レオス・カラックス監督13年ぶりの新作は、シュールなドラマというわけでもなく、映像詩でもなく、といって具体的なわかりやすいドラマがあるわけでもない。画面から何がしかのストーリーやメッセージも感じ取りにくい、一種の難解ながら、なんとも不思議な映画でした。
映画が始まると古いモノクロフィルムが映し出される。タイトルの後、一人の男オスカーがベッドから出てパジャマ姿のままに部屋の中をうろついた末にひとつの壁を押し開けると、そこは劇場の二階席。映画館のようで、下には観客がうごめいていて、なにやら映し出されている。それが冒頭のモノクロフィルムかどうかは不明。こうして始まるこの映画、特にジャンプカットで時間を飛ばしたり空間を飛ばしたりするわけでもなく、普通に夜明けから深夜までの物語として描かれていく。
男は真っ白なリムジンに乗り込む。後ろから護衛の車がつき、リムジンの運転手はブロンドの女性セリーヌである。
オスカーは車の中でおもむろに化粧を始め、車が橋の袂につくと、おもむろに現れたのは物乞いの女。オスカーが変装したのだ。彼は橋の上で物乞いした後車へ。再び着替えて、着いたところはどこかの撮影所。モーションキャプチャーの服に着替えて撮影所内でアクションシーンを演じ、さらに相手役の女と絡む。CG画面では不気味な怪物がSEXしている。
さらに次は不気味な男。なぜか「ゴジラ」のテーマが流れ、墓場にやってきた男はそこで狂ったように人々を襲い、モデルの女を背負って地下道へ。そこで髪の毛を食べたり、紙幣をむしゃくしゃ食べて、女のひざで眠る。
車に戻るたびにセリーヌとの会話は「次のアポは??」というもの。次々と変装して行くことが仕事なの?いったいこれは現代?近未来?と次々と疑問がわいてくるのです。
この後も、一人の少女の父親になったり、インターミッションとクレジットが出るとアコーデオンを弾いて歩き回ったりと、行き着くところもなく次々と変わって行く。そして、最後はリムジン同士がぶつかって、その後ろに乗っている女性とオスカーは、どこかの寂れたデパートの屋上へ。その女性は今夜が最後の夜だと、屋上から飛び降りる。いったいこの女性も何者?
「カメラがいまや目に見えないほどに小さい」などという台詞も入るので、誰かがこの姿を映して楽しんでいるのか?最初の劇場のシーンにかぶさるのか?さらに疑問の中、深夜となり最後のアポだという場所へ。まるで近未来の集合住宅のようなところ。オスカーが入っていくと、「ダーリン」とで迎えたのはチンパンジーで、二階へ行くとチンパンジーの子供。いったいどう解釈するのかと思う。
さらに、セリーヌは空のリムジンで「ホーリー・モーターズ」というところへやってくる。そこに次々とリムジンが集まってきて、巨大な駐車場に所狭しとリムジンが並ぶ。セリーヌは真っ白かな面をつけてどこかへ消え、残ったリムジンたちがしゃべり始めてエンディング。
素直な感想を書けば、どうにも解釈しようがない。だれか説明して欲しいと思う一本だった。まいった。