「ある天文学者の恋文」
ニコラス・スパークスの小説を思わせるようファンタジックな物語。今時のメールや動画を駆使する一方でオーソドックスな手紙を取り入れ、美しい絵作りで描いたちょっと洒落たラブストーリーでした。監督はジョゼッペ・トルナトーレです。
大学教授のエドと女子大生のエイミーが濃厚なキスをしているシーンから映画が始まる。どうやらエドには妻も娘もいるようで不倫である。一方、エイミーは学生の傍スタントの仕事をしている。
いつも動画やSKYPE、メールなので愛を語り合うエドとエイミー。エドは非常に優れた天文学者で、まるでエイミーの行動の先を予想したようにメールやプレゼントを送ってくる。
ある日突然、エドに連絡がつかなくなったエイミーは、大学の講義に出て、エドの死を知る。ところがエドからのメールや手紙はその後も都度届くのである。それもエイミーの行動しているのを見ているかのように。
こうして、すでに亡くなったエドと彼への思いを断ち切れないエイミーとの不思議な交流が始まる。
ところが、二人がよく過ごした島の中の別荘でエドの映像を見ていて、彼が、エイミーの過去の悲劇について触れたために、エイミーはそのDVDを暖炉に捨ててしまった。途端に、彼からの手紙もメールも届かなくなる。
やがて、エイミーに届いていた手紙などは全てエドの友人の弁護士に託されていたことがわかり、燃やしてしまったDVDも復元ならず、なんとかもう一度エドと対話したいと必死になるエイミー。
そして、ふとしたことから、再開するためのメッセージを発見。一方で、エドが残したビデオカメラのバッグにメモリーカードを見つける。
そして、見たエイミーへのエドの最後の言葉を聞くに及び、すでにエイミーが新たな未来を歩みだしていることを知る。
美しい街並みのカットや構図、さらにエドが亡くなった頃に、人懐こくエイミーに近づく犬や、窓に張り付く枯葉など、実にファンタジックな画面が綴られる。このあたりのセンスはやはりトルナトーレ監督ならではのものだろう。
ただ、やや後半、間延びしてしまうところがあり、もう少し削除するべきところをカットして畳み掛ければ見事な作品に仕上がった気がします。とっても素敵なラブストーリーだし、人生ドラマとしても優れていると思うのですが、少し、欲張りすぎた感じです。でもいい映画でした。
「嵐を呼ぶ男」(渡哲也版)
石原裕次郎版が有名な作品のリメイクで、監督は舛田利雄である。さすがにしっかりと作られたストーリーだけに最後まで見応え十分な一本。飽きさせないつくりと渡哲也の存在感が画面を引き締めています。
物語は今更ですが、場末のストリップ小屋でドラムを叩いていた国分正一が芸能プロの女マネージャーに認められ、偶然が重なってテレビデビューし、みるみる人気を博していく。
見せ場はドラム合戦ですが、その前後の親子の物語、兄妹愛の物語もしっかりしていて、無駄がないのは、やはりある意味一度成功した作品ゆえでしょうか。
いずれにせよ、作品全体に華やかさの漂う一本で、スター映画の典型と言える面白さに最後まで引き込まれてしまいます。テーマ曲が流れるラストも素敵。これが映画ですね。
「散弾銃(ショットガン)の男」
山奥の製材所のある村に、ショットガンを背負った風来坊がやってきて捲き起こる無国籍アクションで、荒っぽい脚本ですが、余計なことはそっちのけにB級アクションの世界が展開する痛快作品でした。監督は鈴木清順です。
アルプスで恋人を殺され、その犯人を探してこの村にやってきた主人公が、この村の製材所で麻薬を栽培している悪徳社長とその取り巻きたちと巻き起こす単純な物語で、一つのシーン一つのシーンがまるで即興ではないかと思うほどに雑に切り替わっていく。
結局製材所に居候していた3人組が犯人で、最後は警察に捕まってエンディング。鈴木清順得意の様式美に彩られたシーンはなく、ある意味この監督の個性の一つである痛快作品という色合いが前面に出ている。
まぁ、苦笑いしてしまうようなシーンも多々あるもののこの荒削りさがこの映画の魅力かもしれません。楽しかったです。