くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「獄(ひとや)に咲く花」「半分の月がのぼる空」

獄(ひとや)に咲く花

テレビの必殺シリーズで、見事な光と影の映像美の世界を作り上げた東映京都撮影所のカメラマン石原興が監督をした時代劇である。

とにかく、うつくしい。
隅々までこだわった見事な画面作り。水や雪、花、木々、枯葉などを効果的に描写し、作り上げられた映像美術の世界は見る人を引き込んでくれる魅力があります。

しかも、背後に流れる枯葉の舞う自然の音や、和音で奏でられる美しい音楽の効果も抜群で、これこそ日本映画の醍醐味といわんばかりに圧倒的な美学で物語を描写していきます。

さらに、カメラの動きも時に引いた画面に次のシーンの人物を挿入したり、長回しで這うように捕らえていく移動撮影、左右対称の獄舎の閉じられた世界と、大きく俯瞰で捕らえる外の世界の対比など、カメラワークもすばらしいです。

物語は吉田松陰が藩の牢獄“野山獄”に収監されていた頃の日々を、女囚・高須久との切ない恋を軸に久の目を通して描き出していきます。吉田松陰のカリスマ的な存在感と、対するたった一人の女囚高須久との絶妙のやり取りと、かすかににおわせるプラトニックなラブストーリーがつつましやかな日本の在りし日をスクリーンに奏でていく様は見ていてうっとりしてしまいます。

さらに一緒に収監されている他の囚人たちの憎めないほどの個性あふれる面々もこの映画の見所でしょうか?

演ずる俳優陣は誰もが芸達者をそろえ、それぞれの存在感をしっかりと示す一方で主演の二人の影を決して隠してしまわないつつましさがなんとも好感度です。

前半部分、ややスローモーションを多用しすぎた感がないでもありませんが、さすがに東映スタッフの熟練された職人芸の世界はそれだけでもこの映画を見た甲斐があったというものです。

もちろん、ストーリー展開も非常に丁寧で、生真面目にラストシーンまで人間ドラマを描いていく演出も並ではなりません。優れた一本といえると思います。


もう一本「半分の月がのぼる空
真夜中の商店街、二台のバイクが走ってくる。乗っているのは悪ガキ二人、そしてその後を自転車に乗って大声で追いかけてくるパジャマ姿の少年。カメラはそんな様子を手前からそして向こうへ走る姿を延々と撮る。
主人公の少年裕一は肝炎で入院しているのだが、夜中に抜け出しては友人と遊んでいるのである。この冒頭のシーンから引き込まれる。

病室の点呼の時間に滑り込みで駆け戻るが、そんなことはとうに知っている看護婦の亜希子先生は罰として一人の患者の遊び相手になるようにと提案。実はその患者とは9年間心臓の病で入院生活をしている裕一と同年の少女里香だった。

物語はこの二人の純愛ドラマを中心に進むのですが、平行して大泉洋扮する心臓外科医夏川の苦悩する姿を描いていきます。

裕一のちょっととぼけた不良少年と薄幸の里香の物語は単純な悲恋物語で進むかに見えるが、カメラはこの二人を16ミリフィルムか、あるいは好感度フィルムによるものか、非常に粒子の粗い映像と手持ちカメラで追いかけていく。このシーンの数々が非常に新鮮で、まるでホームビデオを見ているかのごとくであるが、この映像の意味が終盤にわかるのである。

本当の恋いがなんたるかも自覚なく、まるで教室でのやりとりのように病院で繰り返されるこの二人のあふれんばかりのエネルギッシュさは、みていて心地よいくらいに爽快で、じめじめした悲しい物語などみじんも感じられない純粋さがあふれている。人によれば9年も入院生活をする心臓病の少女があんなに走り回れるものかというかもしれないが、それは物語と割り切るべきであろう。

一方で語られる夏川医師、心臓病で妻を亡くし、二度とメスを握らないと決めている外科医の姿は、どこかで若い二人と交わっていくのだろうと思いながらその苦悩する姿を追い求めていくが、あるワンシーンで一気に一つに交わる。この展開が見事なストーリーテリングである。
<以下ネタバレ>
退院する裕一を見送る里香、少しでも延命するべく東京の病院へ転院し手術する決心をした彼女に、夏川が声をかける、と振り返った少女は里香ではない。実は夏川は裕一が大人になった姿だった。

一気に物語は一つに結びつき、過去を振り返りながら、裕一と里香のここまでの人生が語られ始める。ここからが後半三分の一である。今までの手持ちカメラの雰囲気は消え、現代を語るカメラ演出に変わる。ただ、フラッシュバックするシーンは以前のままという綿密に考えられた演出がなされているのは見事です。

苦悩の末、再びメスを握ることになるところで、もう一度、学生時代の二人に戻ってエンディング。見事な秀作でした