くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「SOMEWHERE」「アメイジング・グレイス」

SOMEWHERE

「SOMEWHERE」
ソフィア・コッポラ監督久しぶりの作品は、何とも見事な完成度を備えた美しい、そして心に訴えかけてくる傑作でした。

主人公ジョニーは有名な俳優で、毎日を分刻みで生活をしている。彼にはレオナという別れた妻とその妻との間にクレオという11歳のかわいらしい娘がいる。物語は撮影中に手を骨折したジョンが、サマーキャンプまでクレオを預かり、ともに生活するうちに、本来の自分の目標を見つめなおしていくという物語だろうか?

映画がはじまるとフェラーリが広い場所をぐるぐると回っている。何度も何度も回った末に止まった車からでてきたのは主人公ジョニー。そして暗転、タイトル。
画面が変わると、ポールダンスをするセクシーな美女二人をベッドから見ているジョニーの姿。

ソフィア・コッポラ監督はとにかく音楽センスが抜群にすばらしい。洗練された映像表現に、非常にモダンでポップな音楽がかぶさって、しゃれた画面が次々と繰り返されていく画面づくりは全く絶妙である。

たまにしかあえない娘とのひとときを一生懸命過ごしていたジョニー。ある日、レオナから、しばらく出かけるのでキャンプまで娘を預かってほしいと連絡が入る。
ジョニーは、いくところいくところすべてにクレオを連れ回し、女性の誘惑にも娘のことを考えて控えるようになる。

少しづつ迫ってくるキャンプの日。一日でも長くいたいために、最後はヘリコプターで現地まで連れて行こうとする。そして見送った後、ジョニーはいったん戻るものの、クレオを送っていく途中の車でクレオが突然泣き出した様子を思い出し、一人すんでいたホテルをキャンセルしフェラーリにのってクレオの元へ?それとも妻の元へ?道ばたに車を放り出し、一人いずこへと亡く歩いていくショットでエンディングである。果たしてジョニーはどこへ向かったのか?妻の元へか、娘の元へか、それとも・・。今までの生活の象徴であるフェラーリを乗り捨てるという演出から、一人歩き出して終わらせるというエンディングのすばらしさに、この映画の真価が発揮される。まさに、ソフィア・コッポラ監督はすごいと思う。


アメイジング・グレイス
18世紀、イギリスの奴隷貿易を廃止するために奔走し、ついに法案成立、廃止に導いた実在の政治家ウィリアム・ウィルバーフォースの物語。この作品も実に素晴らしかった。
特に驚くような映像演出は見られないものの、一つ一つしっかりと描かれていくシーンの数々が非常にきまじめなイメージで丁寧にそのテーマを伝えてくれます。

主人公ウィリアムを演じたヨアン・グリフィスの存在感が抜群であるし、周囲を取り囲む演技陣の存在感もしっかりとしているために、実話としてのリアリティがくっきりと描かれていきます。
時の政治家たちの利害関係や、画策、さらにウィリアムの師であるジョンが作詞した「アメイジング・グレイス」の歌詞を心の支えにする主人公ウィリアムの苦悩、熱意、情熱、それぞれが実にきまじめに映像として、物語として展開していくのが非常に好感。

時々、亡霊のような奴隷の姿をウィリアムが見てしまう幻覚的なショットなども挿入されていますが、全体にイギリスのイギリスらしい静かな風景をバックに物語が紡がれていきます。
奴隷制度の悲惨さが、キャストの声でのみ伝えていくというスタイルは妙に説教じみていなくて、肩がこらないのも成功の原因かと思います。そして、そんな堅苦しさのない背景の中で主人公ウィリアムの命がけの熱意が切々と伝わってくるのでよけいに法案成立までの苦労がしっかりと胸に刻まれるのでしょうか。
良い映画でした。、