くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「ももへの手紙」「アンネの追憶」「少年と自転車」

ももへの手紙

「ももへの手紙」
父を亡くした主人公のももは母と二人で瀬戸内の小さな島にある実家へと帰ってくる。ももはそこで三匹のひょうきんなよう界に出会うのであるが、なんとかれらは天国へいくまでの父に家族の様子を伝える役目を持った妖怪たちだった。食いしん坊でお調子者の妖怪たちはももにしか見えず、彼らとどたばたすごすうちに次第に島に慣れ、父を失った悲しみから次第に成長していく姿を描いていくファンタジーアニメです。

素朴でシンプルな画調で描く懐かしい田舎の風景がとってもハートフルで、古い町並みを丁寧に描写した画面がいつの間にか都会の喧噪とは別世界へと誘ってくれる。そこに現れる妖怪たちの行動がユーモア満点で、時折写される都会の波を思わせる小道具の描写が古から近代へ移り変わるひとときの日本をほのぼのと伝えてくれます。

宮崎駿が描く古き時代とはちょっとイメージの違うムードがなかなか個性的で、物語はありきたりかもしれませんが、なぜか決して退屈しない娯楽性も兼ね備えていて好感な映画でした。

ももには父が残した書きかけの手紙がのこされていて、「ももへ」としかつづられていない。喧嘩したままで父と別れてしまったももにはそれが心残りで仕方なく、ラストで祭りの送り船にのって父からの返事が戻ってくるエンディングは胸に迫る感動を呼び起こしてくれました。

何の変哲もない物語なのに、なぜか今の日本人がさりげなく望んでいる懐かしい世界への思いがいっぱい詰まったような作品で、その素朴さが胸に染み渡る一本だった気がします。派手なSFアニメなどジャパニメーションの個性がそういう方向にもてはやされ気味ですが、日本のアニメの原点を再認識させる映画だった気がします。

「アンネの追憶」
生き残ったアンネの親友ハネリが語るノンフィクション「もう一つのアンネの日記」を元にした映画である。

アンネ・フランクの物語というのはどういう形で映像化されても、またどんな媒体になっても直接心に訴えかけてくる。もちろん、目の前で彼女を見ていたわけではないし、収容所へ送られてからは彼女は日記を書けないのだから当然フィクションが混じるのですが、そのあたりもラストのクレジットに語っている。

物語はアンネ・フランクが小学校で後の友達ハイネと出会うところから始まる。タイトルにかぶって彼女は15歳の誕生日に、そして、隠れ家のシーン、さらに1970年代のアンネの父が子供たちの前でアンネ・フランクの話を終えるところから物語が始まる。一人の少女が「なぜ、悪いことをした人は罰せられないの」と質問し、アンネの父はかつての物語を回想していく。

エンニオ・モリコーネの音楽が抜群に美しく哀愁に満ちているので、劇的なシーンでは思わず画面に釘付けになって涙ぐんでしまう。アウシュビッツの焼却炉の煙突のシーンはかつてスピルバーグが描いた「シンドラーのリスト」でも不気味に描写されたが、今回は真正面からとらえた映像がさらに恐怖を語りかける。

この作品では物語の展開が実にスピーディで、アンネ・フランクよりもその周辺の父親や友人たちのエピソードが中心になるので、時に全くかけ離れたようなシーンもないわけではないが、アンネ・フランクの人生の時間の中で起こっていた周辺のもう一つの物語として干渉するのが妥当な作品だったと思います。

ラストは父がアンネの日記を出版しようとする下りとハイネにアンネの遺品の一部を託すシーンでエンディング。「善と自由は同じだ」と少女に回答するアンネの父のショットで締めくくられる。

歴史的なテーマでもあり、どういう形であれ胸を打たれるが、この作品はとにかくエンニオ・モリコーネの音楽効果が最大の聞き所だった気がします。ストレートにいい映画でした。

少年と自転車
カンヌ映画祭コンペ部門グランプリ受賞のジャン=ピエール&リュック・ダルデンヌ兄弟の作品で、非常に優れた珠玉の一本と呼べるすばらしい作品でした。

仰々しいほどの大げさなテーマ曲が作品の中で四回流される。そのたびに主人公少年シリルが人生の転換点を通過するのである。

映画が始まり静かなタイトルが終わると真っ赤なTシャツの少年シリルが預けられた施設から父の家に電話をしている。しかし、すでに引っ越した後で電話は通じない。さんざん暴れたあげくあきらめた彼はベッドでシーツにくるまる。ここで最初の曲が画面にかぶさる。

執拗なくらいに父に会おうとするのは、理由もわからず施設に預けられ、連絡するという一言を残したにも関わらず父からの連絡がないからである。狂ったように施設を抜け出してはかつてのアパートへやってきたものの、そこへ追いかけてきた施設の先生たちに取り押さえられる。そこで捕まらないようにたまたましがみついた女性サマンサにシリルがかつてアパートで乗っていた自転車を届けてもらったのをきっかけに彼女に週末だけの里親になってもらうことになる。

すんなりと了解する彼女の心境はちょっと理解しづらいのですが、この行動に彼女の過去の何かを描されているように思えます。またこういう省略は映画を語る中で不可欠な部分と納得もしました。

そしてサマンサと一緒にようやくシリルの父の居所を突き止めるが、父はもう二度と来るなとシリルに告げる。経済的な面だけではないような父の態度であるがここもまた映画的な謎を残して省略がなされる。

サマンサの車に乗ったシリルは狂ったように顔をかきむしる。ここで二回目の曲がど〜んと流される。
シリルのやや精神的に極度の不安定な姿を見たサマンサはさらにシリルに心を引かれていき、必死で彼のためになるように行動をともにする。恋人ともそのために軋轢を生んでしまう。

自転車で走り回りながら、素直な少年になりかけたシリルに近所の不良少年が近づき、ある襲撃計画を実行させる。お金がほしいわけでもなく、自分が誰かのためになるというがむしゃらな意識で行動するシリルの姿が、やや異常に見える一方で切ないほどの悲しみがこのあたりから漂ってくる。
外出を止めるべく立ちはだかるサマンサをはさみか何かで傷を負わせ飛び出すシリル。ここで三回目の曲が流れる。

ある男とその息子をバットで殴り、金を奪い、不良少年から分け前をもらったシリルはそれを父の元へ。当然父に追い返され、行き場を失ったシリルは再びサマンサのところへ戻る。そして「週末だけでなくずっと一緒に暮らしたい」というのだ。

警察に行って、被害者の男と示談をしてことをすませる。
サマンサとシリルは二人で自転車を乗って道を走る。いままで、殺伐とした町中を走り回るシリルのショットが殆どだったが、二人のサイクリングシーンには道ばたに花も咲き、緑のサイクリングロードである。一気にほのぼのした場面演出に切り替わる展開は見事。

そして、近所の友人を招いてバーベキューを計画。炭を買うために立ち寄った店でシリルはかつての被害者の息子に出くわし追いかけられる。息子は納得していなかったので、執拗にシリルを追うが、シリルは木に登って逃げる。上るシリルに息子は石を投げつけ、シリルは木から落ちて気を失う。死んだと思った息子と父は救急車を呼ぼうとするが、ムックリ遠きあがったシリルは何事もなかったかのように炭を持って自転車で走り去る。最後のテーマ曲が流れるのがこのラストである。

果たして、彼はこの後、無事なのだろうか。それとも、これからようやくふつうの未来が待っている時に何かの障害が発生するのか。映画は語らない。最後の見事な省略によるエンディングがこの映画の最高に優れているところであると思う。

とにかく、がむしゃらなくらいに行動的な少年の描写にかぶさるサマンサの陰のあるような行動、さらにシリルの父親の行動が見せるシリルのミステリアスな真の姿。必要なき物は可能な限り省略し、激しい動きの映像を繰り返して物語を語っていくという、隠れた静の部分と映像の動の部分の見事なコラボレーションによる映像表現のすばらしさは、唯一無二の見事な作品として完成されていたと思います。物語の好き嫌いはともかく映画としては一級品と呼べる作品だというのが私の感想です。