くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「幸せはシャンソニア劇場から」

幸せはシャンソニア劇場から

<ラストシーンに触れています>
実に美しい、そして、どのワンシーンをとっても絵画にしたいようなファンタジックな画面を堪能できた映画でした。
古きよきフランス映画、ルネ・クレールマルセル・カルネが活躍していた頃のフランスの町並み、そして、路地や建物の微妙に狭いそれでいて美しい曲線と斜めの構図の世界が見事に現代作品に蘇えった感じでした。

いきなり主人公ビゴワル(ジェラール・ジュニョ)のアップから物語が始まります。どうやらこの主人公、人を殺したようで警察に尋問されています。その返答の中で、やがて物語は1935年のパリの下町(架空の街フォブール)へ。まるでおとぎ話のようなフォブールの遠景からカメラはずーーとワンシーンでひとつの劇場(シャンソニア劇場)へと入っていきます。今まさに大晦日、今夜の出し物がかかろうとする楽屋、舞台、客席とカメラがぐんぐんと追いかけていく。そしてこの物語の登場人物たちの紹介が入ります。ところが、この劇場、借金で風前の灯、劇場主のところへの最後通牒が届き、舞台での1936年を告げる歓声とともに劇場主はピストル自殺。そして、タイトルが出ます。

まさに夢のファンタジー世界へ観客をいざなう素晴らしい導入部。しかも名カメラマントム・スターンと町並みや舞台をデザインした美術のジャン・ラバスの力量が遺憾なく発揮されています。

やがて物語は5ヵ月後、すでにシャンソニア劇場は閉鎖され、舞台芸人や裏方たちは職を失って、その日暮らしの生活。若いミルー(演じる俳優クロヴィス・コルニアックはディカプリオにどことなく似ている)は労働運動に躍起になり、60年近く裏方を務めた主人公ビゴワレは酒を飲んですごしています。その息子ジュジュは町でアコーデオンを弾きながらの浮浪生活で父の生活を見る毎日。このあたり、世界大恐慌がヨーロッパに波及した頃で、労働運動の彷彿とヒトラーの登場がそれとなく挿入されている脚本は見事です。

しかし、1人の芸人ジャッキーが勝手にシャンソニア劇場を占拠したところから物語は中盤へ。いまや新しい劇場主になったギャラビアの抵抗をもともせずに一ヶ月の猶予をもらって、再起をかけます。そこへ登場するのがこの映画のヒロインドゥース(ノラ・アルネデゼール)。一目ぼれしたギャラビアの推薦で司会役に採用するも、大人気。しかし彼女以外の芸人はまったく売れず、当のドゥーズもやがて大劇場へ引き抜かれます。

こうして中盤が過ぎ、息子ジョジョとビゴワレの物語、ドゥーズの母の恋人で今は引きこもっているピアニスト「ラジオ男」の登場で、物語は後半からクライマックスへと進みます。
ドゥーズの凱旋で新しい劇場は大繁盛、さらにピアニストの最新の感覚から生み出される音楽(作曲のラインハルト・ワーグナーの曲それぞれが素晴らしい)と新感覚の出し物は大ヒットして一気に劇場は活況を呈するのです。まるでアメリカのレビュー時代のミュージカルを思わせる舞台が次々と上演され、歌声が響き、人々が笑う、まさにヨーロッパ的な陽気な世界が見事に演出されます。しかし、その盛況がかえって巴里際の夜の悲劇へとつながることになります。

クリストフ・バラティエ監督の演出は時に、長廻しのワンシーンワンカットと、美しい画面の構図を見事にスクリーンに描写し、まるでヨーロッパ絵画の世界のような美しい町並みや建物、人と人の配置の美しさとともに時を忘れます。
パリの下町の情感あふれる人々の姿、歌声、生き様はまさに古きよき「天井桟敷の人々」「巴里の屋根の下」を思わせる懐かしさが漂い、久しくお目にかからなかった懐かしいヨーロッパ映画の世界がかもし出されて、うっとりしてしまいます。

やがて、冒頭に説明された殺人の場面へと物語が進むと映画はクライマックス。画面はいままでの美しい色彩画面からどこかグレー色を思わせる背景を映し、ちぎれた国旗の赤と白が、これから起こる悲劇を予感させます。
ビゴワレは逮捕され、求刑が。そして、10年余り経った雪の日、刑期を終えたビゴワレは街に戻ってきます。

劇場はフォブール36と名を変え、息子ジョジョが座長を務めて大盛況。
雪の中、劇場の前で一人座るビゴワレの姿を俯瞰でカメラが遠のき、真紅のカーテンが引かれて映画が終わる。

一夜の夢を見ていたような不思議な物語、ファンタジーでもあるものの、第二次大戦の戦火が迫るパリの風情もそれとなく挿入した秀逸な脚本は見る人に「映画とは総合芸術だ」と言わしめますね。
いい映画です。これが本当に映画芸術かもしれませんね