くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「アジアの純真」

アジアの純真

ロカルノ映画祭で絶賛され「白黒の奇跡」と呼ばれたものの、日本での公開が危ぶまれたいた作品。なるほどそのラストシーンを見れば納得するし、七芸でないと公開しづらいというのもうなずける一本でした。監督は片嶋一貴というひとです。

大学入試の模擬試験会場から映画が始まります。主人公の少年が写され、次のショットでどこかの高架下でカツ上げにあっている。2002年、小泉首相北朝鮮を訪問したというニュース音声が流れる。そこへ一人の少女が通りかかり、その少年を引っ張って救出、電車にかけ乗る。この勝ち気で前向きな少女に惹かれた少年は別れ際名前を聞くが「今度もし会えたら名前を教える」といって別れる。

そして、学校をさぼって来る日も来る日もその少女を待つ少年。家での団らんの場では北朝鮮に拉致された日本人が数名帰ってきたというニュース。北朝鮮にたいする憎々しげな意見を言う母のショット。

そしてある日、少年は向こうからやってくるあの少女をみつけるのだが、なんと北朝鮮のチュマチョゴリを身にまとっていた。思わず目をそらす少年。それに気がつく少女。次の瞬間、二人のガラの悪い男がその少女に近寄り罵倒したあげく誤ってナイフで刺してしまう。悲しそうに少年に助けを求める少女は必死で「私の名前はキム・ソング(間違っているかも)」と叫ぶが、やがて息を引き取ってしまう。
この導入部が本当にドキドキするほどにすばらしい。そしてここまでみて、この作品は純粋な青春ラブストーリーかと見間違えてしまう。

さて、キムの葬儀を隠れてみていた少年はそこで、彼女の双子の妹を見つける。そして、ある日その少女をつけていくのだが、その少女は少年を誘ってとある工事現場のようなところへ。昼は警備の男がいるので再度夜にでかける。そこはかつて戦争中北朝鮮の人間たちを殺すために軍が開発していた毒ガスが発見されたところだった。そして、この少女はスコップで少年と掘り返そうとするが、なにも見つからない。そこへ一人の少年マコトがあらわれ、自分が一部持っているから分けてやるという。そして数本をもらって少年と少女が帰る。

少女は少年を誘い、北朝鮮拉致問題の演説をする男の講演会場でその瓶を割って二人は逃げる。カラオケボックスで狂ったように二人で「アジアの純真」を歌いまくるシーン。このPUFFYの曲、中身があってないような単語の羅列による独特の歌詞がこの作品を物語るようである。

純愛ストーリーの変形かと思われていたが、次第に現実か非現実かのはざまのなかで不思議な物語へと様相が変わってくるのがわかる。まるで「太陽を盗んだ男」のごときイメージがかいま見え始めるのだ。

かつて少年がキムに助けられ、電車のなかで「この世界を変えられる?」と尋ねられたことを思い出す。妹は地下道で瓶を割りそのときビデオメッセージで自分はかつて殺されたキムの妹であるとことを語るのがテレビで放映されるが肝心の所がカットされていると怒る。

そして、マコトが自宅で毒ガスで死んだというテレビニュースが流れる。世界を変えたいと自分も毒ガスを持って町へでたものの、どこでどうするべきかわからないままに結局自宅で両親の寝室にまいて自らも自殺したのだ。

自転車に乗ってがむしゃらに走る少年と妹の姿が描かれ、たどり着いた食堂で少年は万を期して、姉のキムを見殺しにしたのは自分だと話そうとする。しかし、ちょっと待ってとトイレに立つ妹。外へでた妹に警官が近づく。叫ぶ妹、少年は毒ガスの瓶を最後の3本まいて妹を助けて逃げるが警官の銃が妹を撃ってしまう。

以前、この妹が「この国でもあの国でもないどこかへ行こう」といっていたことをもいだし瀕死の妹をボートに乗せて、海へでる少年。姉を見殺しにしたことを告白するが妹はその場で死ぬ。雪が津々と二人を包んでいく。海と思われた水面は黒いビニールで、セットであると明らかにわかる演出は明らかに意図的で、ここから非現実な別の世界が語られていくことが表現される。

これでエンディングならちょっと特殊な純愛ドラマであるが、ここからがこの作品の不思議なところで。一隻の船が近づき、目覚めた少年は地下道でテレビを見ている。妹がしかけたビデオ映像のノーカット版が写され、本当はなにをいいたかったかが語られる。残る三本の毒ガスの入ったビンを持ち「日本も北朝鮮も嫌いだ」と叫ぶ妹の姿。

続いて、どこかの戦場で機関銃を持って戦っている。そこで、原爆を手に入れた男と知り合う。やがて、漁船に乗って日本?へ帰ってきた少年は戦場で手に入れた原爆に自分のプリクラの写真を貼り、一枚妹と撮ったプリクラの写真を貼って、それを持って東京タワーへ。あわやスイッチを押そうとしたとき実は生きていた?妹が現れ、なにもかも許すからと告げる。しかし、後ろから人にぶつかられスイッチを落とし、それを誰かが踏んで東京タワーで原爆が爆発。続いて太平洋の原潜から核ミサイルが北朝鮮へ、北朝鮮から韓国へ、そして世界がキノコ雲に覆われ、それがバラの花に変わる。

何とも、シュールなエンディングであるが、考えようによってはこれはまさにスタンリー・キューブリックの傑作「博士の異常な愛情」である。

純粋にがむしゃらに突っ走る少年と少女の物語ともとれる。未来への希望に模索する少年少女の吹く襲撃ともとれる。日本人と朝鮮人らの差別問題についてもかいま見られる。しかし、ラストのキノコ雲は行き場を見失い模索する中でようやく見つけた一輪のバラとしての一人の少女に対する少年の淡いファンタジーンではないでしょうか。そこに訴えるべき思いメッセージなどは存在せず、いや、そんなメッセージに関心はあるものの、真剣には感じいられない現代の若者の独特の心理が見え隠れしているような気がするのである。不思議な映像で一見、社会問題をテーマにしているかに見えますが、素直に一人の少女キムに惹かれその結果その妹に恋こがれ、そして復讐の中悲劇に突っ走った少年の物語ととらえた方がこの作品のテーマを感じ取られたように思えるのです。

とらえどころが難しいかもしれないけれど、高圧線の鉄塔をバックにとらえ、走る電車をとらえた映像や、自転車で走る二人のショット、警察に捕まるシーンでのサスペンスフルな演出などなかなか娯楽性にあふれた映像もちりばめられ、小品ながら一見の価値のある映画だったきもするのです。