「迷宮カフェ」
骨髄バンクに登録しなさい、というお仕着せがましいほどに繰り返し訴えかけてくる。しかも、そのメッセージを遠回しに語ろうとするあまり、ストーリーは支離滅裂になってしまった。映画としては、一番嫌いなタイプの映画である。監督は幌根川廣
もちろん、骨髄バンクを否定するものでも何でもないが、こういう映画の描き方はちょっとおすすめできない。もっとストレートに訴えればいいのではないかと思う。
映画はマリコとソラという少女が、堤防で、明日天気が良かったら一緒に海で死のう、と約束するところから始まる。この死の描き方もまず嫌い。
ところが、ソラはマリコを見送りながら一人踏切にたたずむ。ソラの呼びかけに答えられなかったマリコは、トラウマのように、自殺志願者を受け入れるカフェを開く。
一方、ある出版社にフリーのライターがやってくる。編集長から、群馬にある「迷宮カフェ」という。そこは、足を踏み入れた客が失踪して、帰ってこないから、そのところを取材してくれと依頼される。
こうしてお話は始まるが、この迷宮カフェは自殺志願者に、死ぬ前に骨髄バンクに登録し、適合者が見つかって、提供してから死んでもらう契約を取って、住まわせていることを突き止める。
しかし、ボディビルダーの松浦は、適合者がきまってから、執拗なまでの説明シーンと、結局、提供後、実家に戻る。自殺の話はどうなったのという感じで、ここから、最初のストーリーの骨子が無視されてくるのだ。
続いて、マリコも適合者が見つかり、提供するが、それで終わり。路上殺人者だったスグルが警察に捕まりかけ、首の毒薬を飲もうとするが、それは砂糖だったという説明。もう、最初の設定はどうでも良くなって、ただ、骨髄提供を訴えかけてくる。
もうラストに至っては、マリコの亡霊のように現れていたソラが実はソラの妹だったという展開から、マリコがソラの呼びかけを誤解していたことがわかり、残ったメンバーが海岸に行き、エンディング。
最悪の作り方である。これなら、ストレートにお願いしてきてくれる方がいい。偽善的映画の典型だった。
「フェラーリの運ぶ夢」
これまた、典型的な一般的なインド映画、さらに、ものすごい美女も、楽しいダンスシーンもない(少しあるが)つまらない一本だった。
映画が始まり、おかまみたいなぶよぶよの父親ルーシーが、父親や息子カヨの世話をしているシーンに始まる。カヨはクリケットの名手で、ロンドンでの合宿メンバーに選ばれる可能性があると知らされる。しかし、そのお金が15万ルピーいると知り、貧乏なルーシーの家では無理である。
物語は、ルーシーがその金を作るために、成り行きでフェラーリを盗むことになり、騒動が起こっていくというもので、その場限りで物語を作っていくという典型的なインド映画の作り方で進んでいくので、お話はてんでまとまらない。
さらに、ルーシーを演じる男優がやたら気持ち悪いし、周りの人物も魅力なし。インド映画特有の絶世の美女もでてこない。しかも、ダンスや歌も中途半端。インド映画の魅力が全くないインド映画。
物語は、とってつけたようなハッピーエンドで締めくくるのだが、この陳腐さは何だというほどの出来映えだった。