くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「クロッシング」「さらば箱舟」

クロッシング

クロッシング
キム・テギュン監督の脱北者を描いた話題作である。

非常に静かな音楽と地平線まで見渡す広いのどかな景色、そこにやさしそうな父ヨンスと息子ジュニ、そして妻の姿から映画が始まる。物語のテーマを知る私たちにとってこのあまりにも静かな、そして、非常にきれいな画面配置で見せるオープニングはいつの間にかこの厳しい現実を描いた作品に本気で引き込まれる魔力があります。

中国への渡航を繰り返す友人の家でジュニが出会う初恋のミソンの笑顔が本当に優しく、これが本当に北朝鮮の現実なのかと思わせられる。もちろん、厳しい労働実態、飢餓に苦しむ人々の姿は丁寧に描写されているので、重厚な映像はひしひしと伝わってくる。にもかかわらず、ささやかな幸福を見せるこの穏やかさにいつの間にか微笑んでいるのだ。

しかしこの作品の見事さはここからである。ヨンスの妻が結核だと知り、その薬を友人に頼むが、その友人は政府に捕らえられ、tれ去られる。絶望の中、日に日に弱る妻、差し迫る飢餓、愛犬さえも食用にせざるを得ない現実、そして行き着いた決断は、ヨンス自らが中国へ脱北し薬を手に入れて戻るという行動である。

ここから物語は一方でヨンスが脱北し、そこで労働をしながら必死でお金をためて戻る日を画策する日々と、父を待ちながら死の直前で必死に生きるジョニと母(ヨンスの妻)の姿を平行して描いていく。
時折、挿入される雨のシーンが象徴的にジョニにとってもヨンスにとっても希望への象徴のように描かれ、背後に流れる穏やかな音楽が一抹の幸せを私たちに与えてくれるが、交互して描かれるヨンスの逃亡劇の緊迫シーンの数々に必死で彼らを守ってほしいと願う私たちをおもいおこさせてくる。

やがて妻は死に、それをヨンスが電車を降りるところで電車の止まる瞬間と音楽の静止、動きの停止という絶妙の映像で見せるキム・テギュンの演出もまた秀逸である。

やがて、ジョニはミソンと出会いひと時の淡い恋物語も描かれるも、ミソンの死から、ジュニも脱北への物語へと進んでいく。
しかし、その後のあまりにも悲劇的な結末は、確かにいつもの韓国映画のごとく現実的な悲劇を描いているとはいえ、非常に全体の作品のリズムと構成の中である意味自然である。

ラストで再度ヨンスに降りしきる雨がこの映画のもっとも評価しうるエンディングとして位置づけられているのではないかと思う。
近年見た韓国映画のなかでは飛びぬけた傑作であり、いつものような稚拙なシーンも国柄からでる受け入れられないショットもない。明らかに韓国映画はそのレベルをみるみる上げてきている


「さらば箱舟」
寺山修司監督の映像詩である。といっても物語がないわけではなく、ある古びた村の旧家の一世紀にわたる物語を描いた物語である。しかし、出だしからシュールな、そして不思議な世界が展開する。

リアカーを引く主人公。リアカーの中には大量の柱時計が、そしてその柱時計を穴に捨ててしまったところから物語が始まるのである。
この村に時計は本家に一つだけあればいい、という信念で捨てられた時計。そんな村にすむ捨吉(山崎努)とその妻スエ(小川真由美)を中心にストーリーが展開していきます。

なぜか不気味な貞操帯をつけられ、交わることのできないこの夫婦。彼らをさげすみながら、古めかしい風習の中で暮らす村人たち。本家の当主大作(原田芳雄)。どれもこれもがまるで時代に取り残されたような不思議世界であり、描写される映像も何ともシュールで美しい。次々と男女の交わりのシーンも挿入されるが、独特の映像美の世界が映し出される。

具体的にコメントしづらいまさに映像詩である。

はらはらと飛び交う黄色い花びら。冥界と現世を結ぶ穴の存在。死んだはずの大作が捨吉の周りに現れる不気味さ、まるで「第七の封印」を思わせる捨吉と大作の碁を打つシーン。取り上げていたらきりがないが、どこかはまってしまう芸術世界である。
そして、そんな村に押し寄せてくる文明の波は一気にこの村を百年後にまで引きずっていってしまう。

ラストシーンの記念写真の場面はまるで、これがやはり遺作になってしまったといわんばかりの寺山修司の声が聞こえてくるようでした。

ちょっと、終盤は退屈になってきますが、癖になる映像世界ですね