「エマニエル夫人」
公開当時は映画館に入れない状況で結局劇場で見れなかった上に、まだまだ学生で躊躇していた話題作をこの年でようやく見ることができた。すでに五十年前の作品で、現代のように刺激過多の時代で見直すと、これという作品ではない物足りなさを感じるのは映画作品としての完成度は普通だったということかもしれません。淡々とし進む主人公の姓の成長の物語にそれほど官能的なショットも見られないし、ストーリーに魅力もない。写真家でもある監督ジャスト・ジャカンは、やはり映画監督としては凡人だったということかもしれません。
外交官である夫ジャンの赴任しているバンコクへやってくる妻エマニエルの姿から映画は幕を開ける。自由奔放に生きることを勧めるジャンは自らも女性と関係しているが心のどこかでエマニエルへの思いが強い。エマニエルは着いた途端、様々な女性が自由にSEXを楽しんでいる様を聞いて、その奔放さに圧倒されるものの、エマニエル自身も飛行機内で男性と関係を持ったりしてきた。バンコクに着いた後も様々な女性達と体を合わせるものの何か物足りなさを感じる。
パーティで一人の自立する女性ビーに関心を持ったエマニエルは、強引に彼女に着いていくがそれもまたエマニエルの求めるものではなかった。パーティで知り合ったマリアンヌにマリオを紹介されるが、老人にしか見えないマリオにエマニエルは興味が湧かなかった。しかし、ジャンが二日間の出張でエマニエルの元を離れる際、ジャンはマリオにエマニエルを預けることにする。
気乗りしないままマリオについていくエマニエルだが、マリオの語る本当の官能の世界に次第に言われるままに体を与えるようになっていく。浮浪者に身を任せ、麻薬巣窟でレイプされ、キックボクシングの試合の勝者に褒美として与えられるうちに、SEXの官能の喜びに次第に目覚めていく。そしてマリオに指示されるドレスを着たエマニエルは、鏡の前で、新しく生まれ変わった自分の姿を見つめて映画は終わる。
全編、甘ったるいテーマ曲に乗せて映像詩の如き演出で語られる物語は、芸術性を兼ね備えているとはいえ、それほどクオリティは高いと思えません。ただ、平凡な成人映画とは一線を画するという感覚は感じられた気がします。