くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「フレンチ・コネクション」「パレルモ・シューティング」

フレンチコネクション

フレンチ・コネクション
テレビでしか見ていなかった作品で、長年スクリーンでみたいと願っていた一本、ウィリアム・フリードキン監督の傑作をようやく大画面でみることができました。

フランスからの大量のヘロインの密輸。そのシンジケートの首領をとらえるべく、感とやや暴力的なドイル刑事と相棒のタフが追いつめていく様を描いた実話に基づくサスペンスアクションである。

この作品の名場面といえば、地下鉄が屋外へでて高架を失踪するところを下から車で猛スピードで追いかける電車と車のチェイスシーンである。

映画はいきなり真っ黒な画面にタイトルで始まる。このころの映画は実にメインタイトルが粋でありました。
そして、舞台はマルセイユ、一人の男がファーストフードをかじりながら路地を入って建物へ、ところが物陰からピストルが現れその男は射殺される。この撃った男が殺し矢で、後に主人公のドイル刑事をライフルでねらう展開となる。

ここにシャルニエという麻薬密輸の大ボスが居る。フランスからアメリカに大量のヘロインを送り込む段取りを模索中で、自分がひいきをするテレビタレントアンリを利用することを考えている。

そして舞台はブルックリンへ。やや粗暴で通称ポパイと呼ばれているドイル刑事(ジーン・ハックマン)と相棒のラソー(ロイ・シャイダー)。今日もチンピラの売人を捕まえて痛めつけた帰り、立ち寄ったバーで薬を売りさばくチンピラの傍らにいる見慣れない男を見つける。

大きな取引が近いというドイル刑事の感で彼らを張り込むことに。
そこへフランスからアンリとシャルニエが到着。ドイルは彼らにも執拗な追跡を開始する。

こうして物語がどんどん緊迫感を帯びてくる。ウィリアム・フリードキン監督というのはこのムードづくりが実にうまい監督で、さりげない子供のカットや乳母車を押す婦人のカットを挿入して緊迫感をさらにもり立てる演出をさりげなくこなします。後の「エクソシスト」でもこの見事なムードづくりが登場しますよね。

一方のシャルニエも警察からの尾行に気づき、巧みにその姿を隠そうとする。このやりとりが本当に手に汗握ります。
特にホテルからシャルニエをつけていったドイル刑事を地下鉄の構内で二度三度とトラップを仕掛けて結局まいてしまうシーンはすばらしい。

そしてシャルニエはこの凄腕と見たドイル刑事を殺すことにする。

ドイル刑事が公園を歩いている。ふと一人の婦人の横を通ったときにばーんという銃声で婦人が倒れる。すぐに自分がねらわれていると知ったドイル刑事が身を隠し、狙撃者を見つけて屋上へ、しかし狙撃者はすでに逃げて、それを追うドイル刑事、狙撃者は地下鉄へ、すんでのところで乗り遅れたドイル刑事は次の駅まで車を飛ばす。そして有名な車と列車のチェイスシーンが始まる。

線路のカット、地下鉄の運転手が心臓麻痺か倒れてしまい列車が暴走するカット、怪しいと思った地下鉄内の警官が狙撃種を追いつめるが撃ち殺されるカット、と緊張したシーンが次々と挿入される見事なシーンである。
そして、列車が追突して、何とか逃げた犯人はドイル刑事に射殺される。よくポスターになっているショットである。

そしていよいよ取引のクライマックス。ドイル刑事の感で一大の車を張り込む。しかし、犯人と思って車に近づいてきた男たちをとらえるもただの車窃盗犯、しかしこの車に薬がありと判断したドイル刑事とラソーは車を解体、もうこれ以上というところで車の重量に目を付けたラソー、再度調べて薬を見つけだす。

こうして、車の所有者アンリに取引の現場に車をさりげなくもどし、取引の現場へいかせる。そして、有名なラストシーン、廃墟に乗り込んで主だった犯人を捕まえ最後にシャルニエを追いつめたドイルは物陰から奥へ進み姿を消す。ダーンという銃声。果たして撃たれたのはどっちか?

しかしこの後に続く、今回の登場人物のその後の解説でドイル刑事たちは助かったことがわかります。

ドキュメンタリータッチのカメラワークも随所にちりばめ、これこそ映画編集の醍醐味といわせるほどの地下鉄と車のチェイスシーンを生み出し、数々の名場面に彩られたこれこそ傑作のなにふさわしい一遍でした。

パレルモ・シューティング」
音楽に合わせて映像が踊る。ひさしぶりに見事な音楽と映像のコラボレーションした芸術作品に出会いました。それに、一つ一つの画面の構図が実に美しい。ここまで完成させた映像演出ができるヴィム・ヴェンダースの力量に脱帽の一本でした。

ヴィム・ヴェンダース、ライナー・ファスビンダーヴェルナー・ヘルツォークなどニュージャーマンシネマの監督にはまったのは学生時代ですからすでに30年近く前になります。ヴィム・ヴェンダース作品も数本見ましたが、これほど映像派の監督であったという印象はありませんでしたが、今回の作品を見て、その豊かな絵画的な才能に驚きました。

パレルモの裏町の狭い路地のショットや、路地から出てくる羊、見上げたときの古い建築物のとらえ方、さらに広大に広がる郊外のショット、広がるように放牧された羊の群れ、意味ありげに語る丸めがねの羊飼いとのシーン、さりげなくとらえた景色の中にたたずむ主人公たちの姿のカットなどどれも息をのむ。しかもそんなシーンの数々を含めて背後に流れる音楽が映像のリズムを踊らせる上に、デジタル処理したテクニカルな映像がシュールな世界を描き出してくれる。これこそが映像芸術でしょうか。

真っ黒なネガフィルムをバックにメインタイトルが始まり、そして映像が映ると骸骨が並んでいる。ドキッとするファーストショットからこの作品は始まります。ゆっくりとカメラが流れていくとカーテンに映る時計。まるでヒッチコックの「白い恐怖」の夢のシーンを思わせる映像にはっとします。そしてカメラはゆっくりと主人公のフィンへ。大きく外に開いた窓にたつ半裸の主人公。どこかシュールなこのショットは本当にこの映画のイメージを示す見事なシーンです。

主人公フィンはプロのカメラマンで多忙な毎日を過ごしています。妻とは別れ話があるようでほんのすうカットの電話のやり取りで伺えます。今控えている仕事は妊娠八ヶ月を向かえたミラ・ジョヴォヴィッチの写真撮影。しかし、デジタル合成を駆使したフィンの写真の芸術はそういった商業写真とは一線を隔すものなので周囲からはほどほどにするようにいわれている。しかし、友人でもあるミの写真撮影をこなしたフィンはミラからもう一度撮影してほしいと頼まれる。大きなおなかをしたミラ・ジョヴォヴィッチのショットは生のイメージであり、これから始まるこの作品の死のイメージと対象をなすという実に巧妙な脚本構成であることに気づかされます。

多忙な仕事に疲れたフィンはある夜、高速を車で飛ばしていて、いつものように三百六十度のパノラマ写真のシャッターを切ろうとしたとたん対向車とぶつかりそうになり、その瞬間、対向車に乗っていた坊主頭の男と視線を合わせてしまう。
一方で激突したショットなども挿入され、どこか「世にも怪奇な物語」のフェリーニのエピソードを髣髴とさせるショットに圧倒されてしまいます。

それからというもの、街の交差点でぼんやりしているフィンに突然矢が飛んでくるという出来事が起こり始める。

灰色の頭巾をかぶったなぞの人物が突然フィンに向かって矢を放つショットは非常に不気味でありドキッとするほどの恐怖を覚えます。最初は眠ったときの悪夢の一部かと思えば、時に白日にそのシーンが現れ、飛んできた矢がふわっと消えたりと何かのイメージであることが次第にこちらに伝わってきます。それがフィンに対する死のイメージであると感じられ始め、時に迷路のような建物の怪談を逃げ隠れするフィンのシーンなども登場するにつれてどんどん、死がマジかに迫ったフィンの恐怖さえ覚えてくる展開にまるでベルイマンの「第七の封印」を思い出してしまいました。

最初はフィンのそばを通っていた矢はとうとうカメラを射落とす。次第に彼の体に迫ってくる矢のイメージがどんどんフィンを追い詰めていきます。

ところがある日、一人の女性フラビアと出会います。絵画の修復を仕事にする彼女と数日を過ごす中でも不気味な矢を放つ男は出てきますが、とうとう、その矢はフィンに命中したかと思うと彼は海へ落ちてしまう。すんでのところで助かった彼はフラビアの部屋に。こうしてやがて二人はベッドをともにしますが、その夢でフィンは自分を狙っていた坊主頭の男が死神であると知り、夢か幻の中で対面、会話を交わします。そして、死は免れないものだと伝える死神ですが、もう一度自分の肖像をカメラに収めよと命じて姿を消していく。目覚めるとフィンの目の前にフラビアの寝顔が。目覚めたフラビアは「私ね・・」と答えて映画は終わります。

日々の生活に死を間近に感じていたフィンはフラビアに出会って愛を再び知ることで生を勝ち得たラストシーン。不思議な感動を感じるエンディングでした。そして流れるエンドタイトルのネガフィルムには鮮やかな景色が写されていました。

エンドタイトルが終わるまで本当に映像と音楽がすばらしいリズムを生み出していて、描かれるシュールなイメージが不思議なひとつの作品となって結実しているできばえは近年まれに見る秀作であると思います。このレベルの映画を作れる監督は今のヨーロッパでも少ないでしょうね。見事でした