くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「トゥルーノース」「猿楽町で会いましょう」「はるヲうるひと」

「トゥルーノース」

これは傑作だった。もちろん中心に流れるのは北朝鮮への政治批判であるけれども、ストーリーの展開、構成が映画的な娯楽性もしっかりもっている。さらに登場人物の色分けもしっかり出来ているし主人公の心の変化も描写されている。映画としての完成度の高さに圧倒されてしまいます。さらに、CGアニメで描くことの利点を最大限に使ったという形で、これが実写だとリアルな残酷さが表に出過ぎて肝心のメッセージが埋もれてしまっただろうと思う。見事な映画でした。監督は清水ハン栄治。

 

バンクーバー、現代、一人の男が演台に立ち、これから話すことは政治的なメッセージではなく、私の体験を語るだけだと念を推す。そして映画は1995年の金日成の誕生日を祝う太陽節の日から始まる。1950年代から始まった在日朝鮮人の帰還事業で、ヨハンの家族は北朝鮮で暮らしている。まだ小学生のヨハンは妹ミヒとクラスメートと学校から帰ってきた。なぜか怪しい男たちがメモを取っている。

 

翌日、クラスメートの家族がいなくなってしまう。さらにしばらくしてヨハンの父が帰って来なくなる。間も無くして政府の役人がやってきて、ヨハンの父は政治犯として捕まったこと、そしてヨハンたちも強制収容所に収監すると告げられトラックに乗せられる。

 

最初は反抗的だったヨハンも、生きるためにプライドを捨て、知り合ったイスンと友人となって生き延びていく。やがて9年の年月が流れる。すっかり成人となったイスンとヨハンだが、相変わらず収容所の厳しさは変わらなかった。妹のミヒや母は献身的に収容所の人たちを助けるが、ヨハンはそれを非難する。そんな時、作業場で土砂崩れが発生し、大勢が生き埋めになる。たまたまヨハンは作業管理のリーダーチェの息子を掘り起こしたことから、上層部に気に入られる。ヨハンは生きるために媚を売るようになる。そんな時、ミヒが疲労で倒れてしまう。ヨハンは栄養のつく食べ物を得るために、たまたまイスンと食料探しの夜に見かけたうさぎ泥棒の男を密告する。

 

そのことでますますヨハンとミヒらに溝ができるが、密告された男の妻はヨハンを憎み、ある時作業場でヨハンの母を包丁で刺す。その傷で間も無く母は死んでしまう。自暴自棄になったヨハンは狂ったと判断され管理者としての地位を剥奪され炭鉱で働かされ始める。次第に落ち着いてきたヨハンに、仲間が脱走計画を教える。

 

イスンはミヒに好意を持ち始めていた。しかしミヒを密かに慕う収容所の役人リーは、ミヒを強姦してしまう。それを怒ったイスンがリーに襲いかかったためにイスンは地下牢で拷問を受ける。やがてミヒは妊娠、ヨハンは脱走計画に参加することにするが、それはトロッコの床板の下に隠れて逃げるものだった。ただ、そこには二人しか乗れないのだ。ヨハンはミヒを連れて脱走する準備を始めるが、拷問を受けてきたイスンが奇跡的に戻ってくる。しかも、拷問の後、たまたま放り込まれた房でヨハンの父にあったと話す。ヨハンはミヒを愛するイスンも脱走に加わるようにと誘う。

 

そして脱走の日は、太陽節の日となる。祝祭で大勢が集まる中、ヨハンは壇上に立ち、あらかじめ、歌いながら作業してきたことなどを政府から来た高官の前で暴露し収容所の役人を混乱させる。その混乱に乗じてイスンとミヒは脱出、闇を抜けて炭鉱へ急ぐが目の前にリーが現れる。あわやと思われた時、イスンが背後からリーを襲う。しかし殺そうとするのをミヒが止め、リーに自分のお腹の子供のために見逃しなさいと説得。

 

場面は冒頭に移る。脱出したイスンがここまでのことを語り終えていた。客席にはミヒと子供が座っている。結局ヨハンは妹たちを脱出させるべく自ら犠牲になったのだ。カットが変わり、いまだに強制労働をするヨハンの姿、空を見上げて絶望する仲間に希望を持てと話し映画は終わっていく。後は、現在もまだまだ存在する強制収容所の写真などがテロップされていく。

 

物語として面白いし、もちろんメッセージもくっきりはしているが、アニメながら実写版のようなカメラワークも上手い。一見普通だがどこか独創的な作品でした。

 

「猿楽町で会いましょう」

これはなかなかの映画でした。傑作という表現が正しいかどうかわかりませんが、ストーリーを交錯させて一本になってからどんどん話が深みに入っていく。なぜかわからないけれど引き込まれていく魅力のある映像で、主人公の小山田あるいはユカの存在が不思議なほどにふわふわと定まらない不安定さに酔いしれていきます。ユカを演じた石川瑠華も存在感十分に、それでいて上手い。監督は児玉隆

 

一人の金髪の青年小山田は自分を売り込むために雑誌社にやってくるところから映画は始まる。頼ってきた嵩村はたまたま出ていて、おそらくメンズエステにでも行ってるのだろうという。メンズエステといってもグレーな風俗だった。しかしとりあえず応対した担当者が頼まれていた雑貨の写真を小山田に回してくれる。間も無くして、一人の駆け出しもタレント田中ユカのスナップ写真を頼まれる。

 

初々しいほどの素朴な少女の姿のユカに小山田のカメラマン魂が盛り上がり、さりげない写真が素晴らしい出来栄えとなる。その日、小山田はデータを渡すからと自分の部屋にユカを誘うが、結局何も出来ないまま終わる。それからしばらくしてユカからプロフィール写真を撮って欲しいと連絡が入る。

 

次第にユカと親しくなっていく小山田だが、ある夜、雑誌社の山中から臨時に仕事の電話が深夜に入る。そのタイミングでユカがびしょ濡れで玄関に現れる。帰りたくないというユカを小山田は抱く。しばらくして、たまたまユカにプレゼントしようとイヤリングを買いユカの部屋のそばまで行くと一人の男が部屋から出てくるのを目撃してしまう。ユカに問い詰めると、元彼の北村という男で、もう別れるのだという。小山田は二度と元彼の元に戻らないようにとユカを抱きしめる。

 

小山田とユカは一緒に暮らし始めるが、ユカはオーディションを受け続けるもなかなか目が出ない。事務所の支払いも厳しくなり、友人の勧めでグレーなメンズエステの仕事を始める。映画はユカと小山田の日々にユカが裏で苦しむ姿を交互に描いていく。そして時は一年前、ユカが新潟から上京してきた時に変わる。高速バスで知り合った北村と同棲するようになるユカ。しかし、次第に北村はユカに冷たくなってきて二人の関係は冷め始める。そんな頃、ユカは小山田と知り合ったのだ。こうして二つの時間がやがて重なって、現代の流れへとつながっていく。

 

仕事がどんどん順調に進んでいく小山田だが、ユカの携帯への着信が頻繁なのに不審に思う。ある時、ついユカの携帯を覗いてしまう。そこにはキタムラのことが今でも好きだと書かれていた。ユカはというと、メンズエステで働いている時に嵩村と出会い、その縁でカメラマンを紹介してもらったということもあった。

 

ユカの友人だった事務所の同僚はどんどん人気が出て売れっ子になっていた。そんな彼女を撮影する仕事が小山田に来る。北九州での撮影は泊まりだからとユカに伝えて仕事にいく小山田。

 

撮影の日、小山田はそのタレントに、かつて見た田中ユカの写真に惚れて小山田へのオファーを頼んだのだと告白する。小山田は泊まりもなく帰宅するが、家の前で、北村の姿を見つける。ユカに問い詰めるが、あくまでもシラを切るユカにとうとう小山田はキレてユカを追い出す。

 

しばらくして、引っ越しをする小山田の場面、交互にユカがオーディションで面接を受ける場面が重なる。誰もいなくなった部屋の中央に一枚の写真が裏返っている。そこへカメラが寄って、ゆっくり引いて映画は終わる。

 

カット割が実にうまいのと、ストーリーの組み立てが面白いのでどんどん引き込まれていきます。時間と空間を交錯させる前半部分、次第にお互いに疑心暗鬼になり中盤、そして必死で生きるために嘘を突き通していくユカの健気さが胸に迫ってきます。なかなかの秀作でした。

 

「はるヲうるひと」

個性的な役者の佐藤二朗がどんな映画を作るのかと思って見に行ったが、なんともテンポの悪い、しかも演劇から映像に全く昇華のできていない低レベルの作品だった。画面の中に熱量が全くこちらに届かないのです。画面の構図がなんとも稚拙で、なんの意図でこんな配置が生まれるのか思いつきにしか見えないし、背後の美術が雑多で、それが意図したものなのかもしれないが意味が見えず役者が埋もれてしまっている。その上物語に流れが見えず、それでいて適当な小ネタは一応入れるという適当ぶりに辟易とした。見るべき部分がほとんど見当たらない映画でした。監督は佐藤二朗

 

ある島、一人の金髪の男得太=得がタコと戯れている。そこへ船に乗った人たちが着く。客の一人が得に声をかける。得は機関銃のように女郎の値段やサービス内容をしゃべるが客にならない。この島には置屋が散在し、得は客引き担当だった。この日も一人の客も捕まえられず店に行く。口の周りに出来物ができたさつみや小柄なりり、先輩格の純子や峯がいた。そこへ、置屋の主人哲雄=哲がやってくるが客が誰もいないと詰る。いかにも凶悪という登場シーンは良かったのですが。

 

映画はこの置屋を舞台に、間も無くやってくるミヤンマーから来た奇妙な客を交え、得と哲、さらに得の妹いぶきとの絡みのドラマが展開していく。いぶきは不感症で、ただここに居候しているだけで、哲と得は腹違いの兄弟だった。この店の先代の正妻の息子が哲で、妾の息子が得だった。故に事あるごとに哲は得たちにきつかった。

 

この後の展開が実に雑多で、冒頭、いかにも凶暴な哲の存在が、何かにつけて峯にフェラチオをさせる映像を繰り返すことで、その個性が吹っ飛んでいくし、得のなんともいえない不可思議なキャラクター、さらに謎を秘めたように見えるいぶきの存在がいつまで経ってもスクリーンからこちらに伝わって来ない。なぜかミヤンマーの男とりりの奇妙な恋愛ドラマが妙に浮き上がってしまい、次第に他の女郎たちの存在さえも消えてしまう。その上、原発誘致の座り込みシーンなどなんのことかと思う。

 

哲が突然得を自宅に呼ぶと、いかにも普通の家庭があったりするくだりも意味不明なシーンである。そして、ある時、哲はいぶきをレイプしてしまう。そこに飛び込んできた得はあわや哲を殺そうとするが思いとどまり、得の母と先代が心中した時の真相を暴露する。得の母は先代と心中し、そこへ駆けつけた正妻も自ら死んだ。息絶えたところへ得が鉢合わせしたとなっていたが、実は正妻と妾は二人が愛人同士だったのだ。そのことを先代は得に口止めしていたが、哲は初めて得から聞かされる。って、どんな適当な展開?

 

終盤、ミヤンマーの男とりりが結婚することになり、なぜかその場面がクライマックスになっていく。いぶきと得が二人で話をしていて映画は終わっていくが、途中何度も出てきた原子力発電所誘致の問題はいつのまにかどこかへ消えてしまうし、なんともひどい出来栄えというか脚本というかの映画。しかもロケハンもしてないのかと思わせるラストの背景のチグハグさは、それまでの置屋の周りの風景と雲泥の違いで完全に空間演出ができていない。もうなんともいえない映画だった。