くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「ドライビング・MISS・デイジー」「地下室のヘンな穴」「この子は邪悪」

ドライビング・MISS・デイジー

やはり良い映画です。さりげない景色や小道具、容姿で時の流れを語りながら、時代背景を鋭く描写し、押さえた色調の画面で淡々と晩年を迎えた人物の姿を描いていく。とってもシンプルな話なのに、不思議なくらい胸に沁みます。ジェシカ・タンディモーガン・フリーマンダン・エイクロイドも素敵。監督はブルース・ベレスフォード

 

年老いたものの元気なデイジーが車で買い物に行こうとし、車をバックして事故を起こしてしまうところから映画は幕を開けます。心配した息子のブーリーは母の反対を押し切り黒人の運転手ホークを雇う。ブーリーは綿工場を経営しているがユダヤ系である。最初は嫌味なことばかり言いながら敬遠していたデイジーだが、背に腹は変えられなくなりホークの車に乗るようになる。物語はホークとデイジーの掛け合いを中心に、物語の背景のさりげない人種差別や世相を盛り込んで展開していきます。

 

叔父ウォルターの九十歳の誕生日に出席のためにデイジージョージア州を出るが、それはホークにとっても初めてのことだった。ホークは字が読めない。そんな彼にさりげなく勉強の本をプレゼントするデイジーアラバマ州では、ユダヤ人であるデイジーや黒人のホークを蔑んだような言葉を警官が平気で喋る。スタンドで黒人はトイレを使うことができない。そんな時代背景をさりげなく描写する。

 

時が流れ、デイジーの家で長らく働いていた黒人のメイドが亡くなり、さらに時が流れ、ある朝、ホークがデイジーの家にやってくると、デイジーは、教師をしていた頃に記憶が戻ってしまい大騒ぎをしていた。認知症が始まった母を、施設に入れざるを得なくなるブーリー。そんな彼の頭も白髪が混じり始める。

 

この日、ホークは久しぶりにデイジーの家にやってきた。運転したのはホークの孫娘である。デイジーの家は売りに出され、すでに買い手が決まっている。やってきたブーリーの車に乗りホークは施設にいるデイジーのところへ行く。この日は調子がいいのか、ホークのこともブーリーのこともわかるデイジーだったが、ホークの手をしっかり握る。ホークも握り返し、これからも一緒にと気持ちを伝えて映画は終わる。

 

舞台劇の映画化ですが、やはり素晴らしい名作だと思います。

 

「地下室のヘンな穴」

人間の欲望を風刺したブラックユーモア的な不条理劇という感じでした。前半の不可思議な展開から後半のサイレント映画のようなコマ送りの展開という映像のテンポを駆使した作りが楽しい一本。フランス発というテイスト満載の一本でした。監督はカンタン・デュピュー。

 

アランとマリーの夫婦がセラピーを受けている場面から、物語は二人が一軒の家を買うため見にきている場面に移る。不動産屋がこの家の秘密を説明するのだが、それは地下室にある奇妙な穴だった。そこを通り抜けると同じ家の二階のところから出てくる。この穴を潜ると十二時間時間が進む代わりに三日若返るのだという。半信半疑ながらこの家を買ったアランとマリー。

 

マリーは早速穴をくぐり抜け若返ることに夢中になり始める。彼女は若くなってモデルをしたいのだというが、アランは全く興味がなく穴に入ろうとしない。ある日、アランの上司で社長のジェラールとジャンヌを招いて食事をする。その席でジェラールは、電子ペニスをつけたのだという。スマホで操作すると自在にできるという奇妙な物だった。

 

ある時、マリーは腐ったリンゴを持って穴に入るとりんごは瑞々しく戻っていた。しかしアランがそれをかぶると中から蟻が出てくる。表面は若返るが中身は老いているのではないかとマリーにいうがマリーはそれでもいいと穴に入ることを繰り返し、やがてモデルができるほど若くなる。

 

一方、ジェラールは、電子ペニスが不調になり、日本へ修理に向かう。留守の間ジャンヌは女性の恋人を作っているのをアランは目撃する。戻ってきたジェラールは次々と女性を変えて恋人を作る。しかし、ある日、車を運転していて突然股間が燃え始めそのまま車は事故を起こして死んでしまう。

 

マリーはモデルの仕事がうまくいかなくなり、それでも穴に入ることを繰り返すうちに精神的に不安定になり病院へ入ってしまう。病院で、マリーがガラスで自分の手を切ってみると蟻が湧き出てくる。アランはのんびり釣りをしている。こうして映画は終わる。

 

マリーとジェラールが好き放題にしている後半はコマ送りのサイレント映画のように描いたり、映像テクニックを駆使して描くブラックユーモアという感じの映画で、なかなか面白かった。

 

「この子は邪悪」

もう一工夫ほしい一本。思わせぶりな展開でなんとか引っ張るけれど、ありきたりといえばありきたり。オープニングの掴みがちょっと弱いので、そのまま、ダラダラとホラータッチのサスペンスが流れた感じでした。監督は月川翔

 

精神に異常をきたした人たちの場面が繰り返される。廊下を徘徊する女性、ベランダで手すりを舐める男性、そして水槽を見つめる女性。そこへ一人の男子高校生純が帰ってくる。水槽を見ていたのは母親だった。純は、近所の、不可解な行動をする人たちを写真に収めていた。このオープニングがまず良くない。純がそういうことを調べているという出だしなのだが、ただのホラーチックにしか見えない。

 

純は一軒の診療科の病院の二階から一人の仮面を被った少女の姿を見つける。そこへ患者らしい帽子を被った女性がやってくる。出迎えたのはこの医院の医師窪司朗だった。彼は患者を招き入れ治療を始める。中庭には長女花がいた。司朗の家族は五年前に遊園地に行った帰りトラックと正面衝突し、次女の月は顔に火傷を負い仮面を被るようになり、司朗は神経をやられてびっこを弾くようになり妻の繭子は昏睡状態になっていた。唯一花だけが無傷だったが、遊園地に行きたいと言った本人だったので心に傷を残していた。

 

ある時、昏睡状態だった繭子が奇跡的に回復し、家に戻ってくる。しかし花は、どこか違うと感じていた。病院にはたくさんのウサギを飼っていて、一匹が逃げたのを捕まえに行った花は純と出会う。実は純は幼い頃、花と知り合っていた。純の母はかつてこの医院で司朗の診察を受けていたのだ。

 

しかし、純は、五年前の花らの事故で月は死んだという記事を発見、さらに目覚めて戻ってきたという母繭子は、以前病院の前で出会った患者の女性ではないかと花に話す。花も繭子の頬のほくろが偽物だと知り、戸籍謄本から月が死んでいること、母の病院には今も昏睡状態の繭子がいることを知り、父司朗が何かしているのではないかと疑い始める。真実発見がなんともお粗末なことでバレてしまう。実に雑な脚本です。

 

実は、司朗は、子供の虐待をしている親たちから子供を守る慈善団体を運営していて、虐待している親に洗脳を施していた。司朗は、一人の女性患者に退行催眠をかけ、繭子の魂を埋め込んで母として迎え入れたのだ。さらに、虐待している親の魂とウサギの魂を入れ替えるという驚くべき治療を施していた。まさにマッドサイエンティストである。それを知った純は、純の家にやってきた司朗に詰め寄り、首を絞めようとするが反撃され、純もウサギの魂と入れ替えられてしまう。

 

花は、月の仮面を剥ぎ、火傷をしていないことを司朗や偽の繭子たちの前で暴露するが、全ては家族のためだったと司朗が告白する。人同士を入れ替えたのは事故で月が死んだ時だと白状する。そこへ、純の祖母がやってきて司朗を襲うが、逆に司朗に殺されてしまう。ところが、月がナイフで司朗を刺す。息を引き取る直前、全て自分がやったことだからと司朗は警察に言うように言い残して死んでしまう。繭子のお腹には司朗の子供がいた。

 

時が経ち、繭子は男の子を産む。月、花、繭子らがケーキを食べている。赤ん坊がにこりと笑い、かつて催眠を施す時に司朗がしていた八の字の指の動きをして映画は終わる。もう笑うほかない。

 

なんともお粗末なサスペンスホラーでした。こんな薄っぺらいストーリーでは誰ものめり込まないだろうと思います。TSUTAYAの公募脚本の準グランプリということですが、この賞はどの作品もこんな薄っぺらいものが多いですね。