くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「ディア・ドクター」

ディア・ドクター

世の中には、免許というものを持っていないとできない仕事がたくさんある。ある意味で勉強をして免許さえ取ればできる仕事がたくさんあるということである。
この映画を見るにあたって、言葉の意味、職業の意味、生、死それぞれの意味、何もかもをただ形だけで捉えていては決して、この映画の良さはわからないかもしれない。

免許さえあれば医師になれる。つまり、医師として周りから認められ、頼られるのである。そこに人間の盲点がある。「持っている」といわれることで信用してしまうということ、医師と自称すれば当然持っていると思って疑わないことである。

しかし、果たしてそれが正しいことなのだろうか?ひとつの目安として、知識を試すために免許制度がある。しかし、その結果生まれたのは、形だけの医師なのだ。
検査結果をコンピューターで解析し、勉強した知識だけで判断をする。そんな、あるいみ、特に技量の必要のない医師が今はたくさんいる。

この映画は無医村で慕われる一人の偽医師を通じて、物事の本当を語る作品である。しかも演じるのは、免許などが存在せず、その技量だけが資格である落語家という職業を持つ笑福亭鶴瓶。ここが面白いキャスティングでもある。
前作「ゆれる」ではかなり鋭い犯罪サスペンスの色を持たせた作品を発表した西川美和監督であるが、今回は1人の詐欺師を通じて、物事の本当を語る作品に仕上げた。

非常に静かに展開する西川美和演出は「ゆれる」でも、その中盤あたりまでは凡々たる展開である。この作品も、前半三分の一はある意味で平凡な展開を見せるのであるが、現在と二ヶ月前を交互に挿入し、徐々に物語の本質へと引き込んでいく。そして、いつの間にか、この映画がただの無医村の医師の物語であるではないことに気がつき始めてからは一気に核心に引き込まれ、そして、なんともいえない感動と、問題意識が心に芽生えてラストシーンを迎える。

新鋭のエリート医師を演じる井川遙がいうラストのせりふ「もしあの先生なら母をどのように死なせたのだろう」というのがこの作品のすべてではないかと思います。医術と医師、技術や知識の意味、何もかもが形にとらわれてしまった現代の私たちへの疑問なのではないでしょうか。
いい映画でした