くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「バースデーカード」「ダゲレオタイプの女」「ある戦争」

kurawan2016-10-27

「バースデーカード」
決して映画としての出来栄えは普通なのですが、思い切り泣いてしまった。ある意味、こういう人生を一部でも経験した人間でないと感情移入できない一本、そんな映画に出会ってしまいました。監督は吉田康弘です。

紀子とその母、弟、気のいい父親、いかにも平凡な家族の物語として映画が始まる。いつも内気で影の存在の紀子に母親は優しく接する。ところが間も無くして母は病に倒れ、入院生活となる。

そして時は経つ。母は亡くなり、二十歳になるまで毎年、子供達に手紙を残す。ここまでが前半、ここからの後半が映画が動き始めるのです。

母の故郷に出かけて、母の学生時代の友人やその娘に出会ったり、弟が母の手紙に影響されて自転車旅行に出かけたり、紀子がアタック25に応募し始め、かつて中学の時にときめいた彼と再会していい感じになって行く後半が実にいいのですが、逆に、母親の存在が完全に消える。

ラストは、アタック25に出るわ、そこで結婚しますと宣言した紀子の結婚式、飛んで帰って来た弟たちも含め記念写真を撮って暗転、エンドクレジットの後に、その後の紀子の新婚生活が映って完全に終わる。

映画としては凡作だと思いますが、泣いてしまいました。特に結婚式のあたりは、自分の娘の結婚と被ってしまって号泣です。まぁ、そういう意味で感情移入できたので、いい映画だったのかもしれません。


ダゲレオタイプの女」
物語のポイントが見えて来るまでがとにかく長い。思わせぶりに展開するシュールな映像と、落ち着いた色彩で見せる格調の高さはさすがに黒沢清監督の妙味だと思うが、いかにもテンポが悪いように思えるのは私だけでしょうか?

一人の青年ジャンが巨大な邸宅にやって来るところから映画が始まる。この家の主人で写真家のステファンの助手をするためである。このステファンはダゲレオタイプと呼ばれる古風な写真気にこだわり、何十分もモデルを固定する器具で固定して写真を撮り続けていた。

ジャンは、初めて家に入った時に、一人の女性の後ろ姿を見るがそれは幻だった。しかしそれはステファンの妻ドゥーニーズで、幻として何度も登場する。ある日、この家の土地を開発のために買いたいというトマという男と知り合ったはジャンは、自分がステファンを説き伏せるから利鞘が欲しいという。この俗っぽいエピソードが唯一この作品を台無しにしているように思える。

一方、ジャンはステファンの娘マリーと親しくなり、お互い惹かれ始めるが、ある日、マリーは階段から落ちて死んでしまう。ジャンは彼女を車に乗せて病院へ向かうが、途中で彼女が消え、ふと見ると車の外に無傷で立っている彼女を見つける。そして家に引き返す。

実は彼女は死んでいるのだろうが、なぜか普通にジャンと生活を始めるし、一方で立ち退きを勧めるジャンとステファンの展開もある。しかし、ステファンの前に時折現れる妻ドゥーニーズの場面が繰り返されると、なんだか、物語が読めてくる。

結局、ステファンは自殺するのですが、そこへやって来たジャンは拳銃を取り、そのままやって来たトマも撃ち殺し、マリーを連れて車トゥールーズに旅立つ。ところが、教会で結婚式を挙げた直後、マリーは消えてしまう。そしてジャンは全てを知るのです。なぜか、ステファンが屋敷を売ることを拒み続けたのか。

マリーは死んでいる。そして、あの屋敷に戻れば会えるのだと。ジャンは車で屋敷に引き返すところでエンディング。

ダゲレオタイプのカメラで撮影され、命が吹き込まれた二人の女性を愛した二人の男。生身の女性が消えても、写真に残された魂が蘇るというのは、どこか東洋思想的な精神論のゴーストストーリーです。でも、全体にいまひとつ鮮やかなテンポがないので、だらだらとラストまで流れるのがちょっと残念です。クオリティは悪くないのに、ストーリーテリングがちょっとバランスが悪いという感じの映画でした。


「ある戦争」
非常に優れた作品で、完成度が高い映画ですが、またイラク戦争物かというのは感じですね。しかし、ラストシーンの後に残す問いかけのある余韻といい、物語の配分といい、一級品の見事な映画でした。監督はトビアス・リンホルムで、アカデミー賞外国語映画賞ノミネート作品である。

アフガニスタンにて軍事活動をするデンマーク軍の兵士たち、突然地雷が爆発し一人の兵士が吹き飛ばされる。こうして映画が始まる。カットが変わると、デンマークで夫を待つ妻と子供達の映像、もしかして吹っ飛んだ兵士の家族かと思われたが違って、さっきの隊の隊長の家族である。

まもなくして、この隊は地元市民の要請でタリバンを打つべく村に行くのだが、要請に来た家族は殺されており、さらに、タリバンの激しい攻撃に出くわす。そこで一人の兵士が重傷をおい、第六地区という場所からの攻撃と判断して空爆を要請。しかし、実は第六地区に敵がいたかどうかははっきり認識されていなかった。そのため、隊長のペダーソンは起訴され、本国に呼び戻される。

こうして物語は後半へ。見たかどうか怪しい敵の存在に悩むペダーソンだが、一方で、家族のために有罪になりたくないし、妻からも懇願される。結局、不明瞭なまま裁判は続くが、最後の証人の通信兵が、銃口の光を第六地区に見たという証言が決定的になりペダーソンは無罪になる。

家に帰り息子のベッドで息子に毛布をかけてやる彼に映ったのは、息子の足をみて、裁判の時に見た爆撃で死んだ子供の足が蘇る。明確に画面にはオーバーラップしないが、一瞬止まる彼の仕草で見事にこちらに彼の気持ちが伝わるのです。そして、ベランダに出る彼の姿でエンディング。

この後、彼はどうするのか、いやそれを考えるのは観客である私たちなのです。そして戦争に対する問題、隊長としての責務の問題など、様々な問題点を定義して映画が終わる。このエンディングがとにかくすごい。

またイラク戦争物かと思いましたが、この演出は全くすごいと思う。見事な映画でした。