くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「わたしのハワイの歩き方」「ノア 約束の舟」「遠くの空に

kurawan2014-06-17

「わたしのハワイの歩き方」
ゆるゆるの脚本と、ゆるゆるの演出、ゆるゆるの演技、まるで糸が切れた凧のような作品、そんな映画に久しぶりに出会ってしまった

登場人物の心理変化も、薄っぺらなせりふで表現するだけで、といってハワイを舞台にしていることでハワイの観光映画にもなっていない。なんてたわいないの?とさえ途中から思ってしまう。

映画は主人公みのりが、友人から、結婚式の二次会の幹事を頼まれるシーンから始まる。そのあとの友人同士の毒舌トークはありきたりだが、さらに、みのりは、つとめている出版社の社長に掛け合い、ハワイ取材旅行を了解させ、ハワイへ。

現地で、出会うありきたりな友達の数々と、流れの中で出会う、気の合う女友達、理想ばかり追い求めている若者、そして地元資産家の子息との出会い、まあ、よくある話は、それでいいと思うが、せりふに妙味もないし、展開も適当で、ストーリーになっていない。

結局、当然のごとく、資産家の子息との恋は成就せず、よくある庶民同士のハッピーエンドで収まる。

日本映画に「ローマの休日」や「プリティウーマン」が作れないのがひしひしと感じてしまった。どうして夢を作り出せないのかと思うと、寂しい限りだ。結局、こじんまりした殻の中に収まってしまう物語ばかりである。

資産家と結婚というハッピーエンドもよかったと思うが、終盤の、カフェでのどたばた劇もとってつけたような演出で見ていられない。

榮倉奈々は元々好きではなかったが、最近ちょっと気になっているので見に行ったが、ちょっと残念すぎる一本だった。


「ノア 約束の船」
今まで、神のお告げを聞いた聖人というイメージで語られてきたノアという人物に毒を持たせ、圧倒的な迫力の人間ドラマとして完成された脚本と、演出の見事さに感服する一本。しかも、大洪水という当然あるべきスペクタクルシーンも手を抜いたわけではない。この力のいれようはなかなかのものである。

計ったわけではないが、この作品を見ていて、まず感じるのが、思いの外、箱船の完成が早く、ほぼ中盤あたりで、大洪水のスペクタクルシーンがあるこのストーリー構成に、まず目を引かれるのである。

では、この後、この壮大な物語をどう展開させるのか?その疑問に答えたのが、やや狂信的なくらいに描かれたノアという人物である。

箱船の中でノアは家族に、神が自分に託した使命について語る。それは、当初考えていた神の楽園を本来の形にするために、動物は残し、人間は最終的に、抹殺されるというものである。つまり、ノアの一族が最後の人類になるというお告げを聞いたというのだ。

一方で、ノアの祖父の祝福を受けたイラは、妊娠できないはずの体が、奇跡によって、回復し、愛する夫セムの子供を身ごもることになり、ノアは、その使命のために、その赤ん坊を殺すと宣言するのだ。

そして、イラは双子の女の子を産み、あわやノアはその赤ん坊を刺し殺そうとするが、結局、できない。この選択こそが、神が最後に人間を試したものではないか?という疑問を投げかけ、一度は、神に背いた罪悪感で家族の元を離れたノアが、セムたちに促され、家族の元に戻り、エンディングとなる。

デジタル映像を多用するダーレン・アロノフスキー監督のテクニックはあまり好みではないのですが、それは前半部分に集中しているし、洪水にのまれてからは、人間ドラマとして押し切ってくるすばらしい演出を見せるので、よかったと思います。

映画は、ノアの父が殺される場面に始まり、ノアが家族を持っている時代まで時が一気に飛ぶ。そして、まもなくして、神のお告げを聞き、箱船を完成させ、大洪水、後半へとなだれ込む展開は、2時間あまりある長尺作品ながら、実に配分がうまい。ドラマ演出に相当な自信があったためだろう。

確かに、スペクタクル映画ですが、かなり奥の深い重厚な作り方は、従来の宗教映画と一千を画した一本だった気がします。


遠くの空に消えた
こんな良い映画を見逃していたとは、と思えるほどのファンタジーの秀作、とってもいい映画でした。まさに行定勲監督オリジナルの真骨頂でした。

映画は、地方の空港に一機の飛行機が降りてくるところから始まる。そして、そこに降り立った一人の乗客が、空港の隅にしゃがみ込んでいる。スチュワーデス二人が近づいてみると、そこには、空港の地面に埋もれた靴。その青年はスチュワーデスに、この靴にまつわる物語を語り始める。この導入部だけでも、わくわくするファーストシーンですね。

場面が変わると一台の車が、草原のような中の道を走ってくる。途中で止まり、中から一人の子供亮介がおりて、立ち小便をする。そこへ一人の地元の男の子公平の牛乳配達の自転車がやってきて、立ち小便をする。亮介はその牛乳を勝手に飲んでいると、あわてた公平が亮介のそばにくると、亮介は彼方を指さす。そこには一人の少女が山肌の霞の中に立って両手を広げている。彼女はヒハルという。

本当に一つ一つがファンタジーである。物語はこの二人の少年を中心に、UFOが父親を連れていったと信じる少女ヒハルを交えた物語として展開するが、そこに、空港建設に反対する地元地主や、やくざもの達、さらには、学校の先生の結婚話に、先生が森で出会った、翼をつけて飛んでいる青年のエピソード、亮介の父が、実はこの地の出身で、公平の父親と幼なじみというエピソードなども絡んでくる。

ヒハルは、流れ星を捕まえる天体望遠鏡なども所有し、父の帰りを信じて、望遠鏡をのぞきながらダイヤルを回したりする。もちろん、父が帰ってこないのはわかっているのだが、信じたくないのである。そして、父が残した隕石のかけらを大事に持っているのである。

妙にエキゾチックな煉瓦づくりのクラブや、そこにホステス達が、異様な出で立ちであったり、演奏もちょっとシュールだったり、でてくるチンピラ達も真っ黒なスーツで、バリケードのあたりにたむろしていたりと、現実がファンタジーか境目が不可思議な映像が展開する。

やがて、空港反対運動は、子供達の遊びにも関わってくる。
子供達が慕う、伝書鳩を友達にし、亮介に似た弟を、かつて自分が殺したと思ってトラウマになっている赤星。チンピラのリーダーが赤星の伝書鳩を殺し、それを亮介の父親のせいにし、赤星にピストルを与え、赤星は亮介の父親を撃ってしまう。一方良助たちのクラスメートの一人が、亮介やヒハル達が作ったUFOを呼ぶ櫓を壊してしまい、ショックを受けたヒハルは、がけから飛び降りてけがをする。

それまでほのぼのと、ファンタジックに展開していたお話は、このチンピラが伝書鳩を殺すあたりから一気に急展開、クライマックスへ向かうのである。

伝書鳩が殺されたのを羽が舞い落ちるシーンで呼び起こしたり、映像のこだわりは常に懲りすぎるほどにすばらしい。

これではいけないと感じた公平や亮介たちは、ひとつの計画をする。怪我で入院しているヒハルのために、空港建設予定地の麦畑にミステリーサークルを作るのだ。子供たちがサークルを作っている本のその時、ベッドの傍らにおいてあった隕石のかけらと、公平のもらったお守りの石がひとつになり輝いて夜空に飛んで行くというくだりなどもある。

翌朝、ミステリーサークルをヒハルに見せる子供たち。結果として空港建設も頓挫し、亮介の父親も、もう一度本土に戻ることになる。そして、亮介と父が乗る車が、走り去って行く。それを追いかける公平、友達たち。

映画はエピローグとして、最初の空港のシーンへ。話していた青年は大人になった亮介であった。底へ、大人になった公平が迎えに来てエンディング。

本当にファンタジックな物語で、ファンタジー版「スタンド・バイ・ミー」のようだった。良い映画を見たなぁという感じです。