くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「星の子」「望み」「82年生まれ、キム・ジヨン」

「星の子」

監督が大森立嗣であり原田知世ほか脇役もしっかりしてるので見にきたけれど、なんともしょぼい作品だった。芦田愛菜は子役時代はそれなりに認めていたが、大人になってからは完全に花がなくなった上に存在感が引き立たず、作品を牽引できていないのは残念。

 

一人の未熟児の赤ん坊ちひろが生まれるところから映画は始まる。まもなくして、身体中に発疹ができ、戸惑う両親は、金星の水というものを紹介され、それを体に塗るとなぜか治ってしまう。以来、ちひろの両親は新興宗教的な金星の水にのめり込んでいく。

 

そして15年、ちひろは15歳中学三年となった。新任の南先生に憧れるちひろは、授業中も先生の似顔絵を描く日々。友達ともうまくやり、唯一家出してしまった姉まーちゃんだけが気がかりな日々だった。両親は新興宗教にハマったまま、頭にタオルを乗せて金星の水をかけたり、何かあれば金星の水を飲んだり、集会に出かけたりしている。しかし、それ以外は至って幸せな毎日。

 

ある時、学校で遅くなったちひろと友達は、南先生に送ってもらうことになる。しかし、ちひろの家のそばまで来た時、ちひろの両親が頭に水をかけていたのを見られてしまう。南先生は知らないこととは言え、化け物のように口走る。その時は親だと言えないままにちひろは戸惑いと悲しみに打ちひしがれる。

 

ちひろは、両親ののめり込んだものにどこか迷いを感じ始め、友達が恋人などができてきるのを羨ましく思い、何か変わっていく感じがし始めていた。

 

そして、新興宗教のツアーがやってくる。ちひろは団体の中の友達と参加するが、当初から別々のバスになったので両親と離れ離れになる。ホテルでも行き違いばかりだったが、ようやく母と会い、ちひろと三人で星が綺麗だという森の中にいく。そこで家族三人で満点の星空を見上げて映画は終わる。このシーンを撮りたくてここまで引っ張ったという感じです。

 

所々にある、物語のキーになるエピソードはそれなりに立っているのだが、完全に芦田愛菜が埋もれていて、ストーリー全体が引き締まってこない。ラストの締めくくりも、言いたいことはなんとなく伝わるが、そこだけという仕上がりになっている。一体大森立嗣監督はどうしたのか、と考えてしまう一本でした。

 

「望み」

さすがに堤幸彦監督、見事な人間ドラマに仕上がっていましたが、原作があるとは言え辛い話でした。締めくくりがよくできているのである程度救われますが、正直厳しい映画でした。

 

サッカーをしている規士の姿から映画は始まり、規士がこけて暗転、本編へ。建築士をしている一登の家庭は出版の仕事をしている貴代美、妹雅と四人暮らしの平和な家庭だが、高校生の規士は、何かにつけ反抗を繰り返して、両親も困っていた。そんな規士が、ある日から行方不明になる。以前にも外泊があったので気にしていなかったが、そんな時、テレビで高校生らしい青年の死体が見つかったというニュースが流れる。しかも、規士の学校の制服を着ている姿が新聞に載り、一登らは規士のことを警察に連絡、まもなくして、刑事がやってきて、殺された学生と規士たちが関わりがあるようだと話す。

 

殺されは青年は規士と知り合いで、犯人は同じ年代の学生二人らしいと言われ、一登たちは規士が犯人なのではと不安になる。しかも、規士がいなくなる直前、合口刀を規士が持っているのを見つけ、一登が取り上げたばかりだった。さらに、もう一人被害者がいるらしいというニュースも流れてくる。

 

規士は犯人なのか被害者なのか、一登と貴代美はどちらになっても悲劇しかないことに不安が募り、さらにマスコミや、彼らの周辺の人々からの攻撃も激しくなってくる。この辺りの展開は、今更というものなのだが、この映画のうまさはここから後である。

 

ここに、いかにもな感じで付け入ってくる新聞記者内藤が登場し、貴代美に情報を流し始める。一登は規士が被害者である方が今後のためには良いのではと揺れ、貴代美は犯人であっても生きていてほしいと願いながらも心は揺れる。この辺りの葛藤からの描写が見事。

 

そして、仕事の依頼も減ってきた中、一登はたまたま取り上げていた合口が一登が隠していたところからなくなり、事件の直前に規士が持ち出していたことを知る。いよいよ規士が犯人の一人ではと追い詰められ腹を括り始めた頃、一登は、規士の机の引き出しの奥から、隠すように仕舞い込んだ合口を発見し、規士が犯人ではないと確信、殺された青年の葬儀に向かう。当然、けんもほろろに追い返されるが、と同時に警察から貴代美に連絡が入る。規士は殺されていた。

 

こうして、悲劇で幕を下ろすが、内藤という新聞記者もこういう結果になった事で誠実に対応するし、警察が話すなぜ規士が被害者になったかという経緯の説明に、胸が熱くなってくる。最初から規士は喧嘩するつもりはなく、殺された友達を庇うために出かけたのだが、相手の不良たちが逆上してしまい、規士を殺したということだった。そして、父に反抗していたかの規士は、実は父の言葉を噛み締めて、サッカーができなくなったけれど、理学療法士の道を進む意思があったことが明らかになる。この辺りに畳み掛けは原作の上手さが光る展開です。

 

そして、時が過ぎて、落ち着いた家族のシーンで映画は幕を閉じる。終盤、貴代美は、規士は生きてさえいれば犯人でも良いと考えたことがあるけれど、被害者であった方が、家族の未来には良かったと思うと語るシーンが印象的でした。しっかりと描かれた人間ドラマとしてなかなか見応えのある映画でした。

 

「82年生まれ、キム・ジヨン

面白い映画です。男尊女卑の問題や子育て、家事、嫁姑問題などをこういう切り口もあるのかと思わせる描き方で綴った逸品な映画でした。監督はキム・ドヨン。

 

一人の母ジヨンがベランダに佇んでいる。カットが変わり、精神科にやってきた夫のデヒュン。実は妻のジヨンが時々別人に変わることがあると、携帯の動画を見せる。

 

デヒュンとジヨンは幼い娘と三人暮らしだが、かつてキャリアウーマンだったジヨンは育児のため家庭に入っていた。この日、デヒュンの実家に行くことになり、三人で出かけるが、実家では、デヒュンの母は悪気はないもののジヨンをいいように使う。何気ないことに強烈なストレスを感じているジヨンの姿にデヒュンは、そろそろ帰ろうと切り出すが、そこへ、姉夫婦がやってきたので、また義母はジヨンに何かを指示。と、突然ジヨンは別人になったような言動をし、慌てたデヒュンはジヨンを連れてそそくさと実家を後にする。

 

物語は、ジヨンがかつての会社の同僚と話したり、勤めていた頃を思い出したり、或いは子供時代を描いたりしながら展開。そこかしこに、それぞれの時期に悩むジヨンの姿を描いていく。そして、一方で体調を心配する現在のデヒュンの姿を挿入していく。

 

デヒュンは、あくまでうちうちでなんとかジヨンを治そうとするが、なかなかうまく精神科へ行かせられない。そんな時、ジヨンはかつての上司が独立することになり、再就職を検討、娘の育児についてデヒュンが育児休暇を取ってもいいと言ったことから、デヒュンの母が猛反対、さらに、ジヨンの母に電話したデヒュンの母は、内緒にしていたジヨンの病気のことをバラしてしまう。

 

心配になったジヨンの母が何気なくやってきてジヨンと話すが、突然ジヨンは祖母の声になってジヨンの母に話し出す。ジヨンの母はショックを受け、とりあえず帰るが、デヒュンはとうとうジヨンに病気のことと、別人になった時の動画を見せる。

 

ジヨンは、精神科へ行く決意をし、治療がはじまる。一方再就職はひとまず断り、新たな未来に向かおうとするジヨンの姿で映画は終わる。

 

なにげない日常のような中に、ジヨンの不安をあちこちに挟み込んでいく脚本が実にうまいし、そこから見えてくる、現代女性の悩みや問題の描き方が相当秀逸。傑作とかそういうものではないけれど、興味深い出来栄えの映画でした。