くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「タワーリング・インフェルノ」「桜、ふたたびの加奈子」

タワーリングインフェルノ

タワーリング・インフェルノ
なつかしい、なんと41年ぶりにスクリーンで見直した。
あのグラース・タワーが炎に包まれる。ポール・ニューマンが、スティーヴ・マックィーンが命を懸けて人々を救出していく。アメリカ映画がシンプルでとにかくおもしろかった時代の超大作。

映画黄金期の大スターたちが所狭しと登場し、それぞれの人間ドラマをさりげなく演じる。モーリン・マクガヴァンが歌うメインテーマがパーティ会場に流れる。わくわくする導入部から、後は見せ場の連続が、本編のほぼ四分の三を占めるのだからもううならざるを得ない。

映画が娯楽の王様だったことを、自ら経験してきた名プロデューサーアーウィン・アレンの惜しみない予算の掛け方が、CG全盛の今の大作に劣ることない、いやそれ以上のエンターテインメントを見せてくれるのです。

三時間足らずの長尺フィルムながら、退屈することが全くないというのも大したものだなぁと思う。かつて見たときの興奮は本物だったと再認識できました。やっぱりこの時代の大作はおもしろい。


桜、ふたたびの加奈子
詩情あふれるあふれる映像と、独特のカメラワークで描く、どこかファンタジックで切ない夫婦の成長のドラマ。とってもいい映画に出会いました。監督は栗村実という人です。

開巻、カメラは真上から焼香の線香と小さな棺を映す。ゆっくりと引いていくと梶原容子と梶原信樹夫婦の幼い一人娘加奈子の葬儀の場面。カットが変わると弔問の人々とやたら目立つ子供の姿。霊柩車を真後ろからシンメトリーにとらえるショットからゆっくり引いて暗転。

真っ青な空を見上げる、メインタイトル、ゆっくり下がってくると満開の桜が画面を覆う。梶原夫妻と友人たちが花見の席である。そばで小さな女の子加奈子が走り回っている。両親にまとわりつくが、なかなか遊んでもらえない。

カットが変わる。飼い犬のジローと遊ぶ加奈子。そして小学校の入学式へ。
ところが校門前で、ふと母の手から放れた加奈子は車に引かれてしまうのだ。

一瞬で不幸のどん底に落ちた梶原夫婦。妻の容子は心神喪失状態で、まだ加奈子がいるかのように食事を作ったり話しかけたりする。物語は初七日、一周忌、三回忌とこの夫婦の時間の流れを紡いでいく。消沈した妻容子の心の傷が癒えきらないようすが時折川の流れのカットを挿入して淡々と描いていくのです。

どん底に落ち込んだ容子は初七日が終わったある日、加奈子のところへ行くとつぶやいて、首をつる。しかし、誰かの通報で救急車が駆けつけ助かる。

四十九日が済んだある日、夜、容子が目覚めると犬のジローが激しく泣く。見えない加奈子を捜すように夜の町にでた容子は、そこで高校生で妊娠した少女正美にであうのだ。
正美が相談していた小学校時代の先生砂織と一緒に正美を病院へ連れていく。ところが容子は正美の生んだ娘菜月を加奈子の生まれ変わりだと思い始める。

加奈子が亡くなって数年後、砂織も結婚し一児をもうけ、正美、容子、菜月ともに仲良くつきあっている。しかし容子は菜月を養子にしたいと申し出る。ところが、生まれ変わりと信じる容子だが、菜月に加奈子が好きだったオムライスやおやつのはなしをしてもどこかちぐはぐなのだ。

結局、養子のことは断られ、梶原夫妻は前向いて進むことに。そして、数年たったある日、みんなで花見に行くのだが、遅れてきた砂織の一人息子賢一が犬をつれてくる。その犬はある日家の前に現れたのだと言い、賢一はその犬の名前はジローだと言うのだ。

物語は一気に転換。菜月が生まれ変わりと信じていた梶原夫妻に、本当の生まれ変わりは賢一だとわかるのである。しかも、賢一は容子に「前のママ」と話しかけるのだ。思わず抱き上げて走り去る容子。ことの次第を砂織夫婦に話す信樹。ほんのわずか、生まれ変わった加奈子と過ごす梶原夫妻は夜、賢一を砂織夫妻に返す。そして、まだかなこの記憶が残っている数年は容子は賢一に会わないと約束する。

カメラは終始、真上からのオムライスや卵のカット、真横から交代でとらえる正美と正美の後輩の直也のカット、ゆっくりと真横にパンする移動撮影を繰り返していく。まるで輪廻転生を詩的なイメージで描写しているかのごとく。さらに、原作を微妙に変え、容子母親で古本屋を営む松代を登場させて、知恵の輪のカットを入れ込んだり、正美と直也をめぐり合わせたりするという展開もプラスしている。

やがて、梶原夫妻にも子供ができ、古本屋を継いだ夫妻の所に、やや大きくなった賢一が訪ねてきて、母の頼まれものの本を買って帰る。足元だけしか写さないのでだが、梶原夫妻の子供は娘であるようで、寛一も中学生くらいになったようである。そして、賢一はすでに加奈子の記憶は消えている。

カメラは満開の桜からゆっくりと青空へ吸い込まれる。そして夜空に変わると救急隊員にかかった電話の声に。
「ママが首をつっているから助けてほしい。住所は・・・」という女の子の声。住所はかつて加奈子が幼い日に、公園で容子に何度も教えられたものだった。
「君は今家にいるのかな?」という救急隊員の声に女の子は「遠い遠い所にいるの・・」と答えてエンディング。

ストーリーを丁寧に反芻してみたが、とにかくファンタジックな展開とオリジナリティあふれるカメラワーク、淡々と展開する映像の緩やかな流れが実に印象的な秀作でした。いい映画だったなぁ。