くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「ネオン太平記」「空かける花嫁」「真白き富士の嶺」

ネオン太平記

経営学入門”より「ネオン太平記
小沢昭一扮する益本がアルサロオアシスのホステス、店員の前で朝の訓辞をしているシーンから映画が始まる。今村昌平が脚本に参加しているだけあって、全体のムードが妙にぎらぎらして、暑苦しい。そのコテコテ感がバイタリティとなって、どこか汗くささがにじみ出てくる映画でした。

アルサロに集う男たちの埃臭さ、ホステスたちの体を張った迫力ある生活感、主人公のマネージャーの夫婦生活の殺伐とした感じ、
縛られたりする事を嫌うマネージャーの生き方、などがストーリーを牽引していく迫力に圧倒されながら物語に引き込まれていきます。

ひたすらもうけることにどん欲に突っ走りながらも、ホステスに手を出しては勝手な言い訳をする益本。さらに自分の人生観を決して曲げないものの、自分がかわいがった若い従業員に裏切られ、ものの考え方の変化に戸惑う益本の生きざまを、底辺の人々の姿を絡めて描く暑苦しさになんともいえない魅力を感じざるを得ない作品でした。

クライマックスはホステスたちが大挙して、マネージャーに先導されながら中之島までマラソンをしていく。沿道で応援する男たちはみんな客だと豪語しながらの大宣伝活動に、オーナーさえもがやめろと叫ぶ。それでも、何かを吹っ切ろうとするかのように笛を吹いて走っていくマネージャーの姿が妙に親近感のある人生ドラマとしてにじみ出てくるのだからおもしろい。

「”エロ事師たち”より人類学入門」の姉妹編としてのこの作品のバイタリティもまた、高度経済成長期の日本の姿なのかもしれません。


”花粉”より「空かける花嫁」」
何千人に数人というフランス留学生の試験に合格した主人公まるめのシーンから映画が始まるとっても軽いタッチの下町コメディです。

物語はこの孫娘に頭が上がらない祖父の七兵衛が何とかフランス行きをやめさせるべく、まるめの下宿先の隣の秋山という青年にフランス行きをやめさせるように芝居してくれとお願いするというのが中心になる。

やたらけちで、何かにつけ細かい金のことを持ち出す七兵衛のそれでも憎めないキャラクターと、勝ち気ながら、祖父思いで、お店思いの優しいまるめのキャラクターの掛け合いが実にに心地よい一本で、決して作品としてのクオリティは高いわけではないのですが、軽いテンポでぽんぽんと進んでいく展開にいつの間にか時間を忘れてしまう。

七兵衛の恋物語や、秋山の友人で浮気癖のある教授本間、さらに秋山に女優としてだしてくれと頼むダンサーや、本間の浮気癖に辟易する妻のやきもちなどの一つ一つはしっかりと描けていないので、支離滅裂ではあるものの、リズム感あふれる展開がとにかく楽しい。

結局、とうとうフランスへ行くと決めたまるめを何とか止めようと奔走する七兵衛が空港へ駆けつけると、まるみは七兵衛のでまかせの嘘にだまされて、秋山の病状を見る為に大阪に行く飛行機に乗っていて、その飛行機に無理やり七兵衛が秋山を乗せて、二人が出会ってハッピーエンド。

何のこともないラストシーンなのですが、とってもハッピーになれる一本。これが映画の本当の役割だと思う。楽しかったです


「真白き富士の嶺」
吉永小百合と浜田光男の薄幸の少女パターンの物語であるが、原作が太宰治ということで、どこか怪しいムードがただよう作品になっている。

物語は逗子にすむ磯田家が東京に引っ越す日に始まる。庭に残った籐の椅子によりかかって、姉の梢が、先日なくなった妹の梓を思い出す回想シーンで本編へ入っていく。
オーバーラップで海の景色から梓の顔のアップ、そして、これから病院を退院する日の梓のショットへ。

二年あまり入院生活をした梓は、体調もましになったということで自宅に帰ることになったが、実は回復の見込みがないと判断した病院の指示で自宅で最後を送らせることが目的なのである。

荷物をまとめていると、大量の手紙を発見した梢。執拗に隠そうとする梓の姿に不信を抱く。

梓が自宅に帰ってからのカメラの視点がちょっと吉永小百合にしつこく寄りすぎていて、さらにせりふも鼻につくほどにくどいので、ちょっと引いてしまうが、しだいに物語は梓が大事にしている手紙の送り主M・Tを探す梢たちの物語へ流れていき、さらに近くの高校のヨット部の青年富田と梓の出会いへと流れていくと、次第に気にならなくなる。というか、視点が物語の中心からずれてくるので、散漫になってきただけなのだ。

ストーリー展開の中心は献身的に妹を思う姉梢の行動に集まっているのだが、時に中途半端な長さのエピソードで梓と富田の出会いとプラトニックな恋物語に偏る。梓がかかえていた手紙の送り主M・Tは梓が作った架空の青年だと最初から薄々わかっているが、真相が明らかになる梢が作った偽のM・Tの手紙を読む下りもちょっと弱い。ここぞとばかりにワンシーンワンカットで延々ととらえるので、ここが最大の見せ場なのだろうが、このカメラワークがよくないのだ。

やがて、梓が死に、その悲嘆にくれる中で、今度は富田が嵐の日に海にヨットで出て、半ば自殺かのように死んでしまう悲劇まで語られる。

エピローグは最初に戻って、悲しみの逗子を離れて東京へ帰る車のシーンでエンディングだが、梓と青年のプラトニックな部分をもっと描くべきだった。
回想で物語が進んでいくのだから、どうにでもエピソードの長短は作れたのである。そこに、M・Tの手紙を梢があれこれ心配し、画策し、梓への愛情として表していけば、もっと心情ドラマがしっかりと描けたのである。そのあたりが本当に残念な一本で、もちろん、名作と呼ばれる映画ではないのだが、惜しい。しかし、量産していた当時の映画産業のムードからはこれもまた全盛期の映画の一本だなぁと思えるのです。