ヤスミラ・ジュバニッチ監督の演出は静と動のシーンを大胆なカットでつないでいくスタイリッシュな映像表現で、こうした第三国の作品とは思えないほどの新鮮さを味わうことができました。
ボスニア紛争から15年の年月がたったサラエボの町を舞台に西洋的な考えで自由にそして恋愛をするカップル、アマルとルナ。お互い深い愛情で結ばれている二人は子供を授かることを願っています。しかし妊娠しない現実に悩む日々。
ある日、アルコール依存症のアマルは仕事を辞めさせられ、たまたま紛争の時の戦友と知り合ったのがきっかけでイスラム原理主義の厳格な規律にのめり込んでいきます。
そんなアマルの姿に必死で理解しようとするも受け入れられないルナの苦悩を描いていくのが本編です。
主人公のルナはスチュワーデスで、いわゆる最先端のキャリアウーマンである。一方で空港の管制官でもあったアマルもまた近代的な仕事をこなしていた。そこへ入り込んでくるイスラム教という厳格な宗教。
物語はこの二人の苦悩を中心に近代的な自由と厳格な宗教という伝統が入り組んだサラエボの現代を描いて、ルナがその狭間の中で決断するラストシーンへと進んでいきます。
静かな寝室のシーンがあるかと思うと突然激しい川下りのシーンが展開したりと、非常にリズムに激しさのある映像を繰り返していく。しかも、シーンの展開の中のセリフを最後まで完結させず紋切り型で次のカットへ進むという独特の編集パターンで描く映像は非常にオリジナリティにあふれています。
出だし、ハイテンポの歌と黒いタイトルバック、突然音がやんで主人公ルナが携帯で自分の体をとっている。この静と動のぶつかり合う演出が、シリアスな物語ながら、私たちの興味をしっかりとスクリーンに引きつけてくれます。
時に、ボスニア紛争の傷跡を登場人物の言葉の中に語らせるとともに、近代的な空港のシーンの一方で草原なモスクの景色を映し出す。
アマルの宗教感に共感し得ないと判断したルナ、しかし、ルナのおなかにはなんとアマルの子供がいることが判明します。しかし、どうしてもアマルに賛同できないルナはアマルに別れを告げて映画は終わります。
クライマックスでルナの友人と夜のサラエボの町の橋の袂で語るシーンが非常に美しく、かつて自由で明るい町だったサラエボへのノスタルジーを語らんとする監督の意図が明確に表現されるワンシーンです。
他国の人々には理解しがたいボスニア・ヘルツェゴビナという国の現状がその見事な表現によるストーリーテリングで観客に伝えられてくるところからも、この作品が並の出来映えでないことが伺えますね。非常にレベルの高い秀作だったと思います。主演のルナを演じたシュリンカ・ツヴェンテシッチという女優さんがとってもキュートでかわいらしいのが印象的でした。