「天使の分け前」
最初はちょっと嫌悪感が漂うムードで始まるのですが、途中からどんどんよくなって、次第にちょっとしゃれたコメディになってスクリーンに引き込まれ始める。
そして、ラストシーンに至っては、その小粋なエンディングににんまりして劇場を後にする。そんなケン・ローチ監督の最新作に出会いました。なかなかの秀作でした。
開巻、いきなり夜のホーム、スキンヘッドにめがねの酔っぱらいがふらふらとホームの橋を歩いていて、駅のアナウンスで「後ろにさがれ」と怒鳴り声がする。それでも、相手にしない酔っぱらいに、次第にエスカレートする怒鳴り声が何ともコミカル。線路に落ちた酔っぱらいが、怒鳴り声に受け答えしながらはいあがると列車が通過。
カットが変わって、法廷で判決が述べられるシーンに、今の酔っぱらいの男アルバートを始め、次々と刑が言い渡されるがどれもちょっとした小競り合い程度のもので、いわゆる小悪党たちなのだ。そして、それぞれに何日間かの奉仕活動を命じられて物語は本編へ。
主人公のロビーもそんな奉仕活動を命じられた一人で、彼らを束ねて仕事をさせるのが、ちょっと気のいい太った男ハリー。
ロビーはちょっとした傷害事件で訴えられ、恋人レオニーは妊娠している。奉仕の途中で出産。ルークという男の子が産まれる。
何かにつけて、世話を焼いたり、気晴らしをしてやったりするハリーに、悪党たちも次第に心を開いていく。さりげない展開ですが、この淡々としたエピソードが、いつの間にか終盤の大ばくちへと流れていく下りが、本当に自然で小気味よいのです。
ハリーにつれられていったウイスキーの蒸留所で、ロビーは、自分にたぐいまれなテイスティングの才能があることが見つかり、それと同じくして、モルト・ミルと呼ばれる貴重なウイスキーが発見され、近々オークションにかかるという話が聞こえてくる。
ロビーの奉仕仲間の三人の個性も、次第に楽しく描写されてくる。ついついこそ泥してしまう女性モー、思わず失敗をするアルバート、そして、気むずかしい男ライノとロビーを含めた四人は、そのモルト・ミルを盗んで売ろうと考える。
いつの間にこの四人の話になったのかという展開がやや弱いのだけれども、そんなことは無視してストーリーを追っていけるおもしろさが、終盤には存在するから不思議なものである。
ウイスキーは年月がたつと少しずつ蒸発していく。これを天使の分け前というのだそうだが、ロビーたちがたくらむのも、樽を全部手に入れるのではなく、ほんの瓶数本盗もうと考えるだけなのである。
そして、まんまと瓶に盗んだところへ、ウイスキーコレクターのタデウスが、蒸留所の所長と闇の取引をしようとしているのを目撃したロビーは、その取引が流れたものの、自分たちが盗んだあと、残った樽にほかのウイスキーを混ぜ込んでしまう。
そして、そのままオークションへ。落札したのはタデウスとは別の人間で、ロビーはタデウスに自分たちの瓶を売りつけようとする。
このあたりのストーリー構成のうまさは絶品で、四本売るつもりが、ちょっとしたアルバートの失敗で二本が割れてしまい、そのままロビーはコレクターと交渉。後から一本だけしか売らなかったと白状する。
さて残る一本は?ウイスキー好きで、世話になったハリーにそっと届けて、ロビーは妻レオニーと子供と一緒にロンドンへ旅立つというハッピーエンド。
そもそも、ロビーという人物は、コカインで狂ったために、人に後遺症の残る傷害を与えたのだから、幸せになろうとすることに違和感が冒頭部分にはある。自分の罪は償ったといいながら、普通になろうとするロビーの姿はかなり自分勝手に見えるので、前半部分はちょっと嫌悪感がないわけではないが、それも、ハリーと奉仕仲間たちとのエピソードによって次第に嫌悪感も薄められ、どんどん、ケン・ローチらしいコメディへと昇華していく展開が実に見事なのである。
そして迎えるラストシーンも、ちょっと小粋で、映画的な終わり方にほだされてしまうのである。
最近のケン・ローチはちょっと期待はずれが多かっただけに、今回は掘り出し物だった気がします。いい映画でしたね。
「愛のコリーダ」
スクリーンで見逃していた大島渚監督の名作をようやく目にすることができました。
まさしく、徹底した様式美で描く、愛の物語の極致、すばらしい純粋なラブストーリーの到達点を見せつけられました。文字通り、傑作です。
映画が始まって、女中たちが吉蔵とその妻の情事を覗き見するファーストシーンから、障子の透ける淡い色彩をバックの真っ赤な文字のタイトル。雪の降るショットを背景に、真っ赤に揺れる女の長襦袢。出だしから一気に、その完成された様式美の世界に放り込まれてしまいます。
人物の配置、建物、柱、梁、調度品、障子の明かり、屋根瓦、なにもかもが計算され尽くされたというより、卓越した映像感性に磨き抜かれた構図で描かれていきます。
物語は阿部定事件をモチーフにしていますが、あくまでそれは手段でしかなく、胸焼けするほどに展開する塗れ場シーンは、かえって吉蔵と定の突き詰められていく恋の行方の一つの表現手段としか見えないほどに純粋なのである。
赤と白を基調にした色彩演出がなされるが、さらにその赤を強調するように、灰色の着物や布団の襟足を配置する。赤の補色である灰色はさらに、毒々しいほどに赤を強調し、血の色、腰巻きの色、着物にちりばめられる柄に至って、終盤へどんどんエスカレートしていく。
クローズアップで吉蔵と定の顔が動く。フレームインしてくる定の頭に真っ赤なかんざしの丸い飾りが画面に映る。
定と吉蔵が初めてやってくる宿屋。吉蔵が開けたとたん、奥に松林がシルエットで浮かぶ。まさに歌舞伎の演出手法である。二人が抱き合う背後の空が夕焼けよろしく染まっていたり、障子の外が室内と正反対に真っ暗であったりと舞台演出のような描写もちりばめられる。
赤い襦袢を羽織って走る吉蔵のカット、屋根がわらの上から俯瞰でとらえる二人のカット、どれもこれも、引き込まれるほどに美しい。
クライマックス、疲れきった吉蔵は、定のいない間に散髪にいく。帰り道で兵隊の列とすれ違う。この後に吉蔵は定に殺されてしまうのである。あたかも、出征していく兵士が体験することができないであろう究極の情念を、一身で受け止めて代弁したかのように吉蔵は死んでいく。
切り落とした逸物を手に横に横たわる定。真っ赤な血と白いシーツ、「定は四日間、吉蔵の逸物を持ち歩いた・・・」というナレーションがかぶりエンディング。
このラストシーンは、本当に涙がでるのではないかと思えるほどもの悲しいし、二人の恋の行方に感動してしまいました。大島渚の独特の毒こそみられないものの、すばらしい傑作でした。