「愛の讃歌」(山田洋次監督版)
典型的な松竹映画で、松竹色がムンムンして、かなりしつこいものの、やはり山田洋次監督の力量が伺える一本だった。
小さな島の港町、主人公の春子と竜太は恋人同士だが、竜太は夢を求めてブラジルに旅立ってしまう。
一方、春子は竜太の子供を身ごもっている。物語は竜太が旅立ってのちの春子の周りの人々と春子の生活をあったかく素朴なカメラと演出で描いていく。そこに派手な見せ場も何もなく、ただ淡々と描いていくのこそ松竹映画の醍醐味かもしれない。
やがて、竜太が帰ってきて、子供ができたことを知るが、父親は、育てて世話をしている病院の先生に義理立てし、息子の竜太を追い出すように旅立たせる。
間も無くして竜太の父もなくなり、先生は春子に子供を連れて竜太の元に行けと促す。春子が船で旅立っていってエンディング。
確かにたわいのない映画であるが、細かいところに丁寧な演出がなされているし、音楽の使い方も絶妙である。
若干、セリフがしつこいところもないわけではなく、そういうところが松竹色を嫌う私の理由でもあるものの、映画はそれなりのレベルに仕上がっているのはさすがだと思います。
「霧の旗」(山田洋次監督版)
松本清張原作の有名な作品で、脚本に橋本忍が参加したミステリー仕立ての映画ですが、いつものようなキレが見られないのは、山田洋次の演出ゆえか、倍賞千恵子のキャラクターの弱さか、面白いのですが、絶品とは言えないように思えました。
主人公が熊本から汽車に乗るシーンから映画が始まり、東京の有名な弁護士の元へやってきて、兄の弁護を依頼するが、断られる。
費用の説明を受けたことでお金で断られたと判断した主人公は、この弁護士へ復讐を始めるのが本編。
今更いうまでもない有名な物語ですが、どこかシャープなキレの良さがないままに物語が展開し、登場人物がそこかしこで光らないのが少し残念です。もちろん、出来栄えがひどいとまでは言いませんが、なるべくしてストーリーが大団円を迎える。
弁護士を演じた滝沢修の迫力は素晴らしいのですが、周りが追いついていかず、彼がひたすら哀れに見えてしまう。
もちろん、それが狙いならそうなのですが、この原作の良さは双方に存在する理由がほんの少しの行き違いで奇妙な人間ドラマになる部分だと思います。そこが見えなかった。
「喜劇 逆転旅行」
この手の映画に、作品の良し悪しを言うものではない。プログラムピクチャー全盛期にたわいのないコメディ。くどいほどのストーリー展開と当時のヒット曲のサービス満点の一本。監督は瀬川昌治である。
まだ国鉄だった時代の話、職員の主人公は事あるごとに追いかけてくる芸者のさくらをまくために奔走している。
料理教室の先生にほの字の彼は猛烈にアピールするがなかなかうまくいかず、部下の恋愛やら母親の恋愛やらも絡んできてのすったもんだのドタバタ劇が展開、そこに都はるみなど当時全盛期の歌手の歌のシーンからヌードシーンのサービスまで入っての娯楽満載のノリが続く。
結局、主人公とさくらがくっつくことになり大団円エンディング。
伴淳三郎やフランキー堺の絶妙のアドリブ満載の台詞回しに倍賞美津子や佐藤友美のミニスカート姿など、ただひたすらに客寄せ設定があざといのだが、これがプログラムピクチャーの世界である。楽しかった。
「典子は、今」
この手の映画は苦手で、公開当時見に行かなかったのですが、これは素晴らしい映画だった。映画作品としても傑作に近い出来栄えで、しかも障害者をまっすぐに見つめた上で、とっても爽やかな映画に仕上げているのが素晴らしい。
物語はサリドマイド禍で両手がないままに生まれてきた辻典子さんの物語である。この映画が作られた時点で熊本市役所に勤めているが、映画は高校生時代を中心に描かれて、フラッシュバックで生まれた頃からを挿入して描いていく。
もちろん、両手がないための苦労話ももちろんありますが、足だけで器用に生活をする本人の現在がまっすぐに描かれていく。典子本人が出演し、高峰秀子が演技指導をしている。
見ている私たちは、最初はまるで手のように器用に様々なことを足でする典子さんの姿に引き込まれるのですが、いつのまにか典子本人の生き方、笑顔にどんどん引き込まれていく。
さらに、生きていくことにまっすぐに向かっていく彼女の生き方にいつの間にか普通に自分の生き方が重なってくる状況になっていって、どんどんスクリーンに釘付けになってしまいます。
ラストは広島の小児麻痺の少女に一人で会いにいく下りから、その少女が恋に悲嘆して自殺したことを知り、その兄と一緒に海で泳ぐシーンを俯瞰で大きく空撮してエンディング。
マンドリンを弾いたり、泳いだりという典子さんの器用さに感嘆するのと、画面の構図も美しい絵作りになっているし、不思議な爽やかさを感じて映画館を後にします。本当に素晴らしかったです。