くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「るろうに剣心 京都大火編」「秋立ちぬ」

kurawan2014-08-08

るろうに剣心 京都大火編」
前作で、世界に通用するアクション時代劇のおもしろさを堪能し、今回、期待の続編。監督は前作同様、大友啓史。期待通り、めまぐるしいほどのアクションシーンの連続とスピード感を堪能することができました。単純に、とにかくおもしろかった。

しかも、前作の成功で、さらにスケールアップ、クライマックスの京都の空にあがる花火の演出、志々雄たちの軍艦のような巨大戦艦の登場など、かなりど派手であるが、どこか押さえた演出は、今回が前編で、9月に公開される後編を意識してのことでしょう。

最初の見せ場は、村人を見せしめにされた村での大立ち回りのアクションシーン。一瞬で数十人を倒す剣心の殺陣が、まず最初に目を引く。しかも、ドラマ部分に飽き始める絶妙のタイミングでこのシーンを配置した、脚本構成のうまさに脱帽。

続いては、京都に入り、志々雄たちの、京都を火の海にするという計画を阻止する下りのアクションシーンであるが、ここかちょっと、混沌とし過ぎて、やや組立が雑である。

あっけなく志々雄の計画の真相を見破るし、もちろん、花火が打ちあがり、炎のたいまつが持ち込まれ、いざ戦いという流れはわかるが、いかにも、理屈立てがよくない。とにかくアクションシーンへ持ち込むためのお膳立てが甘いのである。つまり、サスペンスフルな演出が苦手なのかもしれない。

しかしながら、めまぐるしく立ち回る敵味方、剣心の太刀裁き、伊勢谷友介と田中民とのアクションなど、見せ場が随所に作られ、一瞬も目を離せない。

薫を追って、志々雄たちの軍艦に乗り込む剣心のクライマックス。せっかく捕まえた薫を、あっけなく海に突き落とし、剣心をおびき出そうとした風な誘拐シーンでもないのに、この場面の意味はなに?という感じがしないでもない。

結局、薫を追って海に飛び込んだ剣心が、どこかの浜辺に打ち上げられ、謎の男(なんと福山雅治)に担がれて、いずこかへいくシーンでエンディング。この終盤が非常にむちゃぶりである。

結局、アクションシーンのおもしろさに頼りきった作品となって、前作ほどの完成度に至らなかったのは、後編への伏線とかを意識し過ぎたためだろうか。それなら一気に書き上げ、作り上げた方が、切れのあるアクション映画になったかもしれないのがやや残念。

大作におぼれたという感じになったものの、やはりアクション時代劇というジャンルの一級品の娯楽映画を作った大友啓史監督と、それに応えた佐藤健の存在感には拍手したい一本だった。二時間半があっという間というのはおもしろかった証拠である。


「秋立ちぬ」
こういうたわいのない映画を作らせると、成瀬巳喜男監督は実にうまい。

映画は信州から東京へやってきた主人公の少年秀男と母茂子のシーンから始まる。八百屋で居候になる秀男を残して、茂子は一人、旅館で女中をする。

物語は、この秀男の目を通して描かれる大人の世界で、茂子がつとめる旅館の娘順子と親しくなり、二人でデパートに行ったり、海を見に行ったりする。

その傍らで、順子の母親は実は二号さんで、時々大阪から父親がやって来るというくだりや、秀男の預けられた八百屋の息子との話などが絡むが、ふつうの大人の世界の話が、どこか一歩引いた視線で秀男と順子が話し合う展開が実におもしろい。

特に劇的な展開はないし、大きな事件が起こるわけではない。ただ、秀男の母茂子は秀男をおいて、客と駆け落ちしてしまうし、カブトムシを捕りにつれていってやる約束をした八百屋の気のいい兄貴も、結局友達に誘われ、秀男との約束を後回しにするし、順子は夏休みの終わりに、秀男に挨拶もなく引っ越してしまう。

それぞれのエピソードに、無駄な前置きや説明、周りの人々との関わりの展開もない。淡々と、物語はすすみ、まさに成瀬巳喜男ならではの省略の芸術が徹底される様は見事なものである。

シンプルな日常の一ページを、これほどまでに見せる成瀬巳喜男の演出力に頭が下がる一本でした。