くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「あにいもうと」「橋のない川」「橋のない川第二部」

あにいもうと

あにいもうと
成瀬巳喜男版のリメイク作品である。が、こちらも評価の高い一本。
とっても優しい、いい映画でした。

口よりも手が先でる兄伊之吉(草刈正雄)と東京でおなかに赤ちゃんができたのに男に捨てられて戻ってくるもん(秋吉久美子)、そして近所の若者に恋いこがれながら、その若者が今一つ勇気がないためにうまくいかないさん(池上季実子)の三人の兄弟の物語。

子供の頃はかわいがった妹もんが家に帰ってきてだらだら寝そべっているシーンから映画が始まる。その妹をことあるごとに悪態をつく伊之吉であるが、画面はこの兄がもんを思う気持ちからひとときも視点をはずさない。

いなくなったもんを写真を持ってトルコ外を探す伊之吉の姿、かつての男が謝りにやってくると呼び止めて痛めつけずに入られない伊之吉。その不器用な兄の行動と反してさんの純情可憐な恋物語が平行する。そこに、何とも存在感のある賀原夏子扮する母親のりきがやさしく、親心にあふれた演技で三人に接する。これまた怒鳴るばかりの父親が一番存在感が薄いが、これもまたにじみ出てくる愛情が画面にあふれる。

子供が流産し、すれた女なってきたもんに伊之吉は狂ったように罵倒、それに負けじと言い返すもん、そしてもんとさんが一緒に帰り道を歩いているとダンプに乗った伊之吉が通る。「どこまで行くんだ」といって二人を乗せ「たまには顔を出せよ」とつぶやく、たばこの煙の中涙ぐむもんのストップモーションで映画が終わるが、このほんのわずかなラストシーンで一気に感情が解放され涙ぐんでいる自分がいました。ああいい映画だったなぁ。

秋吉久美子さん、池上季実子さんは当時大好きな女優さんでした。今も大活躍といえないのが非常に残念ですが、可憐な姿を再見できてうれしかったです。

橋のない川
(第一部)
遠い昔、小学校の上映会でみた作品ですが、さすがに、いくつかのシーンはしっかりと覚えていました。
今回、一部、二部両方みましたが本当に良かった。画面に食い入って4時間あまりを過ごしてしまいました。

原作の様々なエピソードを的確な配置と見事な間合いで描いていく八木保太郎の脚本の妙味がこの第一部を映画として鑑賞するポイントかもしれません。しかし、特筆したいのが北林谷栄伊藤雄之助という二人の怪優による驚くほどの名演技です。

映画の物語そっちのけでこの二人、特に伊藤雄之助の登場場面に引き込まれてしまう。

さて、映画はご存じ奈良の同和地区を舞台にした差別問題を扱った作品である。今井正のカメラは部落である小森村の人々のじっと世間を見据える視線をクローズアップでとらえるととともに、貧しくならざるを得ない部落の職業の実体もつぶさに描いていきます。ちらほらと登場する女教師の存在もまたその実体を語る道しるべとして登場する演出が見事。

物語の中心はこの村の畑中孝二と誠太郎、その母ふで(長山藍子)、祖母ぬい(北林谷栄)の物語で、彼らに絡んで伊藤雄之助ふんする藤作の物語、孝二と部落民でないまちえとの淡い物語などが絡んでくる

孝二とまちえの物語、藤作の家の火事のエピソード、そしてクライマックスの消防ポンプの競技のシーンへと一つ一つの物語がまさにその地区に足を踏み入れたかのようなリアリティで描かれる展開に息をのんでしまいます。

ラストシーンはカラー映像になり、真っ赤な夕日に去っていく小森村の人々のシーンに水平社設立のテロップが流れ、その夕日が日の丸の旗のようになって終わります。なるほど、名作だなとうならせられる。見事な一本でした。

(第二部)
そして第二部である。原作のテーマがテーマだけに、行き着く物語は水平社設立へと向かわざるを得ない。そのために、途中の畑中孝二の恋の物語や兄誠太郎と奉公先のいとはん安井あさ子とのかなわぬ恋の物語、さらには米騒動の話などドラマティックで見事な映像演出による部分は秀逸ではあるが、エピソードの一つとして作品全体に配置せざるを得ないのは難しいところだと思う。

結局、第一部の大成功を受けてこの膨大な原作をまとめあげることにならざるを得なくなり、終盤はダイジェストのような映像を挿入し、水平社設立にエンディングを向けざるを得なかった。

そんな中で伊雄雄之助扮する藤作のエピソード、北林谷栄の登場場面が実に生き生きとしているのはこれこそ俳優の圧倒的な存在感です。特に誠太郎があさ子との仲をさかれ、誠太郎、母のふで、祖母ぬいらで言い争う場面、かたくなに昔ながらの部落民の生き方を語る北林谷栄扮するぬいの姿は圧巻である。

さらに藤作が米騒動の渦中にはまりこんでい区エピソード、誠太郎がその機転で米騒動で店をつぶされるのを逃れる場面などはやや横道にそれかけているものの、しっかりと描ききってしまう。

しかし、未だに薄まったとはいえ根強い部落差別についてまだ世間ではふつうに語られていた1970年頃に、原作があるとはいえこの作品を二部に分けて完成させた今井正以下のスタッフの意気込み、さらにはおそらくそれほどのギャラもなく出演した俳優たちの意気込みは半端なものではなかっただろうと思います。

この作品が今の時代に上映される意義がどうのこうのというつもりはありません。映画作品としてのすばらしさは随所に見られる卓越したパンフォーカスのシーンであったり、カメラアングルや編集の妙味で見せる人間ドラマであったり、少なくなりつつある田園風景を美しくとらえた中尾駿一郎の見事なカメラであったりと至る所に見応えのある画面を発見することができます。

映画作品のレベルの高さもさることながら、今だに語られ根強く残る部落差別の物語こそがこの映画の真の値打ちであるかもしれないと思うのです。