くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「プリンセス ダイアナ」「スペンサー ダイアナの決意」「もっと超越したところへ。」

「プリンセス ダイアナ」

1981年チャールズ皇太子との婚約から1996年の死までを描くドキュメンタリー。どちら側からでもなく、ストレートな映像で綴った画面は素直にこちらに出来事が伝わってきて好感なドキュメンタリーでした。監督はエド・パーキンズ。

 

手持ちカメラ、リッツホテルでのダイアナとチャールズ皇太子の婚約の話題で盛り上がる喧騒を捉えて映画は始まります。後は、婚約、結婚、出産、その後の破局が丁寧な映像で描かれて行きます。

 

チャールズ皇太子の不倫騒動、ダイアナの恋、皇室から追われながらも慈善活動に奔走するダイアナ妃。そして、悲劇の事故からの死、葬儀の場面で映画は終わります。

 

果たして、ダイアナの行動が悪かったのか、皇室が冷たかったのか、チャールズ皇太子が悪かったのか、はたまた報道メディアが悪かったのか、そのどこにも視点を向けていません。その時々の英国民の姿を交えることで、人間の心情を素直に描いて行きます。ドキュメンタリー映画としてどうなのか私はわかりませんが、見終わって、一人の女性の人生に素直に感動を覚えた気がします。そこには、汚れたさまざまは全て洗い流されたのではないかと思います。

 

「スペンサー ダイアナの決意」

1991年のダイアナ妃のクリスマスの三日間を描く作品。これは良かった。映像のテンポと言い、画面作りといい、演出と言い、全ては映画になっています。あくまでフィクションですが、監督が感じているイギリス王室の姿、ダイアナの苦悩をダイアナが体験するクリスマスの三日間を通じて暴き出して行きます。映像の中には、後日亡くなるダイアナの伏線、揺れ動くイギリス王室も現実を垣間見せて行きます。さらに、ダイアナを演じたクリスティン・スチュワートが抜群に素晴らしく、全編彼女が映画を牽引して行きます。予想以上の傑作でした。監督はパブロ・ラライン

 

この映画は、悲劇の事実を元にした寓話であるとテロップ、そして遥か彼方に見える道に軍のトラックが走ってくる場面から映画は幕を開ける。時は1991年、ダイアナの生家の近くにある別荘サンドリンガム・ハウスで、クリスマスパーティが行われることになり、イギリス王室の面々が集まってくる。軍の車が運んできたのは食材で、シェフのダレンがそれを開く。

 

カメラが変わると一台のポル車に乗るダイアナの姿。道に迷ったらしく、近くのカフェに寄って道を聞く。しばらく行くと、知り合いのシェフダレンと出会う。そばに、父が作ったカカシを見つけて、ダイアナはそれに着せてあるコートを剥がして持って行く。サンドリンガム・ハウスには、女王をはじめチャールズ皇太子、ダイアナの息子たちも到着するが、ダイアナは現れない。ようやく着いたカットから、食事が終わったカットへ。ダイアナの異常に緊張する姿が描写される。

 

ダイアナの衣装を担当するのは、かつてダイアナにスペンサー家で衣裳担当していたマギーだったのでダイアナは安心する。そして苦痛の三日間が始まり、ダイアナは部屋にいても廊下を歩いていても、誰かの視線を感じていた。この館の執事としてやってきた男グレゴリーが何かにつけダイアナのそばに現れる。

 

ダイアナのベッドに傍に、アン・ブーリンの本が置かれていた。アン・ブーリンというのは、不貞を責められて斬首されたいわゆる1000日のアンのことだった。その姿にダイアナは自分を重ねてしまう。チャールズ皇太子は不倫をしていることは明らかだが王室の人たちは何事もないように振る舞い、さらに王室はダイアナを無視するような行動を続ける。孤独のどん底のダイアナは食事も食べられず何度も吐いてしまう。それさえも、どこから知られたのかチャールズ皇太子から責められる。

 

クリスマスイヴをなんと描く過ごすが、ダイアナは深夜に子供たちを起こしてささやかな自分達だけのクリスマスをする。衣装さえも全て決められたダイアナは、チャールズ皇太子から、彼が愛人に送ったのと同じ真珠の首飾りを贈られ、食事の場面でそれを引きちぎり食べるという幻覚さえ描かれる。ところが、チャールズ皇太子の指示でマギーはロンドンに帰され、ますます孤独に苛まれるダイアナはクリスマス当日、夕食をすっぽかして生家に深夜出かけていく。そこで、階段から身を躍らせようとするが、アンの亡霊が彼女を止める。それをきっかけにダイアナはある決心をする。

 

幼い日を思い出し、自由に飛び立とうとするダイアナは、少女時代、思春期時代、婚約時代とダイアナの衣装が変化して行く。クリスマスの翌日、チャールズ皇太子は子供たちも連れてキジウチに出かける。子供たちはキジ撃ちが嫌いだとダイアナは知っていたがチャールズ皇太子は受け入れようとしなかったのだ。

 

チャールズ皇太子の指示でマギーが戻され、ダイアナと再会。マギーはダイアナのことが好きだったと告白したりする。その後、マギーに送ってもらったダイアナは、キジを撃っているチャールズ皇太子らの前に飛び出し、退いてほしければ子供たちを渡しなさいと叫ぶ。チャールズ皇太子はその許可を与え、子供たちはダイアナに元へ走る。

 

ダイアナは子供たちと共に自分の車に乗り、荷物を乗せてロンドンへ帰って行く。途中、ハンバーガー店にドライブスルーで入る。名前を聞かれたダイアナはスペンサーだと答える。ロンドン橋にの見える河岸でハンバーガーを食べながら、全てを解き放すダイアナの姿、というか今はスペンサーに戻った彼女の姿があった。アン・ブーリンの本をグレゴリーが本棚に戻し、冒頭でダイアナが剥いだカカシのコートにダイアナの黄色のドレスがかかっていたりというカットでエンディング。

 

映画としての画面作りも素晴らしく、心象風景を映像に昇華していく演出が素晴らしい。追い詰められるダイアナがマギーの幻に握手してしまったり、アン・ブーリンの本に重ねてみたりした末に、決意したダイアナが子供の頃からの姿に変身していく演出も素晴らしい。なかなか見応え十分な秀作でした。

 

 

「もっと超越したところへ。」

かなり雑多な脚本と、薄っぺらい演技が鼻につく作品で、舞台劇の域を出きれなかった映像作品という感じの映画で、舞台演出そのままのノリをスクリーンに叩きつける感じが実にスケールが小さい。結局、ラストも舞台劇で処理せざるを得ないという感性の乏しさは実に残念だし、映像的な思い切りのない抑えた濡れ場演出もなんとも言えなく頼りないので、映画全体に迫力が失せてしまった感じでした。監督は根本宗子。

 

スーパーで米を買うのに迷う真知子の姿、風俗店で役者の卵のような男慎太郎とSEXする七瀬、いかにも整理できていない部屋で目覚める美和、おかまの富と付き合っている鈴の姿と、四つのぎこちない恋愛シーンから映画は幕を開ける。時は2020年、コロナ禍が始まろうとしていた。美和は突然体調を崩し、泰造は右往左往する。Twitterの書き込みで、中学時代の友達怜人と再会した真知子は、怜人を家に連れてくる。そんな四人の男女の恋愛劇が同じテンポで入れ替わり立ち替わり描かれるが、時間のリズム感が悪いのか、場面が切り替わるたびに映像のテンポが止まってしまう。

 

ある程度お話が進んだ後、時は2018年に遡る。そこでは鈴の相手は慎太郎でも真知子の相手は富、七瀬の相手は泰造で、美和の相手は怜人である。しかし、それぞれがうまくいかず別れてしまい時は2020年に戻る。必要だったのかこのフラッシュバックという感じです。しかし、何事も自分勝手な怜人、鈴、慎太郎、富に女性たちは切れてしまいとうとう追い出してしまう。

 

ところが、このまま終わるにはなんとも良くないと真知子が叫び、三人は美和の部屋へ。そしてセットの垣根が取れ、四人の女性は、あんな男でも受け入れられれば一緒に暮らしてもいいじゃないかとなって、四人で時間を戻し、男たちが出ていく寸前に戻って、もう一度やり直す流れとなって映画は終わる。まあ、作りようによっては面白いはずだが映画にならずにエンディング。

 

いかにも舞台劇、いかにも描き割りにまま、いかにもが連続した演出がなんとも芸がなく、映画で見る作品ではないだろうという仕上がりの一本でした。もっと作りようがあると思うのですがちょっと残念な映画でした。