くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「THE 有頂天ホテル」

THE有頂天ホテル三谷幸喜の作品には成功作品と失敗作品がある。それは事実なのだ。絶妙なリズムでストーリー展開させていく傑作とどこか躓きながらもところどころに見事な台詞のリズムを作り出している失敗作があるのだ。
当然、前者はとにかく楽しめるし、ラストシーンではじんわりと感動させてくれる。そして後者は流れがよどんでしまって、なかなか物語がリズムに乗って生き生きと進まない。

さて、本日見た「THE有頂天ホテル」はそのどちらになるのか。残念ながら私は後者に入ると思う。確かに、三谷流の見事な台詞の応酬はある。思わず、のめりこむほどに、掛け合い漫才のようにうならせるシーンもいくつかあるのに、その後、カツンと躓いてしまう。
もっと続けてほしいのに、続かない。そしてストーリーは次の段階に入ってしまって、結局そこでリズムが変わってしまうのだ。

そんなシーンが随所に存在するのがこの「THE有頂天ホテル」である。
篠原涼子の娼婦がなかなかいい。佐藤浩市との携帯カメラの写真を見せるくだりと、角野卓蔵との携帯写真の駆け引きの台詞の応酬は見事。篠原涼子が二人の名優を食ってしまっている。しかし、後が続かない。役所広司のシーンはまったく最低である。原田美枝子の前で別人になろうとするくだりも、本来は苦笑いをしながらもほほえましく見れないといけないのに、見にくく見えてしまう。このエピソードは最低。

西田敏行の存在感も今ひとつ描けていない。香取慎吾もだめ、津川雅彦もだめ。誰一人として生き生きしていないのである。やはり、グランドホテル物と呼ばれる群像劇は苦手なのだろうか。もっと、登場人物が生き生きとそれぞれの人生を見せながら、微妙に絡み合っていかないといけないのだ。前作「笑いの大学」はほとんど二人の登場人物のドラマだった。そこでは二人の登場人物が生き生きと描かれていたのに。

画面の作り方もワンシーンワンカットにこだわりながら作ったというが、何の意味があったのだろうか。もっと見事にカメラを動かさないとリズムが生れてこない。ワンシーンワンカット長回しをするために使うのではなく、流麗なリズムを作品の中に取り込むために使うのである。この点はクエンティン・タランティーノブライアン・デ・パルマなどの大監督のカメラワーク、さらにはヒッチコックなどの巨匠のワンシーンワンカットをもっと学ぶべきである。

ところどころにさすが三谷幸喜といえるすばらしいシーンがあるのに、全体がまとまっていないのが本当に残念な作品でした。