「音楽」
三島由紀夫の原作を、増村保造監督が唯一映画にした一本で、とにかく、しつこいほどにくどい映画だった。
ただシュールで面倒な女の話を、エロをふんだんに挿入して間延びさせて作った物語で、いったいどこへ行きつくのかと思わせる感覚に、最後までいらいらさせられてしまいました。
女の裸体に、はさみがかぶるタイトルバックからして、ただ、長い。そして、精神科の治療室にいる主人公の女と医者のシーンから本編に入り、不感症の女が、その原因を突き止め、恋人とハッピーエンドになるまでをえがいているが、終始陰湿な展開になる。
そして、やたら裸のシーンでつなぐあたりの安易さに、何ともいえない適当ささえ感じ、クライマックスの近親相姦の場面に至るや、嫌悪感さえ感じた。
これもまた増村監督作品なのである。三島由紀夫の異常な部分が、濃厚に表にでた凡作という映画でした。
「しびれくらげ」
倒産直前の大映作品らしい、半ばやけくそに近いような映画だった。確かに、増村監督得意の女の自立の物語だが、どうも、展開が一本調子で、引き立ってこない。
アル中でどうしようもない父をもつ主人公みどりが、エリートサラリーマンとの恋に崩れ、自暴自棄になるところにやくざに惚れられてて、なんとか、立ち直るが、すでにかつての面影もない強い女になってエンディング。
描きたい物はしっかり見えるし、ストーリー展開のスピード感は増村保造の色であるが、父親の姿が余りにもステロタイプ化されすぎて、映画がしょぼくれてみえる。いかにも人間味にかけるやくざの描き方も、映画のロマンにかけるし、リアリティという物ではない中途半端な迫力がたまらないのである。
増村保造は脚本の才能はなかったのではないかとさえ疑う一本だった。
「千羽鶴」
川端康成原作を新藤兼人が脚本を書いた作品だが、やはり、増村の情念は川端の繊細さとは折り合いが悪いように思えた。確かに新藤兼人の色が表にでたストーリー展開になっているが、そこに入った増村の演出は、ちょっと入り切れていない感じである。
物語は主人公が、これから向かう茶会の途中で、千羽鶴の風呂敷を持った女性とすれ違うところから始まる。主人公の父の愛人の女性二人と、主人公との色恋の世界が、増村らしい情念で描かれていくが、やはり川端康成のイメージと少し違う。
これという映像の迫力も見えなかったし、重苦しい若尾文子の存在感が際だつし、京マチ子の不気味さもおもしろいが、後の役者がやや線が細すぎて弱い感じがする。本来の主人公だった市川雷蔵だったら、変わっていたかもしれない。
作品の完成度としては、やはり川端康成ノーベル賞記念的な色合いが強い一本だった気がします。
「やくざ絶唱」
わかるのですが、とりとめもないクライマックスに正直参った。書きなぐって走り抜けたような脚本がとにかく良くない。この作品を傑作と評価する人もいるが、ある意味理解できなくもないのですが、私は無理でした。
物語は妾のこどもで、やくざの兄と真面目な高校生の妹の兄弟ドラマである。妹を溺愛する兄は、事あるごとに暴力を振るい、妹を守ろうとする。そんな兄に愛想をつかせ、反抗して強がりをする妹。
そこへ、父が迎えた養子との恋や、学校の先生との一夜、あるいは、やくざの島の争いに絡んでくる兄の姿などが描かれていく。
いったいどこへ進み、何を中心にしているのかつかめなくなってくる後半部分は、まさに末期の大映の姿そのものに見えてくる。
原作があるので、ストーリーの展開にどうこう言えないが、それでも、個人的にはいただけない一本でした。