くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「チャイニーズ・ゴースト・ストーリー」「絞死刑」「帰って

チャイニーズゴーストストーリー

「チャイニーズ・ゴースト・ストーリー」
ツイ・ハークが製作をつとめた香港アクションホラーの傑作をようやくスクリーンで見ることができた。いやぁ、素直におもしろかった。これが香港映画の醍醐味である。

ストーリーの雑さ、脚本の荒さはそっちのけでスピード感あふれる物語展開と細かいカットとハイスピードなワイヤーアクションで見せる格闘シーンのおもしろさで全編突っ走ってしまうのです。もちろん、所々の鼻につくような幼稚なギャグや、しつこいほどのわざとらしい台詞は散見するのですが、それをさしおいてもアクションシーンのスピード感はすばらしい。

縦横無尽にカットをつないだカメラアングルと、空中を飛び回る得意のアクションシーンの数々、ストップモーションをつかったゾンビの動きのおもしろさ、幽霊となったジョイ・ウォン扮するシウシンの流麗な動きが絶妙に妖艶なファンタジーの世界を演出していきます。

そこに主人公であるレスリー・チャン扮するツォイサンとシウシンとの切ないラブストーリーが展開する。さらにイン道士という呪術の達人も絡んで物語がどんどん楽しくなっていくのです。

恋、アクション、ホラー、ファンタジー、娯楽エンターテインメントが詰め込まれたてんこ盛りの作品で、本当になにも考えずに、というか、いつの間にかあれよあれよと見入っているうちに、ばたばたとおわってしまうとっても楽しい傑作でした。


「絞死刑」
大島渚監督の代表作の一本であるが、いかんせんくどい。終盤になってくるとだんだん腹が立ってくる。せっかくの前半部のメッセージさえもぼやけてくる、と言うのは明らかに時代性が強いと言うことの象徴かもしれない。しかしながら、作品のオリジナリティ、圧倒的に迫ってくる恐ろしいほどのカメラワークは評価せざるを得ない見事さを持ち合わせているから始末が悪いのだ。

映画は死刑にたいして観客にその賛成反対を問うてくるところから始まる。そして、死刑反対に反対する人々に対して、死刑執行場を見たことがあるか?と俯瞰から死刑場をとらえ、カメラはその部屋の中に入って懇切丁寧に調度品の配置まで説明し、これから行われる死刑囚の儀式的なことを説明して刑が執行される。ここまでの映像はひたすらに重々しいのだ。

ところが、14、5分たてば脈が止まって死に至るはずの死刑囚の脈が止まらない。困った刑務官や医務官、所長、検事などが「自分はRですか?ごきげんよう」などととぼけた口を利くようになった死刑囚Rをどうするかで茶番劇を始める。この前半部分が実にすばらしい。

完全に室内劇として狭い中で教育長や所長たちが役者のごとく、死刑囚Rの死刑となるまでの行動を再現していくのだ。しかも、このRは在日朝鮮人という設定から次第に物語は在日韓国人の問題まで広がっていく。背後に執拗に映される日の丸の旗、第二次大戦当時の日本の行動、植民地時代の朝鮮半島の現状などがちらほらと語られ始める。

失意で執拗に繰り返される茶番劇とRとのやり取りがどんどんエスカレートして、終盤あたりは部屋を出てRno高校へと室外へ進んで行く。ところがそこでRの姉(小山明子)が登場するや、何度も何度もメッセージが繰り返され、行きつ戻りつする物語展開が間段なく始められる。このあたりからラストシーンまでがひたすらにしつこいのである。

一段落したかと思えば、また再燃したように同じ事が繰り返されるのだ。もちろん、カメラは室内でにらみつけるほどの迫力で人物を捕らえるのだが、Rと姉の横たわる上に日本国旗がかけられていたり、いつの間にか死刑に対する問題定義から在日韓国人お貧困の問題へと流れも変わってくる。

結局、茶番劇の末に姉をロープにかけて死刑執行、見下ろすとロープだけがゆれているというエンディングへと進む。

胸焼けするほどの緊迫感あふれるカメラワークと台詞の応酬、鬼気迫るほどのメッセージ性はまったく傑作という評価を十分に納得させるものがあるが、いかんせんしつこ過ぎる主張に最後は辟易してしまったというのが正直な感想です。


帰って来たヨッパライ
ザ・フォーク・クルセイダーズのヒット曲「帰って来たヨッパライ」をモチーフに作られた低予算メッセージ映画で、曲とはほとんど関係のない大島渚映画となっている。この作品の有名なのは、映画が始まって中盤くらいに再度冒頭のシーンから繰り返されることである。最初の説明のテロップが流れるほど、明らかに同じシーンが流れるので、前知識なければ映写事故かと思われる。

物語という物語よりもどこか夢幻のような幻影の世界である。

帰って来たヨッパライ」の曲にのせてザ・フォーク・クルセイダーズの三人が登場、浜辺で戯れ水着で海に入る。脱ぎ捨てた服が何者かに取り替えられ、戻ってきた三人のうちふたりの服が北朝鮮の服に変わっている。違法入国を監視する警察に追われる展開になるが、そこに北朝鮮から北ふたりの朝鮮人に代わりに死んでくれと追われてみたり、露天風呂で出会った女に助けられたりと二転三転、というか、行きつ戻りつ物語が展開。

一段落したところで冒頭のシーンからもう一度スタートする。

日本人が韓国人を撃ち殺すことへの非難の台詞があったり、韓国人は韓国人を殺さないといった台詞など、ちらほらと大島渚映画の色も出てくる。
良くある歌謡曲映画の能天気なムードを予想してきた当時の人々は度肝を抜かれて驚いたことだろうと思う。

一種のメッセージ映画であるが、目くるめくファンタジックな展開と相まって妙な怪作として完成されている。ただ、見終わって振り返るとこれがなかなかオリジナリティあふれる実験映画だったかなと充実感が生まれてきたりするのである。そんな期中オナ映画でした。