くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「麗しのサブリナ」「おしん」

麗しのサブリナ

麗しのサブリナ
何十年ぶりかで見直したビリー・ワイルダー監督の名作にして、オードリー・ヘップバーンの代表作ですが、さすがにすばらしい作品です。

考え抜かれ、練り抜かれたロマンティックなせりふの数々、そして、決して、ほんのわずかなエピソードも無駄にしない、徹底的に書き込まれたストーリー構成の完成度の高さ、そして、ほんの些細な心の変化を見事に映像に生み出すビリー・ワイルダーの卓越した職人演出。全く、寒気がするほどにすばらしい。これが名作ですね。

今更ストーリーを繰り返す必要はないので書きませんが、次々と飛び出してくる、粋というかうっとりするほどのロマンティックなそして、詩的なほどにうつくしいフレーズに、ワンシーンも聞き逃せないほどにうっとりする。さらに、前半部分のワイングラスをお尻にしいて割ってしまうエピソードをラストで社長が役員室で、オリーブの入った瓶をおしりで割ってしまうエピソードにつなぐなど、決して一つ一つの出来事が無駄に組み合わせられていない。

ここまで完成されていると、アドリブなどはいる余地もないほどに完璧である。そして、絶妙のリズムで演出される軽いコメディなのに、父親の娘への想い、兄弟愛、乙女の純情や恋愛感、さらに周辺の人々の暖かい心の交流、さりげないちょっとした場面の数々に引き込まれ、涙し、ラストでは思わず拍手してしまいたくなる。これが名作ですね。すばらしかった


おしん
国民的大ヒットテレビドラマの映画化であるので、所詮、スペシャル版程度の映画だろうと高をくくってみていたのですが、なんと、終始泣いていました。予想以上にいい映画だった。さて、何でだろうと考えてみたら、いかに、橋田壽賀子の原作が大傑作だったかということなのです。そして、そのエッセンスをしっかりと見据えた上で、映画版に脚本化した山田耕大、演出した富樫森らスタッフの力量と意気込みに拍手したい。そしてもちろん、それに応えたキャスト濱田ここね、上戸彩らにも拍手したい映画でした。

日本人が忘れていた心が、見事に描かれています。そう、こういう思いやり、こういう心がけ、こういう人を思う人情、そんなものが、なんの嫌みもなくストレートに胸に伝わってくる。全く見事なものである。

映画は、テレビ版のメインテーマをバックに、吹雪の中、おしんがこちらに駆けてくる。そして、タイトル。

物語は明治40年、山深い小作人の家に舞台が移る。その日暮らしの食べ物をすする子沢山の家族。長女のおしんもにこやかに母ふじがよそう食事を口にしている。そんなおしんに父作造は「奉公にでろ」と告げる。家族誰もが、どうしようもないことを知りながらも、ふじも祖母なかも、作造の言葉に反抗する。

こうして、わずか一年分の米と引き替えに奉公に出されるおしん。奉公先で、さんざんこき使われ、たまたまなくなった末におしんは五十銭を盗んだぬれぎぬを着せられる。しかし懐に持っていたのは家を出るときに祖母なかが持たせてくれたものである。

嫌気がさしたおしんは、奉公先をとびだし、途中倒れているところを脱走兵の青年俊作に助けられ、山小屋で読み書きを教えられ、ハーモニカをもらう。しかし、おしんを送っていくときに俊作は、たまたま通った兵隊に見つかり、射殺される。この場面もさりげないシーンながら、妙に胸が熱くなる。

やがて、家に戻るが、再び次の奉公先へ。ところが今度のところの加賀屋は、物わかりのいい女主人くにのもとで、幸せな奉公生活を送るが、一人娘でわがままな加代の嫉妬で、おしんは思わず加代にけがをさせてしまう。このまま追い出されるかと思いきや、加代が改心して素直になり、事のいきさつを話して、助ける。全く観客の心情を見事にキャッチしたエピソードの組立のうまさに頭が下がる。

このあたりの展開がこのドラマのヒットの原因であり、脚本としての原作のすばらしさなのである。

そして、ある日、今度は町で母親ふじが、飲み屋の客らしい男と笑っているところを見かけるのだ。一つの物語が終わると次の展開へと進むプロットのうまさに、ここでうなってしまうのである。ただの苦労話が延々二時間続くのかと思っていたら、その多彩な展開にどんどん引き込まれ、そして、じわじわと胸に迫ってくる感動が生み出されてくる。

夜中に母親ふじと再会し抱き合う。ふじは、決して父親やおしんを裏切っていないと告げて別れる。短いシーンだが、しっかり、手を抜かない演出が、薄っぺらいシーンになっていないのがいいです。

やがて、祖母なかが危篤の知らせが入り、おしんが家に帰ってみると、すでにかわいがってもらった祖母は他界。そして、かつて奉公した先から五十銭が送り返され、ぬれぎぬだったとわかった旨がとどく。このあたりも見事なもので、あのままあの家族が悪者という事はせず、みている人の心情、人間は決して性根は悪い人間はいないのだという日本人の心を描写するのである。

やがて、おしん「家にいても大丈夫なのよ」という母の優しい言葉をあとに、再び奉公先へ戻る場面でエンディング。

一見冷たいように見せる作造も、最初におしんがのっていく筏を岸から追いかけたり、ラストで、母親が死の間際になったところで、玄関先で崩れ落ちて泣いたりと、それぞれの登場人物をすべて、心の心底では暖かい人間として描いている。非常に貧乏な家族の物語でありながら、物語の中に暖かさを欠かさない橋田壽賀子の原作がすばらしい。

テレビ版はみたことがないけれども、この映画版をみる限りは、観る価値が十分にある佳作だったと思います。素直に泣けました。