くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「31年目の夫婦げんか」「ペーパーボーイ 真夏の引力」

31年目の夫婦げんか

「31年目の夫婦げんか」
デビッド・フランケルいう監督は「プラダをきた悪魔」でもそうでしたが、音楽に映像を乗せていく手腕が実にうまい。この作品でも、センスの良い曲に次のシーンが覆い被さっていって、メロディが次のシーンを予感させるという演出を随所にちりばめていく。その軽快なテンポが、下手をすると重苦しい熟年夫婦のお話になってしまうのを、非常に洗練されたドラマに仕上げていく。

メリル・ストリープ扮する妻のケイが髪の毛を整え、別室で眠る夫アーノルドのところへやってくる。そして「したいの・・」というが、アーノルドは適当ないいわけをいって断るのである。そしてタイトル。

すっかり倦怠期になった結婚31年目のアーノルドとケイ。生活は順調だが、かつての愛し合う夫婦生活などどこ吹く風で、夫はゴルフと仕事、妻も日々の家事をこなすだけになっている。どこにでもある熟年夫婦の現実から映画が始まるのだ。

これではいけないと考えるケイは本屋で見つけたセラピーに参加することに。「ハッピースプリング」と名付けられた町でそれは開催される。それが原題。

最初は渋っていたアーノルドも、さりげなく先に飛行機に乗っているケイの横に。そのときのメリル・ストリープの、してやったりという流し目の演技がすばらしい。

フェルド医師のカウンセリングを受け始めるアーノルドとケイ。一見、全面拒否に見せるトミー・リー・ジョーンズが何気なくケイに近づいたり離れたりしながらのソファでうけるカウンセリングシーンが実にうまい。ずばずばとSEXについてストレートに聞いてくるフェルド医師に戸惑ったり、拒んだりしたりしながら、たわいのない、でもこの夫婦には苦痛に近い課題を提案されながら、何気なくお互いに近づいていく様もまた絶妙の演出。

そして、最後の最後、カウンセリング期間が終わって、やはり元の木阿弥かと思われて自宅にもどった夫婦。ケイは離婚を決意して涙するが、そこへアーノルドがやってきて優しく抱きしめ、そのまま素直にベッドイン。この展開のテンポのうまいこと。

翌朝、まるで、若返ったように朝の朝食後、出かける前にケイを押し倒してキスするアーノルド。ひそかに妄想に登場した近所のキャロラインとの軽いジョークの後暗転エンディング。

エンドタイトルに、二人の再出発の誓いをフェルド医師の前でするケイとアーノルドのシーンがかぶる。

つかず離れず、壊れそうで壊れないケイとアーノルドの夫婦が実にすばらしく、メリル・ストリープトミー・リー・ジョーンズの絶妙の演技力が発揮されるシーンが随所にある上に、デビッド・フランケルのセンスのいい選曲に乗せていく軽いリズムの映像が本当に小気味よいのです。

熟年の人々が身につまされるテーマであるにも関わらず、どこかにかすかに、そして大きな希望が見えてくる、とってもいい映画だった気がします。


「ペーパーボーイ 真夏の引力」
サスペンスであり、ミステリーであり、有る意味ホラーでもある、そしてラブストーリー、家族のドラマとここまで込み入りすぎると正直ぐったりしなくもないのだが、実に物語がシンプルに展開するから、脚本のうまさに脱帽する一本でした。

一人の黒人女性アニタが警察の取り調べでしょうか、答えている。彼女は有る白人の家の家政婦で、ジャックとウォードという二人の兄弟を幼いときから育てた。ジャックは地元で新聞配達をしている。

映像はモノクロの荒い画面で1969年に起こった保安官殺人事件を再現、その犯人のヒラリーは実は冤罪であるらしいということをウォードが新聞記者となって追っていたと語る。

物語はウォードが実家へ戻ってきて、弟のジャックとヒラリー事件の真相を追う形から始まる。獄中のヒラリーに手紙だけで愛を語るシャーロットが加わるが、このシャーロットにジャックは一目惚れしてしまう。

刑務所へ面会に行くと、いかにも狡猾なヒラリーが登場、目の前でシャーロットに卑猥なことをさせる。さらに、ウォードがつれてきた黒人の助手ヤードリーも罵倒。時代と地域性で黒人がまだまだ差別されていた現状を見せる。

事件を追ううちに、ジャックはシャーロットに迫り、そのシーンがオーバーラップやマルチスプリットの画面で繰り返される映像演出はこのリー・ダニエルズ監督の個性であろうか、なかなか見せてくれる。

そして、ウォードが実はホモセクシャルでMである異常性倒錯者であることが判明。やがてヒラリーは恩赦で釈放される。そして、シャーロットを見つけて一緒に沼地にある自宅へ。そこで監禁同様に暮らし始める。

ウォードたちの父の結婚式に、アニタからシャーロットがジャックに宛てた手紙を渡され、ウォードと一緒にシャーロットを救出に沼地の奥へボートで向かう。そこで、ウォードはヒラリーに山刀でのどを裂かれ殺され、ジャックは巧みにすでに殺されていたシャーロットを救出。二人の遺体をボートに乗せて川を彼方に去っていくシーンでエンディング。背後にアニタのヒラリーが捕まった下りがナレーションされる。

全体に非常に色を排除した画面で、さらに性倒錯者としてウォードを演じるマシュー・マコノビーの変態性、異常犯罪者ヒラリーを演じたジョン・キューザックのいかにも異常者という風貌、さらに、ウォード等の父親wwの女好きによる新しい母親との結婚という異常生活など、背景から展開まですべてにおいてどこかまともではない設定が実に不気味。それ故成り立つ入り組んだストーリーなのだが、それでも、一本の筋を決してはずさない演出が混乱を生まないのがなかなかのものである。

常にジャックのシャーロットへの想いを根幹にし、それを中心に枝葉を組み立てる手法をとったのが分かりやすくできた理由でしょうか。

リー・ダニエルズの映像は、一見ドキュメントのように一歩引いたアングルで人物をとらえ、まるで第三者のような視点を感じさせる。その上にテクニカルな編集を組み合わせた独特の画面を作り出す手腕はなかなかおもしろい。

決して好みの映画ではありませんが、なかなかの一品でした。