くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「卍」「ジャライノール」

卍

「卍」(増村保造版)
素晴らしい。その一言につきる傑作でした。なんといっても鬼気迫る演技で画面に釘付けにする岸田今日子の迫力、果たして本当の姿はどこにあるのかという妖艶な魅力で迫る若尾文子の扮する光子、さらに頼りないながらも存在感のある不思議な迫力の船越英二、そして物語の中にくさびのごとく食い込んでくる川津祐介扮する栄次郎の不気味さ。まさに本物の俳優が演じた本物の映画の圧倒的な迫力が観客をつかんで話さない見事な一本でした。しかも新藤兼人の研ぎ澄まされるほどの省略された見事な脚本と女を描かせるとこれまた超一流の色気と力強さを醸し出す増村保造の演出が素晴らしいバランスで構成される完成度の高さは、これこそ名作という貫禄を見せつけてくれました。

映画が始まるといきなり岸田今日子扮する園子が三津田健扮する先生に語りかけている。
かつて自分が愛した一人の女性光子(若尾文子)との情炎きわまる物語、夫である孝太郎(船越英二)との確執、そして自殺するまでに至る物語を順番に語っていきます。

光子と交わした手紙の束がいろとりどりの便せんや封筒で示されていく。
絵画学校似通っていた園子がただ一人理想の女性と仰ぐ光子、彼女と偶然洗面所で出会ったことから二人は次第に不思議な愛の関係へとはまっていく。はじめてそのこの前で裸体になる光子のシーンの何とも若尾文子のかわいらしいこと。しかし、次第に情が深まるにつれて、夫孝太郎の嫉妬が不気味に園子に被さり、一方で栄次郎と情を交わし始める光子が魔性の女に変わる旅館でのシーンの不気味さ。さらに栄次郎に翻弄されながら、次第に孝太郎、光子、園子の不可思議な三角関係から、次第に園子夫婦が光子によって奴隷のごとく翻弄され、やがて三人で自殺を図るまでのなんとも妖艶きわまる谷崎潤一郎原作らしい耽美的な美学のすばらしさ。

これぞ増村保造演出の絶品と呼ばれる、さりげない間を取るようなショットが絶妙のタイミングで挿入されるかと思えば、岸田今日子がぐいぐいと迫力ある語り口で物語を牽引していく。そして、不気味さが怪しい妖艶に変わるストーリー展開を光子が漂わせていく下りの何とも言えないムード。全く、ここまで見事な展開がなしえるものかとうならせてくれます。

結局、孝太郎と光子だけが死んで、一人残された園子が、後追い自殺を思いとどまったいきさつを最後に語って映画は終わります。なんとも、うならせる一本とはこういうものをいうのでしょうね。素晴らしかった。


「ジャライノール」
もう一本見たのが中国映画。
何ともストーリーがつかみ所が無くて前半は眠くて眠くて仕方なかった。
全体に繰り広げられる広大とも言える地平線の彼方まで広がる大地のシーン、白夜を思わせるような空のショット、荒野の一角にある手作りのバスケットボールのゴール、など次々と展開されるドキュメンタリータッチのカメラワークにストーリー性を追い求めづらい作品でした。

映画が始まると、蒸気に煙る中で老齢の男と若者らしい男が汽車の運転席でビールを飲む。どうやらこの二人が主人公のようであるが、この二人が移動する空間がなんとも把握しづらくて、最後までわからなかった。

要するに定年を迎えようとするジュー(老齢の機関士)が子供達のところへ帰ろうとするのに、後輩のリーがついていくという物語らしい。そして、ジューが娘夫婦に出会ったところで一人リーは帰っていき、次の相棒とビールを酌み交わすラストシーンへつながるという内容であるようだ。

舞台がまずジャライノールというモンゴル自治区の一都市であることがわからなかったのが混乱のきっかけのようで、物語の途中で出てくる国境線のようなシーンはロシアとモンゴルの境界らしい。こうして解説を読むと地理関係も若干理解できて把握できるのだが、いかんせん映像を見ていただけでは全くわからなかったということは、日本人には理解しづらいということであろう。

ただ、汽車が走るショットや、リーが汽車を誘導するショット、蒸気にむせぶシーンなど一つ一つの画面作りやシーンごとの編集自体、並の凡作でないことは理解できた。作品としては優れている。それは認めるが、いかんせん、芸術的に偏りすぎている。やはり世界へ出すためには必要な演出説明も必要かなと思えなくもない。

ラストシーンはてっきり冒頭のシーンと同様ジューとリーの姿かと勘違いしてしまうし、途中で映される都会のシーンや歌を二人で歌う場面などを見ていると、実は空想の中のシーンなのかとさえ思えるのはやはり見ている私たちに国柄の知識が不足しているためといわざるを得ない。

見るべき一本だったかと思うが、その真価を理解し得ないままに見終わったという感じである。ゆっくり見直せばこの映画の良さをもういちど理解できるかもしれないが、もういちどみたいとも思わないというのも正直なところである。