くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「わが友イワン・ラプシン」「フルスタリョフ、車を!」

kurawan2015-04-22

「わが友イワン・ラプシン」
アレクセイ・ゲルマン監督の傑作の一本。例によって長回しを多用した緊張感のある演出が光る一本で、オープニングの子供のナレーションから、主人公イワン・ラプシンの紹介、そしてタイトルまで一気に引き込む。

1930年代のスターリン粛正前夜の殺伐とした舞台背景に、刑事であるイワン・ラプシンの物語は、非常に特異な感覚を見せてくれます。

カメラが、一時も観客からスクリーンへの視線をはずさず、次々と物語がめくるめく流れていく様は「神々のたそがれ」を彷彿とさせるものがあり、これがアレクセイ・ゲルマンの個性なのだろうと、その独走性に圧倒される。

物語よりも、画面からあふれでてくるイメージを感じ取る映画であり、ストーリー展開のおもしろさとか、構成のうまさとかではない。その一種映像芸術と呼べるような画面づくりが、一級品樽ゆえんではないかと思えます。クオリティのすばらしさは必見の一本でした。


フルスタリョフ、車を!」
まさに解説の通り、混沌たる物語である。主人公は彼なのだろうかと話を追いかけていくと、その周辺の混乱に翻弄されてしまう。しかも、得意の長回しが語る映像表現の秀逸さに目を見張っていると、さらに、物語が見えなくなってくるのだ。

全く、驚嘆するべき一本である。

映画が始まると、夜の町、電球につられたネオンが輝いている。幻想的な映像から、車から降りてきた男たちが一人の男を痛めつける。画面が変わり、一軒の家の中をカメラが縦横に移動し、鏡に映った一人の少年をとらえる。そして、「これが私」というナレーションでタイトル。この導入部がすごい。

物語は1953年のロシア、反ユダヤ主義が台頭し、混迷を極めようとする。しかもスターリン体制の終末への時代なのである。

めくるめくような物語が、繰り返される長回しの見事なカメラワークで語られ、混迷を極めていく姿が、まさに混沌とするカメラ演出が語っていく様は、全く言葉にならない迫力である。

クライマックス、スターリンの死にでくわす主人公の少将のエピソードの後、題名のせりふが叫ばれ、さらにエピローグが続きます。

映像演出のおもしろさを味わうがごとき一本で、画面から漂う混迷の時代の一ページを圧倒的な迫力で味わう映画でした。