くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「セッション」「恋する・ヴァンパイア」

kurawan2015-04-20

「セッション」
強烈な映画である。ほとばしる汗、血、罵声、なにもかもがスクリーンから飛び出してくる迫力がある。しかも、映画は至って現実離れした力を帯びていて、それでいてヒューマンドラマの装いも無視していない。確かに評判通りの一本でした。監督はデイミアン・チャゼルという人である。

真っ暗な画面に、ドラムの音が流れて映画が始まる。明るくなると、一人の青年ニーマンがシャーマン音楽学校の一室でドラムを一心にたたいている。そこへ一人のはげた男が入ってきて好き勝手なことを言って去っていく。彼こそ、この音楽院の伝説の教授フレッチャーだった。

こうして映画は始まる。服装もモノトーンで統一し、色による意識の分散を極力排除した画面づくり、クローズアップを多用した緊張感あふれる演出でストーリーをぐいぐいと引っ張っていく。

フレッチャー教授に声をかけられたニーマンは、勇んでで彼の率いるバンドに新人として参加する。フレッチャー教授の異常なほどの厳しいレッスンに涙が流れるものの、その悔しさをバネに、ある偶然から主演奏者のドラマーとなる。そして次々と大会をこなしていくが、ある大会で、バスの事故で遅れ、あわててレンタカーで駆けつけるもスティックを忘れ、それを取りにもどり、戻る途中で事故にあって瀕死の重傷を負う。

それでも、ドラムをたたくが、フレッチャーの厳しいだめ出しに切れたニーマンは、フレッチャーに殴りかかり、退学に。そして、フレッチャーもその指導の異常さを保護者にとがめられて大学を去る。

とにかく、ドラムの頂点に向かって鬼気迫っていくニーマンの姿と、それを厳しくつき落とすフレッチャーの罵声が、この映画のすべてといってもいい。

快復したニーマンはある夜、街角のカフェでピアノを弾くフレッチャーを発見。帰り際、フレッチャーは次の演奏にニーマンを呼ぶが、それは、フレッチャーを追い出したニーマンへの復讐でもあった。

舞台上で突然曲を変えたフレッチャーに、ニーマンはしどろもどろの演奏をし、一端は袖に去るも、再度舞台へ。そして自分の自由にドラムをたたき始め、それはやがてフレッチャーをも巻き込み、演奏が終わる。そして、二人がにらみ合い、さらなる未来を予感させて暗転エンディング。

画面から伝わる緊張感が半端ではなく、ドラムの激しいビート音が耳からは慣れない。フレッチャーを演じたJ・K・シモンズの存在感が強烈でもあり、対して、必死で存在感を消されないように好演したニーマン役のマイルズ・テラーもなかなかのものだった。

一瞬、カフェでのニーマンとフレッチャーの会話に、ゆるみが感じられ、このままお涙頂戴感動ドラマかと思わせて、舞台上でのフレッチャーの復讐劇、さらにそれに返り討ちするニーマンの物語が見事な一本。かなりな傑作だったと思います。おもしろかった。


「恋する・ヴァンパイア」
ゆるゆるで、だれだれで、これというのもない映画。そんな一本ですが、特にファンでもないとはいえ桐谷美玲主演というだけで見た映画。じゃあ、何が見たかったのという感じである。監督は原作、脚本も手がけた鈴木舞という人で、中国の演劇学校で勉強してきたというから、なにか見るべきものがあるかもしれないと、かすかな期待もあった。でも、ふつうだった。

映画は台湾のヴァンパイアの夫婦の間に生まれたキイラが、哲という少年に恋をするが、なぜか両親はヴァンパイアの怖い人(何者か説明なし)に殺され、日本へ逃げてきてパン屋をしている祖父と一緒に暮らしている。

物語は、大人になった哲と再会したキイラの周りで起こるヴァンパイア物語で、とにかく、なんの変哲もないし、脚本の構成も平凡、演技も適当、作品のクオリティは凡作そのものだが、これもまた映画のあり方であり、桐谷美玲と相手役の戸塚翔太だけで客を呼べればいいかなという適当な映画だった。でも、桐谷美玲がかわいいし、それほどファンでなくてもそれはそれで楽しめたから損をした気にならないところが映画のおもしろさなのです。