くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「だれのものでもないチェレ」「ウィニングチケット -遥かな

だれのものでもないチェレ

「だれのもでもないチェレ」
約30年前のハンガリー映画の傑作である。今回ニュープリントリバイバルということで出かけた。

まるで叙情詩のような美しい画面から物語が始まる。広い広い草原の中夕日が赤い。一人の少女(最初少年と思った)が真っ裸で走っている、そばに牛が一頭。なにやら叫びながら牛を追う少女チェレの姿をカメラは見下ろすように近づいていく。美しい草原にざわめく草が美しく、ちらほらと見える野生の花が何とものどかで、いやされるほどに余情的である。

はしりまわるチェレを一人の男が捕まえ、なにやらいたずらをせんと抱きあげる。続く彼女の泣く姿、牛のそばに駆け寄り。やがて家らしいところへ。なにやらやたらつらく当たるその家の大人たち。なにがどうなのか全くわからない導入部だが、ちらほらと挿入される会話の中にこのチェレが孤児で、子供を引き取ると政府からお金がもらえるので農家が引きとったらしいことがわかる。しかも、無駄なお金を使わないために服さえも与えない。

こうして本編へ物語は進むが、時折クレーンカメラによる大きく引いたカメラワークがみられ、あたかも天から神が見下ろしているような錯覚さえ生まれてくる。一方で、抜けるように壮大な草原のシーンとのどかな農場の場面が、一方で農夫たちにいじめ抜かれるチェレの様子と相まって、何とも独特のストーリーが展開していく様は秀逸である。

耐えきれず、牛をつれて逃げ出すも、また別の農家に引き取られて同様の仕打ちを受ける。しかし、そこで出会った老人と心を通わすうちに、密かに自分の母が迎えに来るという希望を持ち始めるのである。このあたりから、このチェレへの感情移入は次第にピークを迎え、老人の死、そしてさらなる自分への死の恐怖はいつの間にか、天国へ導かれる自分の姿に重なってきて、切ないラストを迎える。

本当に見事な映画でした。


もう一本は同じくハンガリー映画「ウィニングチケット -遥かなるブダペスト-」

最初に1956年に起こったハンガリー動乱の説明がなされる。つまりこの動乱の知識がないとこの映画は十分理解しきれないのです。

ハンガリーがサッカー王国で、向かうところ敵なしの時代、たまたま書き間違えたサッカーくじが大あたりし、大金を手にした主人公ベーラ、しかし一般に考えるほど、その幸運は幸運ではないところがこの映画のみそなのです。
時を同じくして起こったハンガリー動乱、お金持ちが必ずしも羨望の的とはならず、また一方でソ連共産主義がはびこる中で、一般市民からは標的にされ、命の危険さえ目の当たりにするようになる。

使うに使えない大金を持ったベーラが様々な行動をとりながら、家族との人間関係を交え、当時のハンガリーの姿を浮き彫りにしていく展開となるのである。
ふつうなら、コミカルに展開するか、思い切り人生ドラマのような人間ドラマになるべきところなので、最初はなかなかのめり込めない。ここに、冒頭の解説が意味をなしてくるのである。

カメラワークがちょっと独創的で、二階の手すりにそってゆっくりと向かいの手すりを歩く主人公たちを移動撮影でとらえたり、危機一髪になったベーラの前にスターリン銅像が飛び込んできて、逃げ場を作り出したり、あるいは幻想的なアングルで被写体をとらえたりと、シュールな世界もかいま見られるのがこの映画のおもしろさでもあります。

エンディングは非常にショッキングで、一気に社会ドラマの様相を呈して終わりますが、ラストで再び工場に戻ったベーラがひたすらフォークリフトを乗り回すシーンは意味深いものがあります。

傑作、秀作とまではいかないまでも、深みのある作品であることは確かでした。