くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「私の、息子」「サクリファイス」

kurawan2014-07-08

「私の、息子」
全体に重苦しいほどの心理ドラマでありながら、にじみ出てくる、母の愛、子供の苦悩という、当たり前の心の物語が、ひしひしとこちらに伝わってくる、なかなかの秀作だった。

手持ちカメラを中心に、右に左にと人物の会話をとらえていく。それぞれの人物の表情が微妙に変わる様を丁寧に演出するルーマニアのカリン・ペーター・ネッツァー監督の手腕は、一見、しんどい映像のようで、実はしっかりと、演技演出を施しているからすごい。

映画は、主人公コルネリアが一人の女性と会話しているシーンにはじまる。舞台建築家としてそれなりの地位にいるコルネリアだが、彼女には30歳になる一人息子バルブがいて、彼が心配の種なのである。

二人の会話を、右に左に、ある時は後ろから、横からとカメラが追いかけるワンシーンワンカットで、もちろん、カット割りもあるが、かなりワンカットで描くシーンも多用される。

ある日、舞台での仕事をしていたコルネリアに、息子のバルブが交通事故で、子供をはねて殺してしまったという連絡がはいる。それなりの財力と、コネを駆使し、彼を救うべく奔走を始めるコルネリアの迅速な行動が前半部の見所であり、次々と、電話や知人、夫に連絡を取り進めていく様は、見事であるが、一方の息子のバルブの反応が非常に鈍いのが気にかかる。

ルーマニアという国柄の描写もちらほらとみられ、頼りにならない警官、複雑な民族意識の確執なども見え隠れする。

バルブには恋人のカルメンがいるが、どうもこの二人とコルネリアの間には溝が見えてくるという中盤から、この作品のメッセージが見え隠れしてくるのだ。

刑罰を最小限にするべく、証言者に接触を試みるコルネリア、そんな母の行動に反発するバルブ。

ある日、コルネリアは、カルメンから、バルブが異常なほどの潔癖性で、避妊にたいしても異常なほどの行動をとり、どうやら子供もほしくないようなので、別れることを考えていると告げられる。子供の心を知らなかったコルネリアのショック、展開は、さらに母の苦悩、息子に何とか親しく接しようとする親心へと展開、被害者の家に悔やみに行くという流れへと進む。

しかし、家についたものの、バルブは母への反発もあり、かたくなに車から降りず、コルネリアはカルメンと共に、被害者の父に会う。そして、「一人息子の人生を、どうか壊さないでほしいと涙ながらに訴える」

でてきて、車に乗ったコルネリアの姿をみたためか、バルブはゆっくりと車を降り、被害者の父に歩み寄る。バックミラーを通してその姿を見るコルネリア、バルブと被害者の父の会話は聞こえないが、やがて、ゆっくりと握手をし、父は戻っていく。バルブが車に乗る。

「胎児のポーズ」
というテロップと共に暗転エンディング。
この最後のテロップの意味する物はなんだろう?バルブが母コルネリアのおなかにもう一度その人生をゆだねたということか、二人が親子として、もう一度絆を取り戻したということか。

エンドロールに優しいメロディの曲がかぶっていく。

シンプルなストーリーにもかかわらず、胸に迫る母親と息子の心の動き、その圧倒的な声こそがこの作品の本当の真価であろう。揺れるカメラワークも、ほとんど気にならない倉に映像全体がリズムを帯びてくる終盤の瞬間がすばらしい。好き嫌いのでる作品だが、映画としてはハイレベルの一本だった気がします。


サクリファイス
アンドレイ・タルコフスキー監督作品で、唯一、見逃している一本をみる。

うん、さすがに、タルコフスキー監督作品、実に見事なシュールな世界を堪能してしまうし、二時間半ほど、正直、理解できたのかどうかわからないが、隙のない充実した映像世界に魅入ってしまう。

映画は、海岸で一人の男アレクサンドルと子供が、一本の木を植えているシーンに始まる。ロングでとらえるカットで延々と、長回しとせりふのワンシーンワンカット。次第にカメラがよってくるが、それまではかなり長い。子供は喉の手術をしたようで、途中で担当の医師で友人のヴィクトルがやってくる。

突然、子供がいなくなる。探しているアレクサンドルの後ろから子供がふざけて飛びかかるので、思わず払いのけると、子供が血だらけになり吹っ飛ぶ。最後までみると、実はアレクサンドルが誤って子供を傷つけたのか?

やがて、家に戻ると、妻がいて、家族がいる。郵便配達が、ヨーロッパの地図を届ける。しかし、なぜか映像はモノクロームに近い物になり、突然、荒廃した景色のカットが挿入される。この家族の会話、子供がベッドで眠る。

突然、物々しい音がして、ジェット機らしい爆音、突風、棚の、ミルクを入れたポットが床に落ちて割れる。テレビを見つめる彼ら、どうやら核戦争が起こったというニュースに続いて、テレビが消え、電気が止まり、なにもかもが静止する。その中で、繰り返されるシュールな映像。この地区だけが無事で、世界が滅んだという。

夜、郵便配達は、ここでメイドをしていて、湖の向こうに帰ったマリアと寝なさいとアレクサンドルに語る。

このマリアこそは、世界を救うことができる、神の象徴なのだろうか?そして、自転車に乗り、湖の向こうへ行くアレクサンドル。妻がいるにも関わらず、この行為を行うことで、世界が救えるならと身を捧げたアレクサンドルの姿なのか?

そこでマリアと一夜をともにして、夜が明けると、映像はカラーに変わり、何事もない景色が。マリアこそがやはり救世主だったのか?

家に戻ると、ヴィクトルらはオーストラリアに行くという。アレクサンドルは家に火をつけ、彼が気が触れたと思った家族は、彼を救急車に乗せる。崩れさる家。救急車を追って自転車で走るマリア、海岸では、子供が、植えた木に水をやっている。走り去る救急車、子供が木のそばに寝ころび「はじめに言葉ありき」とようやく声が出せるようになったことを告げる。エンディング。世界は救われた。

確かに、シュールだ。しかし、タルコフスキー芸術を堪能することができるし、もう一度みたくなる魅力がある。

個人的にはやはり「惑星ソラリス」「ノスタルジア」の方が好きだし、理解できるのだが、この「サクリファイス」も好きな映画の一本になりそうな予感がする。スヴェン・ニクヴェストのカメラが今回もすばらしい。