久しぶりの行定勲監督らしい作品に出会いました。
そもそも、私がこの監督を好きになったのが「きょうのできごと」。日常のさりげない風景の中に展開する若者たちの生活の断片がつづられた秀作。今回も非常にそのパターンの似た作品でした。
ひとつの小さなアパートにルームシェアリングして暮らす男女四人の物語。出だしは小出恵介扮する良介がそのアパートで目覚め同居人の琴美(貫地谷しほり)との掛け合いの会話から始まります。この軽妙な、しかもどこかさめた中に繰り広げられる会話がなんとも心地いい。
やがてそこに一人の若者サトル(林遺都)が入ってきて、入り乱れながら何気ないチャットルームのような部屋で日常が写されていきます。「きょうのできごと」でも使われたテレビのニュースシーン、最近このあたりで繰り返し起こる女性を狙った襲撃事件がところどころに挿入されます。
健康オタクの直輝(藤原竜也)、イラストレーターでマイペースの未来(香里奈)などが物語りに絡んできて、隣に住むいかがわしい住人の話題などが挿入されてさりげない日常が、お互い干渉せずというと快適なセンスで表現されていくので、ほのぼのしているようで非常にドライな物語に仕上がっています。
直輝が走るシーンのバックにリズムのある音楽を繰り返し、どこか不思議な感覚とどこか寒気のするような冷たいムードが同居人たちの心のつながりがあるかのような連帯感覚と対照的に演出される行定勲監督の意図はなんとも殺伐とした若者像として完成されています。
特にこの作品の秀逸さは演じる俳優たちに若手の芸達者を一同に集め、見事な会話の応酬と掛け合いが抜群の効果を挙げていることです。とりわけ貫地谷しほりの演技が抜群で、ユーモアがあるようで生真面目、一方で物悲しげな女心を見事に演じています。彼女が出るシーンが非常に生き生きしていて、それを見るだけでもこの映画を見た甲斐があったというものでした。
もう一本はなんと初入場、第七芸術劇場まで足をのばして「つむじ風食堂の夜」
篠原哲雄監督は嫌いではないし、「秋深き」が抜群に好きな映画なので、その八嶋智人主演でもあり、遠方出かけたのです。
出だしからの印象は宮沢賢治の大人のファンタジーを思わせるものでした。
函館の夜のたたずまいの中にひっそり立つちょっとレトロな食堂、そこへ主人公の雨降らしの男性(八嶋智人」がやってきます。どこか不思議な内装が施していて、入ってくる彼を興味深げにお客さんが目で追います。一人の男(帽子屋)が立ち上がり手に持った万歩計で「これは二重空間移動装置であり、ここと別のところに同時に存在できるものです・・」といってなにやら楽しそうに講釈を始める。その不思議な様子を見つめる八嶋。
そして男がでていった後、窓の外をみると突然そこは夜の海辺、帽子屋がいっていたとおり二重空間移動しているかのごときファンタジックな世界。思わず追いかけてその万歩計を求めようとする八嶋。
こうして導入部が終わると、後はこの食堂に集まる様々な人たちを通じてのどこか夢あふれ、どこかファンタジックな、そしてどこか不思議な物語が始まります。
八嶋の父は手品師で、幼い日の父の思い出なども挿入され、一方で市電の走る函館の夜の町並みが映し出され幻想的な展開が続いていくのは篠原哲雄お得意の場面ですね。
途中、ちょっとしつこいくらいの哲学論が交わされるので、このあたりのテンポはいただけませんが、全体にまぁ、嫌いな作品とはいえないできばえだったと思います。ラストはもう一工夫ほしかったかな。、