くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「早春」「東京の宿」

早春

「早春」
昨年みたばかりなのですが、長い作品でもあるので、この機会にというか、小津安二郎を通してみた上でもう一度みるとどうかと思って見に来ました。

なるほど、縦に奥行きをとった構図が多用されているのがよくわかりました。「お早よう」同様に長屋の路地を手前から向こうへとったアングルで人が行き来する。お向かいから杉村春子演ずる奥さんが顔をのぞかせるあたりのショットは定番ですね。

仲間で飲む場面でも奥の深い構図で人を配置し、カメラはローアングルからとらえる。ビル群をとらえてもこの構図が多用されるのが小津のスタイルだとはっきりわかりました。

物語は今更繰り返す必要はないのですが、なぜか人生の機微を感じ、なぜか自分に重ね合わせてくるのは自分も小津作品の登場人物の年齢になってきたせいかもしれません。

せりふの掛け合いや繰り返しは目に付くわけでもないものの、必要以上に場面の繰り返しがあるのは小津安二郎ならでは。その中で杉村春子浦辺粂子がずば抜けて光るのは、さすがにこれこそが名女優と誰もが認めるだけはあるなぁと改めて感動。

サラリーマンの悲哀をさりげなくとらえるのが、冒頭の窓の上から蟻のようにうごめく出勤するサラリーマンをとらえるショット。付近にバスが並び、列車のカットが写る。現代とほとんど変わりのない、定年の問題や賃金の問題、転勤の問題、さらにはこの物語の中心になる主人公杉山ときんぎょの不倫問題などが実にさりげないもの悲しさで描かれている。

ラストシーン、光石に転勤した杉山が遅れてきた妻と一緒に走り去る汽車を見送るラストシーンは、まさに小津安二郎の情感演出の真骨頂ですね。何度みても飽きさせない魅力があるなと改めて感動してしまった。


「東京の宿」
父親らしい男と子供二人がこちらへ歩いてくるシーンから映画が始まる。この父親は職探しらしいが今日も断られ、なけなしの金で木賃宿に泊まる。

草むらの影から向こうに見える工場プラントの景色が繰り返し写され、来る日も来る日もその日暮らしの親子。ところがある日、雨宿りしていた軒先でかつての知り合いに会う。

主人公の男が喜八、出会った女はかあやんとなると「浮草物語」の続きかと思えるが、実は関係がない。せりふの端々にまるでどちらかの続きのようなせりふもあるが別のお話である。小津安二郎の作品の中でいわゆる喜八ものと呼ばれる人情ドラマなのである。

喜八はある日、同じく職を探す女と幼い娘に出会い、いつのまにかこの女に心を引かれる。

この娘が疫痢になり、その金のために飲み屋で働く女をみて、一端は罵倒するが、事情を知った喜八は金を盗んで娘の入院費を作るのである。そして、かあやんに自分の子供を託して、出頭するシーンでエンディング。

サイレント映画であるが、人物の配置の左右にオブジェクトを置いて、奥行きのある構図を作る画面づくりはさすがに凡作ではない。

小津の映画にしては悲劇的な結末がちょっと寂しいのであるが、1935年という製作年度の時代背景を映し出した意味では貴重な一本ではないかと思います。