「キャバレー」
40年ぶりくらいの再見でしたが、やっぱり名作ですね。ここまで緻密な脚本が書けたらそれだけでも拍手したいです。前半の散りばめられるユーモア満載のシーンやセリフの数々が、ナチスの脅威が色濃くなって来ると毒々しい風刺に変わって行く空気感は見事。しかも描かれるのは複雑な恋と夢の物語というのだからもうたまりません。ミュージカルナンバーも素敵だし、ライザ・ミネリいてこその完成度の高さに圧倒されてしまいました。名作とはこういうのを言います。監督はボブ・フォッシー。
1931年ベルリン、色ガラスに映された一人のMCが口上と共に舞台を所狭しと踊り回って映画は幕を開ける。そのリズムに合わせて、汽車でこの地にやってきたブライアンの姿が挿入される。このリズム感にまず引き込まれます。さらに、このキャバレーのスターでもある歌手のサリーのステージ。
ブライアンはアパートを借りるためにサリーの部屋にやって来る。そして、英語を教えるという条件で隣の部屋に住まいすることになる。そして、さっそくサリーの紹介でフリッツという男性が生徒としてやって来る。彼は事業をしていて、その必要で英語を勉強しにきたのだ。まもなくして、ブライアンの知り合いの関係で新しくナタリアという女性が生徒になる。彼女はユダヤ人の大富豪の娘だった。フリッツは彼女をものにして玉の輿に乗ろうと画策し始めるが、いつの間にか本気で恋してしまう。サリーもまたブライアンに惹かれるが、ベッドに誘った際、ブライアンは自分はゲイだと告白する。
そんなある日、クリーニング店でドイツ語に困っていたサリーはマックスという男性に助けられる。誘われるままに車に向かったサリーはマックスが男爵で大富豪だと知りのぼせ上がってしまう。そしてマックス、サリー、ブライアンの三人は一緒に遊びまわるようになる。その合間にキャバレーでのステージシーンやMCの口上が挿入されて行く。次第にナチスの不穏な空気が漂い始める。
そんな世情の中、フリッツはナタリアにプロポーズするがユダヤ人だからと断られる。しかし実はフリッツもユダヤ人で、仕事上それを隠していたのだ。フリッツはユダヤ人であることをナタリアに告白し結婚する。
マックスは二人に、一緒にアフリカに行こうと誘う。ところがある時マックスは、仕事で海外にたつと言って手紙だけ残して二人の前から去っていく。しかし、サリーもブライアンもマックスと寝たことをお互い告白する。サリーは妊娠した。しかしどちらの子供かわからないと告白し、ブライアンは結婚しようとサリーに言う。そしてケンブリッジに移り家庭を持とうという。一時は喜んだサリーだが女優になる夢を諦めきれず、マックスにもらった毛皮のコートを売ってそのお金で中絶する。ショックを受けたブライアンだが、サリーの気持ちを察し、一人ケンブリッジへ経つ。
キャバレーの舞台、今日も歌うサリーの姿から、MCの口上、そして色ガラスにカメラが移ると、そこにはナチスの腕章をつけた男たちが客として座っていた。こうして映画は終わる。
時代の流れをさりげないカットの中に盛り込みながら、主人公たちの青春のひと時を見事に歌い上げた作品で、音楽と映像が見事にリズムを取り合っている展開は素晴らしいというほかありません。しかも薄っぺらいストーリーに終始していない脚本も見事な、まさに名作という映画でした。
「緑の小筺」
とってもファンタジックな名編でした。今となっては古臭い演出もあるとはいえ、こんなシンプルな話を才能のある人が作るとこれほどまでに引きこまれる詩情豊かな作品に仕上がるものかと唸ってしまいました。本当にいい映画です。監督は島耕二。
山深い山地で木を切り倒している一人の男。大きな声で妻を呼ぶと妻は答えて駆け出して来る。そして二人で滝のそばで弁当を食べる。妻のお腹には赤ん坊がいて、間も無く生まれるらしい。陣痛が始まり、必死で産婆を呼んでくる父。そして男の子が生まれる。子供は幸男と名付けられる。父は、このまま山の中で生活していたくないといい、海を見たいと山を降りる。そんな父を送り出す母。
やがて幸男は少年となり母と一緒に山仕事をしているが、父の乗った船が難破して父は行方不明となる。ある日、母が熱を出して寝込んでしまう。幸男は父に手紙を書き、かつて父が作った木の細工物の箱に入れ川に流しに行く。物語はこの箱が猿にいじられ、青年たちに送り出され、ダムをくぐり抜け、雪解けにあい、子供たちに追われ、祭りの現場であわや燃やされそうになるのを女の子に助けられ台風を潜って海へ至るまで、キラキラ光る水面のシーンや満開の桜の場面、さまざまな抒情的なシーンを織り込みながら描いていきます。
そして、この日、孤島で助かった父が捕鯨船に救助される。恩返しにと鯨を射止め、港に帰って鯨の腹を裂くと木箱が出て来る。父が開くと幸男の手紙を見つける。父はさっそく山へ向かい、母や幸男と再会してブランコに乗りながら母を呼ぶ父、それに応える母の場面で映画は終わる。
本当に名編で、箱が流れる背後に歌がなん度も流れて、寓話の世界に引き込んでくれます。さりげないカットの繰り返しも見事で、才能ある人が作るとこうなるというお手本のような一本でした。
「ワンダーウォール」
ヒロインのジェーン・パーキンが終始セリフがなくてセクシーシーンのみなのと、ジョージ・ハリソンが楽曲を担当、しかもやたら凝ったサイケデリックなセットと巨大な機械のセットが独特の空気感を出している、まさにカルトな作品でした。途中何度か意識が飛んでしまいましたが、一人の堅物教授の妄想の世界という心象風景映画という独特感は面白かった。監督はジョー・マソット
顕微鏡の中の映像をバックにしたタイトルの後、とある研究室で顕微鏡を覗く変わり者のコリンズ教授の場面になって映画は幕を開ける。定時になり助手たちが帰る。その後、チェックのメモに沿って研究所を後にするコリンズ教授は、真っ赤な扉の自宅に戻る。研究を続けようとするが隣から騒がしい音楽が聞こえてきて、つい壁のものを投げて、飾ってある蝶の標本を落としてしまう。
ふと見ると。反対の壁み丸い光が当たり女性らしきシルエットが見えるのに気がつく。壁の穴からの灯りの効果だと思った教授がその穴から隣の部屋を覗くとキュートでセクシーな女性が半裸で踊っていた。すっかり魅入ってしまった教授は、さらにあちこちの穴を開けて覗き始める。
職場に行っても彼女のことが忘れられず、夢や幻覚を見るようになる。隣に彼氏らしき若者がやってきて一緒に彼女と暮らし始める。彼女の名前はペニーだという。寝ても覚めても彼女のことを妄想する教授は職場にも行かず、室内を片付けもせず彼女のことを見つめるようになる。
心配になった助手がやってきても適当に追い返してしまう。ある時、ペニーの彼氏という人物が砂糖を借りにやって来る。ペニーはモデルで、神経質で耐えられないのだという。それからまもなくして彼氏は別れの手紙を残して彼女の元を去る。教授は屋根伝いに彼女の部屋に行く。
ペニーの部屋はさまざまな色彩の絵画や調度品に囲まれた芸術的な部屋だった。そこで教授は彼氏の手紙を見つける。おりしも彼女が帰ってきたのでクローゼットに隠れるが、ペニーはガス栓を開けたまま眠ってしまう。教授はガス栓を閉め、気を失った彼女を救うべく助けを求める。駆けつけた救急隊によって彼女は助かる。
翌日、職場に行った教授は、モデルを助けた教授として新聞に載ったのをみている助手たちの羨望の中仕事を始める。教授が顕微鏡を覗くと、そこには美しいペニーの姿があり歓喜の声をあげて映画は終わる。
研究所の巨大なセットやペニーの部屋のセット、教授の夢の中のシーンなどなかなかのセットが生半可な映画ではないとわかるが、ストーリーはなんともシュール。その不可思議さが癖になるような映画でした。