くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「ローラ」「マルタ」

ローラ

「ローラ」
ジョセフ・フォン・スタンバーグ監督の名作「嘆きの天使」を翻案したファスビンダー監督の作品である。

映画が始まるとイラストをバックにタイトルが流れる。戦後間もない甘ったるい音楽、そして画面には「マリア・ブラウンの結婚」と同様に画面をクレジットが覆っていく。

娼館から物語が始まる。この町の有力建築業者シュッケルトとこの店で夜はドラマーとして働くエスリン、そしてシュッケルトの専属の娼婦ローラの姿。

この町に堅物の建設局長フォン・ボームがやってきて物語は本編へ。

このローラに惚れたフォン・ボームはある日彼女が娼婦であることを知らされシュッケルトをなきものにしようと計画するが、結局、フォン・ボームはローラと結婚。さらにローラはシュッケルトの専属娼婦のままでいることで和解する。何ともいえないラストシーンである。

赤、青、などのサキケデリックな原色のライティングを駆使し、物語全体が精神退廃した戦後間もない西ドイツの姿を風刺する。市長を含めた会議の場面ではぐるっと回転するカメラワークなどを駆使し、東ドイツから出稼ぎにきている家政婦を見下げたようなせりふも登場、モラルさえも崩れた当時の西ドイツの庶民意識、さらに労働運動のシーンなども交えて、混乱と方向を模索する。

ファスビンダーならではのテクニカルな映像演出が随所に見られ、色彩とカットを組み合わせたやや異常なくらいに非現実な画面が物語をどんどん彩っていく。ラストシーンがある意味異常であり、正常が失われつつあった1950年代ドイツをある意味で風刺しているようにも思える。ややくどい繰り返しが多いように思えなくもなく、終盤はちょっとしんどいが、個性的な中にどこか切ないラブストーリーを含ませた秀作だったように思います。


「マルタ」
女性はここまで自虐的に男性を愛すること、求めることができるのかと思うほどにある意味非現実的なほど鬼気迫る作品でした。

主人公マルタが母からの電話にベランダから入ってくるところから映画は始まる。そこへ髭面のアラブ風の男が勝手に部屋に入ってきてファスナーをおろす。?と思っているとマルタはその男を追い出す。カフェではまた東南アジア系の男が色目を向けてくる。これはマルタの欲望か幻覚か?

何ともシュールは映像が冒頭からどんどん展開する。ローマで父と散歩の途中父が急死、それでもどうしようもなくわめき散らすマルタ。そのときの財布をとられてドイツ大使館へ。そこで将来の夫になるヘルムートと出会うのだが、カメラがぐるっと回転する動きに二人が回り別れていくショットがなんともテクニカルである。

精神的に弱い母の元に返ったマルタは勤め先の図書館の上司にプロポーズされるが断り、その結婚式の場でヘルムートと再会し、あれよあれよと結婚となる。この結婚式の場面はまさに最後の晩餐のような画面になっている。

結婚したマルタだが、このヘルムートは異常なくらいの独占欲とサディスティックな要求をマルタに向けてくる。今なら明らかにDVと呼べるものだが、この作品では虐待されても必死でついていくマルタの物語が本筋となっていく。

カメラに写るマルタのショットや、陰から見るヘルムートのショットなどが異常なほどの緊張感を生むし、殺人事件があったという自宅を借りての生活の中で自然と不気味さが漂う。さらに、調度品がさらにゴシック風の恐怖を生み出すのだ。

狂ったようにヘルムートに仕えるマルタは徐々に狂気的になり、とうとう図書館の事務の男性と車で逃亡するが、なにもかもが夫が追いかけてくるという強迫観念にとらわれているマルタは車のハンドルを握ってしまい事故。目が覚めると半身不随になっている。どうしようもなくなったマルタがヘルムートに車いすを押されてエレベーターに乗ってエンディング。

手前にクローズアップした顔をとらえ背景にこちらを見つめる人物を配置したり、ヘルムートとマルタの会話の背後にさりげなく母が立っていたりとミステリアスなショットがちりばめられていて、映像としてはまさしく傑作である。

カメラを担当したミヒャエル・バルハウスという人は後にスコセッシやコッポラの作品で有名になっていった人というだけあり、見事にファスビンダーの演出を支えている。

コーネル・ウーリッチの短編を原作にしたとされるように、まさにその世界観が物語全体に漂っているが、その不気味な緊張感を見事に映像として昇華させているファスビンダーの手腕に拍手したい。ただ、この主人公に未来のないラストシーンはさすがにいたたまれないものであるし、個人的な好みでいえば、爽快感がほしい一本でした。