くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「ロッタちゃん はじめてのおつかい」(2Kリマスター版)「水平線」「アバウト・ライフ 幸せの選択肢」

「ロッタちゃん はじめてのおつかい」

たわいない子供映画かと思っていたら、思いの外楽しい映画だった。当時大ヒットしたのもうなずける作品でした。主人公ロッタちゃんの愛くるしさだけでなく、何気なく展開するエピソードに心温まる感動を覚えるし、街の人たちのさりげない物語に人間味溢れる叙情が漂います。スウェーデンという国柄もいいのかもしれませんが、見て損のない一本でした。監督はヨハンナ・ハルド。

 

5歳の女の子ロッタちゃんが可愛がっている豚のぬいぐるみバムセとベッドで目を覚ますところから映画は幕を開ける。ママがやって来て着替えを急かすが、兄のヨナスと姉のミアがロッタちゃんが可愛がっているぬいぐるみのバムセを殴ったと訴える。そんなのは夢よというママはロッタちゃんに早く着替えるようにと毛糸のセーターを出すが、ロッタちゃんはそれはチクチクするから嫌だと言い、ママが出て行った後、ハサミで切り刻んでしまう。そして階下に降りてママが用意したココアを飲もうかと思うが結局また二階へ上がる。

 

ママが出て行った後、ロッタちゃんは家出することに決めて、お隣のベルイおばさんの家に行く。ベルイおばさんは、ロッタちゃんのために物置に部屋を作ってくれる。そこへヨナスとミアもやって来てしばらく遊ぶが夕食だからとパパが迎えに来て行ってしまう。一人残ったロッタちゃんはベルイおばさんの用意した食事をして一人ベッドに入る。しかし、寂しくなってくる。そこへパパが迎えに来て、ロッタちゃんは大喜びでパパとママの家に戻る。

 

クリスマスが近いある日、ロッタちゃんは雪が降るようにと神様に頼んで、当日雪景色になる。ソリでスラロームができるからと一人通りを行ったり来たりするロッタちゃん。ママに頼まれて、ゴミ捨てと風邪で寝込んでいるベルイおばさんの家にパンを届けに行き、途中、ゴミとパンの袋を間違えて捨ててしまい大騒ぎ。

 

一方、雪が多くて木こりが森に入れずツリー不足の年で、ツリーが買えなかったロッタちゃんのパパはがっかりして戻ってくる。ツリーを飾るのを楽しみにしているヨナスもミアも泣いてしまう。ロッタちゃんはベルイおばさんの家に行き、お手伝いをして、ベルイおばさんに頼まれて雑誌を買いに行く。そこで、たまたまストックホルムに樅木を運ぶトラックを見かけ、分けて欲しいとロッタちゃんは頼むが断られ走り去る。ところがトラックから一本樅木が落ち、ロッタちゃんはお店の人に手伝ってもらって樅木を持って帰り、パパ、ママ、ヨナス、ミアを驚かせる。

 

復活祭の日、ロッタちゃんはヨナスやミアと魔法使いの格好で回るのを楽しみにしていたが、ヨナスたちは友達の誕生会に出かけてしまう。ロッタちゃんは仕方なくパシリスさんのお菓子屋さんに行くが、この町ではお菓子は売れないからとギリシャに帰る準備をしているパシリスさんに会う。しょんぼりするロッタちゃんを見たパシリスさんはクリスマスの売れ残りのお菓子をたくさん分けてくれる。

 

ロッタちゃんはそれをバムセおばさんの物置に隠す。そこへヨナスたちが戻って来て、みんなで魔法使いになってお菓子をもらいに近所を回るが、時すでに遅く何も残っていない。さらに、パシリスさんの店が閉店でパパは復活祭の卵も買えなかった。がっかりしたヨナスやミアを見ていたロッタちゃんはその夜、部屋を抜け出す。

 

翌朝、ヨナス、ミア、パパ、ママが庭に出ると。そこにはクリスマスの綺麗な包装をされたお菓子が所狭しと置かれていて、傍にうさぎの着ぐるみのようなコートを着たロッタちゃんが眠っていた。復活祭にくるうさぎの格好をし、うさぎもサンタもいるんだと言わんばかりのロッタちゃん。そこへギリシャに向かうパシリスさんの車が通り過ぎていく。それを見送るロッタちゃんのカットで映画は終わる。

 

とにかく微笑ましいほどに楽しくて、たわいのない日常のたわいのない出来事の数々なのですが、夢溢れている空気感がとっても良くて、日頃さりげなく見ている景色をもう一度見直したくなってしまう映画だった。

 

「水平線」

悪い映画ではないし、出来もそこそこなのですが、いかんせんテーマが暗いですね。それでも、自分たちの考え方の別の視点を突きつけられた衝撃はかすかにありました。災害や犯罪をいつまでも風化させないことが正しいのかどうか、その勇気あるテーマに臨んだ姿勢は見事だと思います。監督は小林且弥

 

福島県、散骨業の仕事をする井口真吾は、この日も旧友清一の船に乗せてもらい、依頼人の骨を海に流す用意をしている。遺族から預かった遺骨を細かく砕き固めて海に流すのが彼の仕事らしい。妻を東日本大震災で亡くし、娘奈生と大きな家で暮らす真吾は、毎日が後悔の日々だった。奈生は近くの水産加工所で働き、同僚でシングルマザーの河手と親しくしている。

 

ある日、松山といういかにも疲れた風貌の若者が散骨を依頼しにくる。真吾は、松山の書類が整っていなかったので遺骨だけ預かる。ところが後日一人のジャーナリスト風の男江田がやって来て、松山が預けた遺骨は横須賀連続殺傷事件の犯人のものだと告げる。そして、震災で遺族が亡くなっている海に殺人犯の骨を撒くことはどうかと問いかけてくる。真吾は無視するものの、江田は動画をアップしたり、殺傷事件の遺族を連れて来たりしてくる。以来、散骨の仕事がなくなり、奈生も職場で上司から注意されてしまう。地元の漁師も散骨による風評被害を恐れるようになる。

 

一方、河手がある日奈生に、三万円貸して欲しいと頼んでくる。アレルギーで苦しむ幼い息子を育てているのを知っていた奈生はなけなしの金を貸してやる。しかし、河手は時々仕事を休むようになる。奈生の同僚が、実は河手には子供などいないのではないかと言い、奈生は親友の沙帆と河手のアパートへ行く。しかしそこには幼い息子が留守番していた。奈生らが帰りかけると派手な音楽をかけた車が入れ違いに入ってくる。中から河手と若い男が出て来た。奈生は自身の考えに腹が立つが、そんなことで傷つく奈生は嫌いだと沙帆は言う。

 

真吾は江田に言われてとある工事現場へ向かっていた。あれから連絡がつかない松山がその現場で働いているのだと言う。真吾は遺骨を返却するべくやって来たのだが、必死で生きる松山を見て踵を返し帰っていく。真吾は遺骨を砕き散骨の準備をし、夜、車で外出する。江田が後を追うが、真吾は行きつけのスナックに行った風を装って親友に車を借りいつもの船の船長清一に無理を言って、船を借りて沖へ出る。そして殺人犯の遺骨を散骨してやる。

 

翌朝、漁業者らが真吾に詰め寄る。その帰り江田に引き止められた真吾は、風化させたくないと言う江田に、遺族らは悲しい思いを拭えず、早く風化させたいのだと言い返す。その言葉に江田は言葉が出なかった。真吾は溝ができた奈生を自宅に車で乗せて帰るが、奈生にこれまで頑張って来たことをねぎらい、自由に生きるように言う。そして、松山の散骨事件以来仕事が止まっていた散骨の作業場を開けて、依頼者の遺骨の処理を始める真吾の姿で映画は終わる。

 

テーマこそ暗いし、ジャーナリスト江田やSNSの使い方など一瞬嫌な雰囲気になりそうな映画だったが、描く視点は実に冷静で考えさせられる。一級品とは言えないかもしれないが、一見の値打ちはある映画だった。

 

「アバウト・ライフ 幸せの選択肢」

お話が面白くなりそうなのに、膨らみのないストーリー展開で、豪華キャストの割には、中身の薄っぺらい映画でした。監督はマイケル・ジェイコブス。

 

モノクロ画面での映画のワンシーンから物語は幕を開ける。感涙している一人の観客サム、それが気になる女性グレースは席を移動したサムの横に座る。二人は意気投合し、会話が弾んで、近くのモーテルに行きかけるが、居心地が悪く深夜レストランに行き、結局モーテルへ行くが気まずくなり散歩に出る。ここに高級ホテルのベッドで不倫を重ねて四ヶ月になるハワードとモニカ。モニカはセクシーな格好でハワードに迫るがハワードは話を逸せて、結局別れ話のようになってハワードは出ていく。友達の結婚式に出たミシェルはブーケを受け取る約束の場に立つが、受け取ったのは彼女の恋人のアレンで、二人は気まずくなり喧嘩別れしてしまう。

 

ミシェルは両親の実家に帰ってくる。なんと両親はハワードとグレース。一方アレンも実家に戻ってくるが両親はサムとモニカだった。ミシェルは恋人アレンとの経緯を両親に話し、アレンもミシェルとの経緯を両親に話す。そしてハワードとグレースはアレンとその両親を食事に招待することにする。

 

ハワードたちの家にやって来たサムたちは、あまりの偶然に驚きながらつきつ離れず奇妙な会話をしながらアレンとミシェルの結婚問題に触れ会話を繰り返す。ところがふとした会話から、サムとグレース、ハワードとモニカの関係がそれぞれにばれてしまう。ミシェルとアレンは両親がそんなこととは知らずにお互いの関係を修復する。ハワードやサムらもそれぞれの関係を理解したのか許したのか、クライマックスはアレンとミシェルの結婚式の場面、ハワードとグレースも定位置に、サムとモニカも定位置に立って、それなりに丸く収まって映画は終わる。

 

なんのウィットの効いた展開もない軽いタッチの古臭いアメリカンコメディという作品だった。もっと膨らませる才能があれば面白くなりんじゃないかと思ってしまう物足りない脚本という一本でした。

映画感想「ゴールド・ボーイ」

「ゴールド・ボーイ」

原作が弱いのか脚本が甘いのか、登場人物が全く生きた人間に見えない上に、それぞれの人物背景が全く感じられず、しかも小手先だけの展開を繰り返し、キレのない演出で目先の面白さだけを追いかけていく作品だった。役者陣も精彩がないし、怖さもサスペンスも感じられないとっても物足りない映画でした。監督は金子修介ですが、どうしたのだろうという作品でした。

 

沖縄の崖の観光地でしょうか、義理の両親を親切に案内する東昇の場面から映画は幕を開ける。体良く記念撮影した東は突然二人を崖から突き落とす。夏休みの終業式のある中学校の教室。一人の女生徒が自殺したらしく机に花が飾られている。そのクラスの安室朝陽が自宅で勉強してると、外に幼馴染の上間浩と義理の妹の夏月がやって来る。義父を刺して逃げてきたという。朝陽は二人を家に入れて泊めてやる。母の香は仕事で留守らしい。

 

朝陽、浩、夏月は街に出る。浩は不良らしく、恐喝して小遣いを手に入れ、三人でご飯を食べる。どうやら刺した義父は無事らしくニュースに出ない。三人は海岸で写真を撮るが、朝陽は間違えて動画撮影してしまう。ところがその動画に崖から突き落とす映像が映る。それは東昇が義父と義母を殺した映像だった。朝陽の家に朝陽が子供を殺したと落書きされ、父の打越一平が駆けつける。一平は今は別の女性と結婚して家を出ていたが、その女性の娘が冒頭で自殺したという女生徒で、朝陽に殺されたと一平の今の妻が言い張っていたのだ。

 

朝陽、浩、夏月はニュースで崖から転落した夫婦の報道を見て、その息子東昇の存在を知り、しかも転落した夫婦が大企業東コーポレーションの社長夫婦だった事から東昇を脅して金を取ろうと朝陽は提案する。そして東に接触し六千万要求するが、後日、東は入婿だからとりあえず六十万だけしかないと朝陽らに渡す。折しも、東の妻静が愛人と密会の後、車で事故を起こし死亡する。静と昇ら夫婦の仲は冷めていて離婚する予定だった。しかも、刑事の東巌は、東コーポレーションの関係者で公に捜査できないが、内密情報で静が覚醒剤を飲んでいたことを知る。

 

朝陽は東に接触し、静を殺したことを自白させ、殺し方を教えて欲しいという。朝陽は父一平の妻と一平を殺したいのだという。東は義両親殺害動画のデータと脅迫金をチャラにする条件で、浩と夏月、そして自分が一平らを殺し、埋める計画を立てる。朝陽は一番に疑われるから、補習授業に出てアリバイを作ることにする。墓地で一平ら夫婦を夏月と浩が巧みに接触して毒殺、東昇がすぐ見つからないように埋めたのだが、なぜか散歩中の犬に掘り出されてしまい、事件が明るみに出る。実は朝陽が事件が早く見つかるように掘り起こしていた。東巌は、次々起こる殺人事件を不審に思い、捜査を進める。

 

全てが終わった朝陽ら三人と東昇は東のマンションで祝杯をあげ、これを最後にそれぞれ会わないようにしようと言い合っていたが、突然、朝陽、浩、夏月が苦しみその場で死んでしまう。東昇が氷に毒を混ぜて三人に飲ませたのだ。一人悦に浸る東昇の首筋にナイフが突き立てられる、朝陽は東昇の計画を予測して、氷を飲まなかった。安室香から、朝陽らが東昇に会いに行ったと聞いた東巌がマンションに駆けつけるが、自分に刃物傷をつけた朝陽が助け求め、東巌は朝陽を介抱してやる。東巌は、朝陽の言動に不審を抱くが証拠がなかった。

 

自宅に戻った朝陽は全て終わってくつろいでいた。香が買い物に出ようとして、夏月から朝陽宛の手紙を見つける。朝陽がよく寝ているので、そっとその手紙を開くと、夏月によるこれまでの全ての告白文が載っていた。夏月は朝陽と恋愛関係になっていたのだ。香は東巌に電話をかけるが、そこへ朝陽が現れ、全てを告白し手紙を燃やす。しかし香の携帯は通話中のままだった。買い物に出た朝陽の前に東巌が立ち映画は終わる。エンドクレジットの後、「ゴールド・ボーイ2」のテロップが出てエンディング。

 

その場限りの面白さだけを追いかけていくなんとも稚拙な脚本で、冒頭のきっかけや、財産問題、さらには家族内の確執などはほとんどそっちのけでラストあたりでは全てどうでもいい流れで映画が終わる。あまりに出来が悪いので情けなくなってしまった。残念な映画でした。

 

 

映画感想「DUNE 砂の惑星PART2」

「DUNE 砂の惑星PART2」

SF超大作とはこういう映画だと言わんばかりの圧倒的な映像と壮大なドラマを堪能できる映画だった。とは言ってもPART1でも書いたが、ドラマ部分がやや持て余し気味に走ってしまうのが非常に残念。三時間近くかけたものの、クライマックスのスペクタクルが目立った反面、物語の奥深さは流石に原作を再現しきれていない気がします。もちろん作品は一級品ではあるのですが、あまりにも原作が素晴らしすぎるゆえに期待感が強すぎるのかもしれません。でも音響効果も見事で素晴らしい映像体験でした。監督はドゥニ・ヴィルヌーヴ

 

第一部で惑星アラキスを統治していたアトレイデス家の当主が皇帝とハルコンネン家に殺されアトレイデス家は滅んだかに見えたが、息子のポールと母ジェシカは砂漠の原住民フレメンの中に身を置くことになる。第二部では、フレメンの中でポールが次第に救世主=マフディあるいはリサーン=アル・ガイブとしてフレメンに信頼されていくのだが、一方で母ジェシカがベネ・ゲセリットであるため、人々を洗脳する力があり、その力も使うことでポールの存在感がフレメンの間に広まるようになるくだりから物語は始まる。

 

そんなポール自身も香料=メランジに触れることで未来を予知できるようになり、ジェシカのお腹にいる妹の存在を知ることになる。ポールはフレメンのリーダースティルガーの信頼を得てみるみる救世主としての存在感が強くなっていく。しかしアラキスを治め、メランジを採掘するハルコンネン家だが、フレメンの妨害で思うように収穫できずハルコンネン男爵を苛立たせている。そして、統治官のラッバーンを罷免し、弟で残虐性のあるフェイド=ラウサを新たに統治官として送り込む。

 

アラキスの北部地区でメランジを採掘しているハルコンネン家だが、アラキスの南部地方は砂嵐によって隔絶され人が住めないと言われていた。しかしそこには原理主義者と呼ばれる民族が住まいしサンドワームでのみ砂嵐の壁を越えて南部に行くことができた。ジェシカはサンドワームから採取した命の水を飲んでフレメンの教母としての地位につく。そして南部にさらに布教を進めるために旅立つ。

 

ポールたちはハルコンネン家のメランジ採掘を妨害する日々だったが、死んだと思っていた、父レト侯爵の部下ガーニィと再会したポールはスティルガーの思いもあって南部へ行きフレメンをまとめてハルコンネン家を追い出し、アラキスをフレメンのものにして緑の楽園を作るという理想を目指すことになる。サンドウォームも乗りこなせるようになったポールはフレメンのチャニとも愛し合うようになる。そしてポールに率いられたフレメンは南部を目指す。

 

南部に着いたポールは命の水を飲むがそれはある意味毒薬だった。ポールはベネ・ゲセリットの訓練を受けていたとはいえ瀕死の状態になってしまう。そこへチャニが砂漠の涙を加えた命の水をポールに与えるとポールは蘇り、未来を見通す力を完全に身につけて、ジェシカがハルコンネン男爵に娘であることを知る。ポールはハルコンネン家の男だった。フレメンの救世主となったポールは、ガーニィによって、アトレイデス家が密かに隠した核兵器の存在を知り、ハルコンネン家、さらに皇帝を倒すべく立ち上がる。

 

フレメンの救世主=マフディからの手紙をもらった皇帝はアラキスにやって来る。そしてハルコンネン男爵を殴打し、フレメンの救世主を撃つべく自らの軍隊サーダカーを差し向けて来る。ポールはアトレイデス家の核兵器を発射し、さらにサンドウォームを操ってハルコンネン家と皇帝軍を打ち破り、ハルコンネン男爵を殺す。最後に皇帝に退位をさらに皇帝の娘マーゴットを妃に迎えて自分は皇帝につくと迫る。ポールは決闘で決めようと提案、皇帝は自分の代わりにフェイド=ラウサが立たせる。そして死闘の末ポールが勝ち、皇帝に跪かせ、マーゴットを妃に迎える。その姿をチャニは寂しく見つめ、一人その場を去る。

 

空には大領連合の宇宙船が現れていた。ポールは攻撃するならメランジを全て核兵器で破壊すると脅し、自身の皇帝就任を認めさせようとするが、皇帝につくことは大領連合は認めず、ポールたちは大領連合との戦闘が開始されたことを自覚して映画は終わる。

 

原作の壮大なドラマを見事に映像に表現した醍醐味は十分すぎるほど味わえる超大作ですが、ポールがフレメンの中で成長していくくだりやハルコンネン家の苦悩、フェイド=ラウサのカリスマ感などの部分が描ききれず持て余し気味に見えるのがちょっと残念。しかし、大作映画を堪能するという意味では十分すぎる作品でした。

 

 

映画感想「犯罪都市 NO WAY OUT」

犯罪都市 NO WAY OUT」

大ヒットシリーズですが見たことがなかったので、一見のためと見にきたが、娯楽映画としては非常に雑な脚本とグチャグチャな展開で、上映時間の割にダラダラと長く感じる作品だった。マ・ドンソクのスター映画といえばそれまでですが、テレビレベルの映画でした。監督はイ・サンヨン。

 

麻薬取引の現場から物語が始まる。単独捜査していた刑事が捕まって殺され海に捨てられる。ソウルの広域捜査隊に転任してきたソクトは、ある女性転落事件に出くわす。その女性が合成麻薬の過剰摂取によるものと判明したことから、裏に日本のヤクザが関わっているのが見えて来る。

 

九龍警察署のやり手所長チュ・ソンチュルは地元の麻薬密売組織白鯨会を壊滅させたことで出世した人物だった。しかし、実は合成麻薬横流しによる暴利を貪っていた。取引先となるチャン会長との交渉で20キロの合成麻薬を受け渡す準備をしていたが、日系韓国人ヤクザのトモが合成麻薬を持ち逃げしたことで窮地に追い込まれる。一方日本のヤクザ一条会の会長は盗まれた麻薬を奪い返すべく殺し屋のリキを送り込んでくる。こうして20キロの麻薬を巡ってリキら日本ヤクザとチュ・ソンチュルら汚職警察官、さらにソクトら広域捜査官の三つ巴の捜査争奪戦が繰り広げられる。

 

いく先々で派手な捜査で突き進むソクトは、次第にその核心に近づいていく。そしてついにリキを倒し、チュ・ソンチュルにたどり着いたソクトらは一網打尽にしてハッピーエンドとなる。

 

マ・ドンソクのアクションのみが見せ場で、演出の面白さもストーリー展開の楽しさも全くないアナログで突っ走る映画で、これもまた娯楽映画の作りと割り切れば気楽に見ることができる。韓国映画の一つのスタイルかなと楽しみました。

映画感想「ポーカー・フェイス 裏切りのカード」「フィリピンパブ嬢の社会学」

「ポーカー・フェイス 裏切りのカード」

脚本、監督をしたラッセル・クロウの思いが強すぎて表現がついていかなかった感じの作品で、カット割もテンポが悪いし、ストーリーテリングも奇妙だし、何より、めちゃくちゃと言う出来栄えの映画だった。

 

美しい景色を背景に自転車に乗る若き日のジェイクと黒人のドリューの姿から映画は幕を開ける。そしてがけの上で他の友達アレックス、ポール、マイケルらとポーカーを始めるが、ジェイクが勝ったものの、金を払えないとマイケルが言い出し、崖から滝壺へ飛び降りたら10ドルやると言い合っているところへ、他の奴らがきて、ジェイクがポーカーで勝負をして大勝ちして勝ち逃げする。

 

ジェイクはある男と何やら深刻な話をし、ケースに入った薬らしきものを貰い受ける。時が経ち、オンラインポーカーゲームのソフトで大成功したジェイクが美術館で絵を見ていると、一人の女性が、ジェイクを絵にしたいからと近づいて来る。タワーマンションの屋上に住むジェイクは愛娘ニコールと後妻のレベッカに声をかけて出かける。一方、政治家になったポール、レベッカと不倫関係のアレックス、アル中で金に困っているマイケルはジェイクの自宅に呼ばれた。彼らはタワーマンションの地下で超高級車をあてがわれ向かうことになる。

 

海沿いの大邸宅にやってきた三人はジェイクに迎えられ、巨額のチップを与えられてポーカーを始める。しかし、あらかじめグラスにドクが塗られていたとジェイクが告白して、それぞれの真実を聞き出そうとするが、この展開がよくわからない。そんな頃、この邸宅の美術品を盗もうと泥棒のヴィクターらが仲間二人と乗り込んでくる。さらに、ジェイクは末期の膵臓癌が見つかったと言う診断書をニコールが発見し、レベッカと一緒に邸宅にやって来る。あれよあれよとめちゃくちゃになって来る。

 

ヴィクターらが侵入したのを知ったジェイク、アレックス、ポール、マイケルらは、避難部屋に入り、監視カメラでヴィクターらを追跡するが、そこへニコールらもやってきてヴィクターらに拉致されたのでジェイクらは反撃に出るために部屋を出る。ここからアクションかと思いきや、ジェイクはヴィクターに対峙し、グラスに塗った毒のことを話し、解毒剤が金庫にあるからと、金庫の金と、以前ある人物に貰い受けた毒薬の注射器を取り出す。ところがヴィクターがその薬を奪い、自分の太ももに刺して脱出するが毒が回り死んでしまう。他の泥棒たちはアレックスらに取り押さえられる。

 

タワーマンションのジェイクの自宅にアレックスらは集まっていた。すでにジェイクは亡くなり、弁護士が遺言書を開いている。それぞれの関係者にそれぞれに遺産が配分され、ジェイクの意味深なナレーション、冒頭のジェイクの絵を描きたいと言った女性が賞をとったらしくインタビューを受けている場面と共に映画は終わっていく。

 

B級でもC級でもない、出来の悪い映画という感じの一本で、物語が完全に破綻している作品でした。

 

「フィリピンパブ嬢の社会学

決して一級品の映画ではないのですが、映画全体がとっても明るくて心地よい空気に包まれているのがすごく良い。見ていていつの間にか自分のこれまでの考え方がちっぽけなのを実感するし、全く違うのですが、なぜか自身の若い頃の人生に重ねてしまうし、爽やかすぎる青春ラブストーリーという感じの映画でした。見て良かったなと思う一本でした。監督は白羽弥仁。

 

就職活動をするわけでもなく、なんとなく大学院に進んだ主人公前田翔太は、論文のテーマにフィリピンパブ嬢の研究をすることに決める。そして、とりあえず行動と思い、フィリピンパブになけなしのお金で向かう。そこで、遊び人のシバタと出会い、自分と同世代の女性をつけてもらう。やがて、そのパブで働くミカと出会う。

 

ミカは翔太より二歳年上だった。日本で働くために日本人と偽装結婚し、三年の契約の後はフリーになるという条件で少ない給料で働いていた。翔太はバイトで稼ぎながら可能な限りフィリピンパブに通うようになる。やがてミカの友達のアキとも出会い、次第にフィリピンパブで働く女性たちの姿が見えて来る。それは、世間一般で認識されているものよりずっと明るくたくましいものだった。

 

アキは妊娠してしまい、目立ってきたからと一旦フィリピンに帰ってしまう。その頃は翔太とミカは恋人として付き合うようになっていて、アキの部屋で逢瀬を重ね始めていた。ミカは休みをもらいフィリピンに一時帰国することになり、翔太も一緒についていく。そこでミカの家族に温かく迎えられ、ひとときの心の交流を楽しむ。

 

日本へ戻ってきた翔太はミカを両親に紹介するが、母の態度は戸惑いだけだった。そんな時、ミカが偽装結婚の離婚を店の会長から言い渡される。三年の契約までまだ時間がある中、戸惑うミカのために、翔太は会長に直談判する事にする。ヤクザだという認識で出向いた翔太は必死でミカの契約の事を詰め寄るが、会長という男は、半分脅しながらも円満に離婚を迫ってきた。その態度に絆された翔太もミカも素直に離婚届にサインする。その帰り、翔太はミカにプロポーズし、自身は通学しながら働き、やがて就職する。会長は実はヤクザではなかったが、結局警察の捜査で行方をくらまし、店も閉店した。こうして映画は終わる。エンドクレジットの後、実際の翔太とミカ、そして二人の子供の写真でエンディング。

 

たわいもない作品ですが、どこか憎めない上に、素直に胸が熱くなってしまいました。これも映画だなぁと思える一本でした。

映画感想「FEAST 狂宴」「52ヘルツのクジラたち」

「FEAST 狂宴」

題名から、もっと奇抜で、突拍子もない映画なのかと思ったら、崇高な宗教観を伴った、ちょっと高尚な作品だった。と思うが、果たして理解できているのかは自信がない。食をモチーフに人々の生きる道徳感や宗教観を俯瞰で見下ろすような映画だった。監督はブリランテ・メンドーサ。

 

フィリピンの市場、食堂を経営するアルフレッドと息子のラファエルが食材を選んでいる。高価な蟹を躊躇なく購入するところから、かなりの裕福な家庭らしい。一方、マティアスと娘も食事の材料を選んでいるが、高価なものに手が出ずに手に入れられるものを物色しているところから、どちらかというと貧しい家庭のようである。

 

買い物を終えたアルフレッド達はトラックで帰路についたが、ラファエルの娘アデリーヌから電話が入る。アルフレッドが一旦出るが、ラファエルに変わろうとする。彼らの前をマティアスと娘がバイクで走っていたが、娘が卵を忘れたというので急にUターンして引き返そうとする。そのタイミングでラファエルが電話に視線を移し、前のバイクを撥ねてしまう。

 

マティアスと娘は血だらけで横たわるが、アルフレッドはラファエルと運転を代わり、自分が運転していたことにしてその場を去る。自宅に戻り、レストランの準備をし始めるアルフレッド達。アルフレッドはラファエルに、被害者の親子の病院での様子を見に行くように言い、自分は妻エルースに事情を話し弁護士に相談する。マティアスはICUに入り意識がなかったが娘は軽傷で済んでいた。ラファエルはアルフレッドに言われた通り、治療代を立て替えて帰ってくる。マティアスの妻ニータは、延命処置を拒否してマティアス安楽死させてやる。

 

ニータは事故について告訴し、アルフレッドの家にも警察がやってくる。アルフレッドはラファエルに後を任せて自分は出頭する。ラファエルはニータの家に行き、自らキリストの磔の儀式を行い、ニータらを自身の食堂で雇うことになる。この展開はちょっと理解できない部分です。一方アルフレッドは二年から四年の禁固刑を言い渡される。

 

ニータ達家族はエルースの店で働き始め、安定した生活をするようになっていた。しかしラファエルは、ずっと罪悪感に苛まれていた。アルフレッドの兄夫婦の金婚式の食事会で、ニータやエルースは夫がいた頃の幸せな日々を回想する。ラファエルの元妻シェリーは娘のアデリーヌと暮らし、ラファエルとは別居していた。クリスマスの日、シェリーは新しい夫マルコと一緒に戻ってくる。そしてエルース達にプレゼントを渡し、アデリーヌにラファエルと過ごさせるが、帰り際、ラファエルはもう一度やり直そうとシェリーにいうがシェリーは受け入れなかった。

 

ラファエルは教会で事故を起こしたことを懺悔し、さらにニータにも真実を告白する。やがてアルフレッドが出所する日が来る。ニータはこれ以上ないくらい豪華な手料理を作ってアルフレッドを迎え、エルースやラファエルら家族は幸せを取り戻したように歓談、それを見つめるニータら家族の姿で映画は終わる。

 

罪を犯すことは仕方ないが、それを真摯に受け入れ、常に誠実に振る舞い、愛を持って人を愛すべきだというキリスト教の教えを映像として昇華させた感じの作品で、劇的なドラマよりも人間の心の静かなうねりを描いたちょっとしたハイレベルの作品だったと思います。

 

「52ヘルツのクジラたち」

原作がいいのかもしれないが、脚本の組み立ても絶妙の構成だし、演技陣の迫力が端役に至るまで圧巻で、どんどん物語に引き込まれ、深みのある物語に胸が締め付けられていきました。映画のクオリティは最近の成島出監督作品の中ではダントツだったと思いますが、いかんせん暗いのがたまに傷でしょうか。でもいい映画を見ました。

 

海に向かって六角形のベランダが伸びた一軒の家、ベランダの補修に来ている地元工務店の村岡に、この家に引っ越してきた貴瑚が休憩の声かけをして映画は始まる。この家にはかつて芸者上がりの婦人が住んでいたと村岡が言うので、それは自分の祖母だと答える貴瑚。桟橋に出た貴瑚はイヤフォンを耳にする。傍に岡田安吾が現れるが幻である。貴瑚が聞いているのは52ヘルツで歌う鯨の声だった。音域が高すぎて他のクジラに聞こえないのでその声で鳴くクジラは孤独なのだという。

 

突然の雨で駆け出した貴瑚は突然倒れてしまう。そこへ髪の長い少年が傘を差し掛ける。貴瑚が礼を言うが少年は声を出さないので自宅に連れ帰る。そしてお風呂に入れようち服を脱がせると、少年の体は傷だらけだった。貴瑚が問い詰めると少年はそのまま雨の中飛び出してしまう。貴瑚の腹にも刺し傷の跡があった。翌日、貴瑚が少年を探すが、通りかかった村岡から、多分琴美の子供だろうと言うことで琴美のバイトする食堂へ向かう。しかし琴美は自分に子供はいないと平然と答える。

 

後日、少年が一人貴瑚の所にやって来たので、貴瑚は少年を家に入れてやる。琴美の所に行った貴瑚だが琴美は男といちゃついているだけで、子供のことは知らないと貴瑚を罵倒する。

 

三年前に遡る。貴瑚は病気で寝たきりの義父の面倒を見ていたが、誤飲させてしまい病院へ連れていく。医師に誤飲肺炎を起こしていると言われる。それを聞いた母は貴瑚を殴り、父ではなくお前が死ねばいいと罵倒する。

 

死ぬつもりでフラフラ道を歩いていてトラックに轢かれかけた貴瑚は親友の牧岡美晴の職場の同僚岡田安吾に助けられる。美晴は貴瑚を飲みに誘い、貴瑚を励ます一方、安吾は貴瑚の境遇を改善するために力になると提案する。後日、三人は役所や施設を周り、貴瑚の義父の処遇を決めて貴瑚の母に会いにいき、貴瑚も家を出る決心をし、自分の名をキナコと呼ぶことにする。そしてその後、三人は何かにつけ親しく付き合い、いつしか貴瑚は安吾に好意を持つようになり告白するが安吾は大切な友達でいようと言う。安吾は実は女性で、ホルモン注射をして男性になろうとしていた。

 

現在、貴瑚は少年を引き取り、琴美以外の肉親を探すべく問い詰めると、ちさと言う女性の存在を知る。そんな時、突然姿をくらました貴瑚を探して美晴がやってくる。美晴は貴瑚が引き取った少年の世話を一緒にすると言って、ちさと言う女性を探しに行って家を見つけるが、向かいに住む女性から、ちさは少年の叔母にあたる人で、少年の名は愛と言うと言われる。ちさは抗がん剤治療をしていて、髪の毛がなくなったので、愛が髪の毛を伸ばして鬘を作ろうとしたらしい。琴美は愛の舌にタバコを押し付け、以来愛は話さなくなったらしい。琴美は手当をもらうために無理やり愛を連れ出したらしい。

 

二年前、貴瑚は配送センターで働いていたが、食堂で食事をしている際、同僚が喧嘩をしてそのとばっちりで大怪我をし入院してしまう。そこへ会社の専務をしている新名主税が見舞いにくる。まもなくして新名は貴瑚に告白し付き合うようになる。貴瑚は友人の美晴と安吾を紹介するが、新名は安吾に嫉妬するようになる。しかし、新名は貴瑚に高級マンションをプレゼントして順風満帆な人生になっていく。

 

一年前のある日、安吾は貴瑚を待ち伏せ、新名とは別れた方がいいと勧める。新名は貴瑚を不幸にすると言うのだ。しばらくして、新名は取引先の社長令嬢と婚約が決まったと言う噂が貴瑚の耳に入るが、新名は結婚しても貴瑚との関係は変わらないと抱きしめる。ところが、貴瑚の事を密告する手紙が新名の家に届き、婚約者もその両親も激怒し、新名は専務を解任されてしまう。新名は安吾が手紙を出したことを知り、実は女性である事を突き止め安吾の母典子を呼びつける。何も知らない典子は安吾の姿にショックを受け、長崎に一緒に帰ろうと提案、安吾も受け入れる。

 

貴瑚が安吾の家にやって来ると、外出していた典子に出迎えられる。そして部屋に入った貴瑚は安吾が書いたらしい遺書を見つける。安吾は浴室で自殺していた。安吾は新名宛にも遺書を残していた。貴瑚はバスの中でその遺書を読む。そこには新名に、貴瑚と別れて欲しい旨、それができないなら貴瑚だけを見て欲しいと書かれていた。自宅に戻ると、新名が酔い潰れていた。貴瑚を非難する新名に、貴瑚は安吾が自殺した事と新名宛の遺書を手渡す。しかし嫉妬心に取り憑かれた新名は遺書を焼いてしまう。貴瑚は包丁を取り自らの腹に突き刺す。

 

現在、貴瑚の家に村岡とその母サチエがやって来る。貴瑚が琴美の子供を預かっていることが噂になり、このままだと誘拐事件になると言うのだ。貴瑚と美晴は愛を養子にするべく奔走し始める。そんな貴瑚に愛は「キナコ」と貴瑚の愛称を呟く。貴瑚は桟橋で愛と一緒に鯨の声を聞いていると海の彼方に巨大な鯨が現れる。美晴と貴瑚は愛の髪の毛を切ってやる。この日、東京に戻る美晴を交え、村の人たちがバーベキューをしてくれた。貴瑚は美晴に、これからもずっと友達だと告げる。孤独な鯨たちはいつのまにか自分の声を聞いてくれる仲間を見つけたのだ。こうして映画は終わる。

 

もっともっといい映画になる余韻は残されているのですが、この作品はここまででも十分に原作のメッセージは表現できていると思います。ちょっと出るだけの西野七瀬も素晴らしいし、安吾役の志尊淳もなかなかの存在感、最近この手の役に出るようになった杉咲花も見事な演技を見せています。映画の出来栄えのバランスが実に良くて、なかなかの秀作だった気がしました。

 

映画感想「エマニエル夫人」(4Kレストア版)

「エマニエル夫人」

公開当時は映画館に入れない状況で結局劇場で見れなかった上に、まだまだ学生で躊躇していた話題作をこの年でようやく見ることができた。すでに五十年前の作品で、現代のように刺激過多の時代で見直すと、これという作品ではない物足りなさを感じるのは映画作品としての完成度は普通だったということかもしれません。淡々とし進む主人公の姓の成長の物語にそれほど官能的なショットも見られないし、ストーリーに魅力もない。写真家でもある監督ジャスト・ジャカンは、やはり映画監督としては凡人だったということかもしれません。

 

外交官である夫ジャンの赴任しているバンコクへやってくる妻エマニエルの姿から映画は幕を開ける。自由奔放に生きることを勧めるジャンは自らも女性と関係しているが心のどこかでエマニエルへの思いが強い。エマニエルは着いた途端、様々な女性が自由にSEXを楽しんでいる様を聞いて、その奔放さに圧倒されるものの、エマニエル自身も飛行機内で男性と関係を持ったりしてきた。バンコクに着いた後も様々な女性達と体を合わせるものの何か物足りなさを感じる。

 

パーティで一人の自立する女性ビーに関心を持ったエマニエルは、強引に彼女に着いていくがそれもまたエマニエルの求めるものではなかった。パーティで知り合ったマリアンヌにマリオを紹介されるが、老人にしか見えないマリオにエマニエルは興味が湧かなかった。しかし、ジャンが二日間の出張でエマニエルの元を離れる際、ジャンはマリオにエマニエルを預けることにする。

 

気乗りしないままマリオについていくエマニエルだが、マリオの語る本当の官能の世界に次第に言われるままに体を与えるようになっていく。浮浪者に身を任せ、麻薬巣窟でレイプされ、キックボクシングの試合の勝者に褒美として与えられるうちに、SEXの官能の喜びに次第に目覚めていく。そしてマリオに指示されるドレスを着たエマニエルは、鏡の前で、新しく生まれ変わった自分の姿を見つめて映画は終わる。

 

全編、甘ったるいテーマ曲に乗せて映像詩の如き演出で語られる物語は、芸術性を兼ね備えているとはいえ、それほどクオリティは高いと思えません。ただ、平凡な成人映画とは一線を画するという感覚は感じられた気がします。