「ヒアアフター」
クリント・イーストウッド監督も、今回はかなり詩的なファンタジーを作り上げた。
淡々と進む散文詩のような美しい演出を徹底した今回の映像はある意味、近年の作品に比べて静かすぎるために過小評価されているようです。
しかしながら、やはりイーストウッドの映画に対する感性は抜群であることは最後まで見終わると納得してしまいます。
死後の世界が見えるために悩む青年ジョージ(マット・デイモン)、死後の世界をかいま見たために誰かに伝えようと悩むメアリー(セシル・ド・フランス)そして、死後へ旅立った人との再会を熱望するマーカス少年。これらの人物たちのひとときの人生と心の悩みがまるで運命に操られ、いや至上の力によって引き寄せられていくクライマックスはまさに映画の醍醐味と言っていいと思います。
映画が始まると、バカンスに来ているマリーとその恋人。一夜を過ごした後の燦々とした太陽のなかに突然おそってくる巨大な津波。一気に飲み込まれるマリーはすんでのところで蘇生します。この冒頭のスペクタクルシーンがどこかファンタジックな映像で演出したイーストウッド監督は、この作品のこれからを予感させていきます。
舞台はロンドンへ、薬物依存の母と暮らす双子の兄弟。しかし、ふとしたことで兄が交通事故にあってしまう。
そして、舞台はアメリカ。死後の世界を見ることができる霊能力者のジェームズ。しかし、そんな自分の能力をのろい、自ら引退してふつうの仕事をしている。それでも兄や近しい人たちは何とかもう一度彼に復帰してほしいと願うが、そこにはどこかビジネスライクなところも見え隠れしている。
そんなある日、ロンドンで、マーカスはふとしたことで地下鉄の脱線事故を逃れる。ここからがこの作品の転換点なのだが、いかんせん、ここまでがちょっと長すぎるように思える。ここからクライマックスへなだれ込む展開は実に見事であるが、このバランスの悪さがちょっと、前半に疲れが出てしまう。強いて、この映画の弱点をあげるならこの脚本のバランス悪さでしょうか。
ラストシーン、マーカスの希望で兄と交信したジェームズはマーカスの機転でマリーの泊まっているホテルを知る。そして、手紙をフロントに言付け、待ち合わせのカフェに。
マリーを見かけたジェームズの心には、死後の世界ではなくマリーとキスをする自分の姿が映し出される。未来に向かって開かれたジェームズの心の解放で映画は幕を閉じる。美しい感動と呼べるラストシーンでした。
「英国王のスピーチ」
アカデミー賞を取った今年の話題作。さすがにアカデミー賞効果で満席でした。
テクニカルなカメラワークや音楽効果が横行する昨今の作品の中で非常にオーソドックスなカメラと演出で淡々と語っていく歴史的な感動の物語は、ある意味、地味でもあるけれども安心して主人公に感情移入できる秀作として完成されていました。
まず、この作品とアカデミー賞を争った「ソーシャルネットワーク」と比べると、やはり落ち着いた作品です。あちらがかなり現代的なテーマでしかもちょっと毒のある内容なのに対しこちらはヒューマンドラマ的な作品ゆえ、万人受けすると言えば言えるかもしれません。
物語は第二次大戦前、英国で開催された博覧会でのスピーチのシーンに始まります。開会式は王であるジョージ5世が、そして閉会式には息子であるジョージ6世がスピーチをするシーンへ。ところが5歳の頃から吃音だった彼はマイクを前にどもってしまいます。人々の視線が彼に注がれ彼がどぎまぎするシーンから映画が始まります。
様々なドクターの治療を受けるも回復せず、そんなある日平民であるローグを紹介されます。そして、彼の元で治療をするシーンの一方でジョージ6世の回りの人々のドラマ、王室の話、さらに迫りくるヒトラーの脅威が語られていきます。
そして、兄が王位を辞退するとジョージ6世が王位に。時は第二次大戦へと突入せんとする時代。ドイツとの戦線が開始され、ジョージ6世はイギリス国家としての意気込みをラジオを通じて演説するのがクライマックスです。
霧に煙るロンドンの風景を丁寧に画面に作り出し、だだっ広いほどの空間で見せる宮殿の姿、王に向けられる人々の視線など、平坦な中に独創的な画面を作り出したトム・フーパーの演出は劇的な物語と言うより、あまりにも身近に描いた王室の姿が実にアメリカ的で人間ドラマとして完成させようとした意図が見事に開花していたと思います。
ただ、アカデミー作品賞他に輝くほどの名編かというとそこまで貫禄があるのかはちょっと疑問ですね。確かに良い映画ですが、「ソーシャルネットワーク」のほうが貫禄があるように思いました、