れて静岡に来たのだと言う。佳純は真帆に協力してもらい、保育所でやるデジタル紙芝居のシンデレラの声をして欲しいと頼む。二人で作りはじめるが、普通のシンデレラでは面白くないと、男性に媚びないシンデレラを描いて、保護者に顰蹙を買う。その場に県会議員でもある真帆の父もきていた。

 

その事件を聞いた真帆は真帆の父の街頭演説でくってかかる。そんな姿を見た佳純は、真帆に一緒に住もうと提案。二人で部屋を探し始めるが、まもなくして真帆から結婚することになり東京へ戻ると言われる。佳純は真帆の結婚式に呼ばれる。家では睦美からレズではないかとさえ言われるも、鬱で自宅にいる父はいつも佳純の味方で、佳純が音大時代からしていたチェロを手入れしていた。

 

佳純は真帆の結婚式でチェロを引くことにし、それを最後にすると父に告げる。翌朝、いつもより元気な父は、救命士の仕事を辞めてやりたいことをしてみると宣言する。真帆の結婚式で、佳純はチェロを奏でる。

 

保育所で新入りの天藤に映画に誘われるが、その帰り、自分は恋愛に興味がないと告白、天藤は、佳純のシンデレラが好きだったのだと答える。佳純は自分と同じ考えの人間がいることでなんだか嬉しくなり、街を駆け抜ける場面で映画は終わる。

 

エピソードが次々と前に進んでいくのですが、そのどれもが同じ配分で強弱がないために、肝心のメッセージが浮き上がってこない。舞台劇と映画との違いをもう少し上手く処理すればいい作品に仕上がる気がするのが微かに残念ですが、いい映画でした。

 

かがみの孤城

原作のファンとしてはかなり不安でしたが、十分期待通りの出来栄えでした。原作の複雑な真相を鮮やかにラスト処理した脚本は絶品。アニメの技術的には実に素朴な作りですが、映画は技術ではないと言わんばかりの丁寧な演出と、ストーリー展開のテンポの良さは最高でした。監督は原恵一

 

中学生の主人公こころは不登校で、この朝も、突然お腹が痛くなる。そんなこころの気持ちを汲んでかどうか母は事務的に学校へ連絡をするところから映画は始まる。クラスメートのモエちゃんが学校のプリントなどを届けてくれるが、こころは引きこもった毎日である。そんなこころの部屋の鏡が突然光り、こころは不思議な城に引き込まれる。目の前にいるのは女の子の格好をし狼の仮面を被ったオオカミさまと言う少女だった。そしてこころ以外に六人の中学生もその城に連れてこられていた。時は五月だった。

 

オオカミさまは、この城で願いを叶える鍵を見つけたら一つだけ願いが叶うと言う。しかし、五時までにこの城を抜けないと狼によって食べられるという。期限は三月三十日で、この日までに鍵を見つけて願いを叶えたら、ここでの出来事は全て七人の記憶から消えてしまう。こころたちは、訳もわからないままこの城を行き来するようになるが、七人には何か謎めいたものが見え隠れしていた。物語は原作のエッセンスを巧みに取り出してテンポよく展開していくので、どんどん引き込まれていきます。

 

時が過ぎ、その間に、こころのことを気にかけてくれる喜多島先生のエピソードや七人の学校での生活が描かれていく。三月の期限が迫った日、こころがモエちゃんに誘われて家に行って、いつもの鏡を抜けられなかった時、アキがルールを破ってオオカミに食べられたというメッセージが半分破れた鏡から届く。こころは急いで城に入り、鍵の謎を解く。そして願いの鍵を手に入れ、アキを元に戻してほしいと願う。無事七人が元に戻ったが、そこにはさらに真相が待っていた。

 

七人は雪科第五中学の生徒だが皆時代が違っていた。リオンの姉はリオンが幼い時に病気で死んだが、その姉が大事にしていたドールハウスの城が七人が招待された城だった。そしてオオカミさまこそ、リオンの姉だった。それぞれの謎が一つづつ明らかになり、こころが頼る喜多島先生もアキの成長した姿だったりする。こころが意を決して学校へ向かうと、出迎えたのは七人のうち唯一こころと同じ歳のリオンだった。こうして映画は終わっていきます。

 

原作を知るものにも十分期待に応える出来栄えで、シンプルな絵作りが余計な感情を生み出さずに素直にストーリーに入り込める。アニメは技術だけではないと言わんばかりの作劇のうまさにラストは素直に涙してしまいました。いい映画でした。

 

 

映画感想「フラッグ・デイ 父を想う日」「なまいきシャルロット」

「フラッグ・デイ 父を想う日」

アメリカのジャーナリストジェニファー・ヴォーゲルの実話なのですが、脚本がいいのか演出の構成が上手いのか、想像以上にい映画でした。ドキュメンタリータッチとホームムービー風の映像を駆使し、現代と過去のフラッシュバックや細かいカット割が良いテンポを生み出して、クソみたいな男の話しながら、ラストは哀愁さえ感じてしまいました。監督はショーン・ペン

 

一台の車をヘリコプターやパトカーが追っている。1992年、ジャーナリストのジェニファーが警察官から父ジョンのことを聞いている場面から映画は始まります。精巧な偽札を作ったという嫌疑で警察に追われていたという話が語られ、物語は1969年に遡ります。幼いジェニファーは弟のニック、母パティ、そして愛する父ジョンと暮らしていた。ジェニファーは父を慕っていたものの、父は頻繁に行方をくらませては戻ってくりという毎日だった。ジョンは国旗記念日=フラッグ・デイ生まれでそれが彼にプライドに結びついているのかも知れなかった。それでも、ジェニファーは父ジョンとの思い出は忘れられなかった。

 

定職につかず、夢のようなことばかり追い続けるジョンに嫌気がさし、妻のパティは苛立ちを募らせ、とうとうジョンと別居することになる。二人の子供を抱えての日々にストレスが溜まっていくパティは酒に溺れ、ジェニファーたちは父と暮らすと家を出ていく。次第にジェニファーの毎日も荒れ始めてくる。

 

高校生になった頃、父ジョンが行方が分からなくなり、ジェニファーたちは母の元へ戻るが。母は愛人の男と暮らしていた。ある夜、ジェニファーはその愛人に襲われかかり、切れたジェニファーは一人家を飛び出し、父ジョンを探して一緒に暮らしたいと申し出る。戸惑うジョンだが、ジェニファーを受け入れしばらく暮らし、ちゃんと仕事をするからと面接を受けてサラリーマンになったとジェニファーに話す。しかし、それが嘘だとわかる一方、またいつもの癖で夢ばかり追い求める父を見ていたジェニファーだが、とうとうジョンは銀行強盗をして15年の刑に服することになる。

 

ジェニファーは、これまでの自堕落な生活をぬける決心をし、ドラッグ中毒の禁断症状も克服、父が残してくれた金をもとにしてジャーナリストになるべくミネソタ大学を受ける。父が犯罪者であることを最初は隠したが、学長はジェニファーの目標を応援する。やがてジェニファーはジャーナリストとして独り立ちし、各地を転々とし始める。ジョンはジェニファーに再三手紙を出すも全く返事がなかった。そんな頃、ミネソタ州で奇形のカエルが発見され、水質汚染であろうと突き止めたジェニファーは、その事件を追い始める。

 

ある時、ジョンがジェニファーの会社を訪ねてくる。かつてジェニファーらが子供の頃暮らした湖のそばのコテージを借りたから行こうという。最初は躊躇したが、ジェニファーはジョンの思いを遂げてやる。しかし、ジョンは全く以前と変わらず、ジェニファーに見栄を張った嘘をつく。そんな父に飽き飽きしたジェニファーはその場を立ち去る。

 

この日、ジェニファーは、排水汚染を起こしているらしい会社の幹部の取材をしていた。ジェニファーの追求に、幹部の男は電話をするために席を立つ。テレビに一台の車を追っているパトカーの映像が映る。追われているのは偽札を偽造した犯人ジョン・ヴォーゲル、父だった。ジェニファーは画面に釘付けになるが、追われていた車は横転して、中から血だらけの父が出てくる。ジェニファーには幼い頃から優しかった父の姿がフラッシュバックされる。父は持っていたピストルをこめかみに当て自殺、映像は冒頭の警察官の場面となる。こうして映画は終わっていきます。

 

ジョンが撮っていたホームムービーの映像や、手持ちカメラのようなドキュメンタリータッチの画面を挿入しながら、時々ハットするような美しい画面も映し出し、夢ばかり追って生活力のない一人の男と、それでも慕ってしまう一人の娘のどうしようもないお話にどこか切ない哀愁を生み出していきます。ミネソタの道端にあるカカシのような看板の文句や、ジェニファーが大事にしているペンダントなどの小道具もさりげなくスパイスになっていて良い。ただ、ニックやパティのことはほとんどなおざりにした描写や、汚染事件があざとく挿入される間の悪さもあり、決して出来のいい映画ではないかもしれないけれど、見て良い映画だったなあと思える一本でした。

 

「なまいきシャルロット」

思わず踊り出したくなるような、テンポが良くて瑞々しい青春映画の傑作。とにかくテーマ曲が心地いいのですが、史上最年少でセザール賞新人女優賞をとったシャルロット・ゲンズブールはもちろんですが手の届かないほどの天才少女として登場するクロチルド・ボードンの可愛らしさもずば抜けています。主人公シャルロットの一夏の恋、自由、不安それぞれがテンポよく綴られていて、とっても楽しかったです。監督はクロード・ミレール

 

軽快なテーマ曲に乗せてタイトルが流れ、カットが変わると、プール、明日から夏休みというこの日、13歳のシャルロットは飛び込みの授業に出ているが、先生の掛け声にうまく飛び込めないまま膝を擦りむいてしまう。ケガの手当てをして帰ろうとすると視聴覚室でピアノ演奏の映像を視聴している授業に出くわす。教師に誘われて、その場面を見ることができたシャルロットは、画面の中で軽やかにピアノを弾く天才少女クララに魅了されてしまう。彼女もシャルロットと同じ歳だった。

 

明日からバカンスで、兄は友達と出かけてしまう、近所に年下で病気の友達ルルがシャルロットの家に泊まりに来ておしゃべりをするが、年下のルルに苛立ちを覚えたりする。ルルと二人で散歩に行き、たまたまクララが乗った車に道を聞かれる。数日後に開催されるコンサートにきていたクララは、ピアノの椅子を修理するための工場を探していた。憧れのクララに出会って胸が高鳴るシャルロット。

 

工場で二言三言クララと言葉を交わしたシャルロットはもっと親しくなりたいと願う。工場に勤める青年ジャンと知り合ったシャルロットは、ジャンが椅子を届けにいく車に乗せてもらい、クララの海辺の邸宅に行く。そこはシャルロットと明らかに違うほどに裕福な大邸宅で、別世界だった。しかも、クララから付き人になって欲しいと言われた上、パーティに招待される。しかし、結局パーティではそそくさと帰ってきたシャルロットだが夢見心地になっていた。

 

そんなシャルロットに、メイドのレオーヌもルルも反応は冷ややかだった。所詮叶わぬ夢を見ているだけだとレオーヌはシャルロットを諭すが、聞く耳を持たないシャルロットは、クララと旅に出る準備を着々と進める。密かにジャンにも惹かれていたシャルロットは、ジャンに誘われて彼の部屋を訪ねた際、ジャンに押し倒され、思わず傍のジャンが大事にしている地球儀の置物で殴って逃げてくる。一方で、シャルロットは何度もクララの家に電話をするがいつも留守電で伝言を残すだけだった。

 

やがてコンサートの日、シャルロットはルルやレオーナと会場へ行く。シャルロットは、コンサートの後クララの付き人として一緒に旅に出ると本気で思っていた。しかし、コンサートが始まり、突然ルルが客席から「シャルロットと行かないで!」大声を出したために三人は会場を追い出してしまう。

 

落ち込んだシャルロットは、舞台袖に行き、演奏が終わったクララを見つめる。そばにきたマネージャーのサムに、付人の話を聞いている旨話すが、クララに伝えてくれたものの、結局クララは車に乗りシャルロットに微笑みを返しただけで帰っていく。所詮、シャルロットの夢だった。しかも、コンサートの帰りルルは倒れてしまい、シャルロットはルルの病院に行った。

 

何かがシャルロットの胸の中で弾けた。クララへの夢はただ自分が自由になりたかっただけなのだと。そしてこの日ジャンは船に乗るために旅に出る。こうして映画は終わります。

 

とにかく、踊り出してしまうほどテンポの良い作品で、映画全体があまりにも瑞々しくて透明感にあふれています。本当に心に残る一本に出会った気がしました。

映画感想「勾留」

「勾留」

面白かった。取調室で淡々と進むストーリーが時に外に出るかと思うと元の部屋に戻り、過去をフラッシュバックさせるかと思うと、現実に戻る。次第に現実か幻覚かわからなくなっていきながら、真相に迫って物語は終わるかと思えば、実はどんでん返しがあり、さらに悲劇が締めくくる。サスペンス映画の常道かもしれないが、フィルムノワールを思わせるような絵作りも面白い映画でした。監督はクロード・ミレール

 

晦日の夜、雨が屋根を打っている映像からカメラはゆっくりと警察署内の取調室へと入っていく。ガリマン刑事が一人の容疑者を取り調べている。海辺で幼い少女が絞殺暴行されていたのだ。さらに、近くの森の林の溝の中にもう一人の少女が同じく殺されていた。確たる証拠はないのだが、容疑者マルティンをじわじわと追い詰めていくガリマン刑事。傍でベルモン刑事が供述書をタイプしている。ガリマン刑事が席を立ったすきにベルモン刑事はたまりかねて容疑者に暴行を働いたりするが容疑者は自白しない。

 

一騒動をおさめたガリマン刑事のところに容疑者の妻がやってくる。彼女と二人きりで話すガリマンは、十年前のクリスマスの日、マルティンは、幼い姪を女として口説いていたのを目撃したことを告げる。それ以来夫婦の関係は途絶えているのだという。取調室に戻ったガリマン刑事にマルティンは、妻がおそらく話したであろうクリスマスの出来事を告白して、二人の少女を殺したことを自白し始める。

 

ガリマン刑事は帰りかけるマルティンの妻と会い、マルティンが自白を始めたことを告げる。ガリマンが外に出ると、盗難に遭って事故を起こされた車を搬送する現場に出くわす。この車のエピソードが物語の前半で出てきていた。さりげなくその車を見た一人の警官がトランクから血が流れているのを発見、中を開くと二体の少女の死体があった。真犯人はこの車の持ち主だったのだ。ガリマンは飛んで戻り、マリティンと車の盗難届に来ている男の姿をブラインド越しに見る。釈放されたマルティンは妻が待つ車に乗るが妻はピストル自殺していた。マリティンは思わずガリマンに叫ぶ。こうして映画は終わる。

 

若干無理のある展開もないわけではないのですが、そのあたりを吹っ飛ばして一気にラストのどんでん返しに持ち込む手腕はなかなか面白い。大晦日の夜に始まり元旦の朝に終わる時間設定や、雨がシトシトとふり続ける暗い場面が、フィルムノワールの空気感を感じさせます。ロミー・シュナイダー演じる容疑者の妻の存在感が妙に引き立ちすぎるので全体のバランスがやや崩れるのですが、面白い作品でした。