くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「MY HOUSE」「不良少年」「潮騒」

MY HOUSE

「MY HOUSE」
堤幸彦が商業映画を離れてモノクロームで都会の日常を切り取った作品を作った。こういう映画が作りたかったというキャッチフレーズで宣伝されていたが、本当にそうなのか?と思える一本でした。

東京の町並みがややシンメトリーなショットで数カット入れた後、一人のホームレス鈴本さんがリヤカーを引いてくるところから映画が始まります。そして、到着した公園で妻なのか恋人なのか一人の女性スミちゃんとホームレスの家を組み立ててタイトル。

導入部分はほとんどせりふがないのでサイレントかと思われますが、主人公鈴本さんのお隣さんのホームレスが次第に声をかけてくるあたりからせりふが流れ始める。

鈴本さんが空き缶を集めるショットが繰り返され、一方でなにやら裕福そうな家庭が描かれる。息子ショータはかなり勉強ができる優等生。長女もいるが、母はいつも執拗に掃除をしているところから潔癖性なのだろう。夫はなにやら医学関の人のようで収入は十分あるが、子供には勉強がベストと考え、妻にもかなり冷たい態度をとるところから今時の冷淡な都会の家族として描いている。

ショータがホームレスを見る視線。押入の奥で飼っている亀、やたらペプシコーラをがぶ飲みしその裏に亀の絵を書くシーンなどかなり意味ありげである。

この家族と鈴本さんのシーンが次々と描かれ、特に大きな事件も起こらない。鈴本さんは空き缶集めのために綿密に町のそれぞれの場所の出来事を把握していて、一ヶ月の目標まで自分で定めて集めている。それでも、ラブホテルのオーナーからうちで働かないかといわれても断る。果たして自由を求めているのか、現実の社会に反抗しているのかははっきりとは見えない。しかし、対照的に描かれているショータの家庭と対比してみて、型にはまった、レールに乗った将来像を目指す人生には疑問を抱いているようである。

ある日、ショータの亀が死んでしまい、その原因が父であると知り、夜の公園でスミちゃんを殴打してしまう。その後、ショータの友人がスミちゃんをコインランドリーで撲殺。それでも鈴本さんは一時は引き払おうとした家をもう一度元に戻し、また空き缶集めをするショットでエンディング。

無声から次第にせりふが流れ、ショータたちの日常が被さって映画にリズムが作り出されていく。このあたりはさすがに堤幸彦は力量があると思う。描きたかったのは人間の根元の生活なのか、ただ今の現実なのか、私には言葉にできる感性がない。ただ、作品として完成されていることは確かであり、無駄をそぎ落として描いた現代の一断片を切り取った作品であろうと私は解釈します。さすがに良かったとかつまらなかったとかいう言葉にはできません。

「不良少年」
ここまで見た谷口千吉監督作品の中で群を抜いてシリアスな社会ドラマでした。しかも、なかなか充実した秀作である。ただ、どこまでも救いのない物語で、終盤までほとんどかすかな光も見えない。菊島隆三が脚本に参加したためか、戦争に対する谷口千吉のこだわりがストレートに出たものか、とにかくどんどん深みにはまりこんでいく展開は迫力以外の何者でもなかった。

孤児になった不良少年たちの厚生施設を舞台に映画が始まる。少年たちがバレーボールをしている。一人の少年がこれから出所する。担当であった西島先生はうれしくて仕方がない。ところがこの少年は一週間後に列車にひかれて死んでしまう。この少年を引き受けた製薬工場はヒロポンの製造業者だったのだ。しかも、西島が少年にやったマフラーを少年はすぐにその工場の男にやってしまう。自分を信じていると思っていた主人公西田の最初の挫折である。

そして、かつて自分の教え子を訪ね、立派に厚生している姿を見て、大恩師石坂先生のところに集まろうとするがこれも当日全員がドタキャン。いったい、本当に信頼を得ていたのかという疑問がさらに沸き上がる。立ち直るかと思うと裏切られるという繰り返しの展開が実に重々しく画面からにじみ出てくる。教え子たちはしゃあしゃあと体を売っているし、それもまた、西田には耐えられない。

そしてとうとう、教え子でパンパンをする銀子と一夜をともにし、そのときの手入れで留置所に放り込まれてしまって、今の生徒たちからも信頼をなくしクライマックスへなだれ込む。

そこへ石坂先生が亡くなり。不良少年四人が脱走。一時は自暴自棄で放置したものの石坂先生の言葉である「柿の木を枯らすな」という言葉に目覚め必死で追いかける西田先生。そして追いついて、返り討ちにあって水たまりに倒れてしまう西田先生。ところが、このまま放っておいたら死んでしまうという思いに気を取り直した不良少年四人は引き返して西田を助けめでたしめでたし。

この終盤までの重さと最後の数分の展開が余りにもかけ離れた作風になっている。まるで、もっと長い物語だったのに途中ではしょったかのごとくである。

しかし、作品全体に占めるムード、展開のパターンは後のさまざまなドラマに影響を与えたことが伺える一本で、その意味もあってなかなかの秀作だった気がします。谷口千吉監督作品にもこんなシリアスな映画があるものだとうなってしまった

潮騒
これはさすがに文芸映画の名編でした。素直にとっても良い映画だった。

舞台になる漁村をとらえたカメラアングルの美しさ。空間で縦の構図で坂道や家家の並びをとらえた構図がじつにうつくしく、大きく広がる海の景色を俯瞰で写したり、浜辺で働く人々を船の隙間からゆっくりと移動カメラでとらえていく景色もみごと。さらに主演をした久保明と青山京子が実に初々しく三島由紀夫の原作に近いイメージなのがとっても魅惑的なのです。

御簾の影からとらえる新治(久保明)のファーストシーンの幻想的なショット。初めて初江(青山京子)を見初めたときのドキドキするような甘酸っぱい出会いのシーン。さらに有名なたき火をはさんで半裸の二人が向かい合い、火を飛び越えて抱きつくシーンの美しさにも目を見張ります。

また、ほんの些細な場面の間のとりかたやタイミングも実に見事。新治に気を取られて思わず包丁で指を切ってしまう初江のシーンや東京へ帰る千代子が新治に呼びかけるシーン。高台の展望台で胸元が汚れた初江を見てつい視線を逸らす新治の初々しい表情などなど、三島文学の魅力を見事に映像に昇華している。

ダイナミックな娯楽映画を作る反面、こんな繊細な文芸映画もこなしていく谷口千吉の手腕はまさに職人技というほかありませんね。

観客を楽しませるべく演出をしているのですが、結果的に美しいシーンや魅惑的なショット、切なくなるほどの若い二人の恋物語を見せる場面の数々についつい画面に引き込まれてしまいました。

潮騒」はたくさん映画化されていますが、まずこの作品を代表作として覚えておきたくなりました。名作です。