くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「ちひろさん」「エンパイア・オブ・ライト」

ちひろさん」

期待していなかったというのもあるけれど、まあまあ楽しめる映画でした。登場人物それぞれの背景をほとんど描かずに淡々と主人公を中心に回る物語を綴っていく感じで、前半はいいのですが後半につれてどんどん平凡になっていく失速感はちょっと勿体無い。登場人物のキャラクターの面白さもいつもほど出ていないのは有村架純が悪いのか脚本が悪いのか、Netflix配信映画というレベルの一本でした。監督は今泉力哉

 

海辺の小さな街、猫のアップ、その猫に近づく一人の女性ちひろの姿から映画は幕を開ける。弁当屋に勤めるちひろは元風俗嬢ということもあり、気軽に立ち寄る男達の人気だった。弁当屋の主人尾藤の妻多恵は目が見えなくなって入院している。ちひろはこの街では有名人で、この日、子供達にいじめられているホームレスを助け、弁当を一緒に食べ、ホームレスがいつも休息する廃墟ビルを教えてもらう。後日、ちひろはそこを訪れて、不登校の女子高生千夏と知り合う。

 

そんなちひろを影から写真を撮っている女子高生がいた。彼女の名前は久仁子と言って、家庭は絵に描いたような家だがどこか冷たい雰囲気があった。なんでちひろの写真を撮っているのかは結局説明なし。ある日公園で、ちひろはマコトという小学生と知り合う。マコトの母は水商売らしくシングルマザーで、いつも一人で寂しい思いをしていた。物語は久仁子、ちひろ、マコトの三人を中心に展開していく。

 

最近見かけないホームレスを心配して探していたちひろは路地裏で死んでいるのを見つけ、死体を埋める。この描写の意味が結局わからなかった。幼い頃、一人海苔巻きを作って神社の境内で食べていた綾は、ちひろという風俗嬢と知り合う。それをきっかけに綾は風俗店で源氏名を尋ねられて、ちひろと名乗ったのだ。ちひろは綾の名前で多恵の病室に行き、話し相手になっていた。縁日で風俗店の店長内海と再会、今は熱帯魚屋をしている内海とさりげなく会うようになる。ちひろの同僚だったバジルは時々ちひろと会っていたが、どうやら内海のことが好きらしく、内海の熱帯魚屋でバイトを始める。

 

ちひろはある時マコトの母になじられる。しかし、マコトのことを知ってやってほしいとちひろは訴える。ある雨の日、ちひろは退院間近の多恵を連れ出してドライブに行く。そこで多恵は、綾がちひろだと知っていたと告白、母を亡くしたばかりのちひろは多恵に抱きしめられる。

 

その夜、家の鍵を無くしたマコトは家に入れず久仁子に助けを求める。久仁子はおにぎりを作るがそれを母に見つかりつい、自分のことを知って欲しいと叫んで家を飛び出す。帰ってきたマコトの母ヒトミはマコトと久仁子を家に入れてやり焼きそばを作る。それはマコトがちひろに自慢していた母の焼きそばだった。つい涙ぐんでしまう久仁子だった。

 

十五夜の夜、ちひろのアパートの屋上に、退院してきた多恵、久仁子、バジル、内海、尾藤、らが集まって月見をしていた。しかし、ふと気がつくとちひろはその席から消えてしまう。多恵はちひろに電話をし、また明日と切るがちひろはそれっきり姿をくらましてしまう。日常が戻り、尾藤は多恵と仲良く栗をむいている。ちひろを採用したきっかけは美味しそうに弁当を食べたからだという尾藤。マコトや久仁子のその後は描かれず、乳牛に餌をやっているちひろ=綾の姿となり映画は終わる。エンドクレジットの後、中盤でラーメン屋に立ち寄ったちひろの姿と店長とのやりとりをさりげなく写して暗転。

 

非常に中途半端に展開する作品で、それはそれでいいのだが、どこかスッキリまとまっていない。原作コミックがあるので、それをうまく脚本として一本にできなかったのか、役者陣の力不足か、今ひとつ、見えてくる物がない映画でした。

 

「エンパイア・オブ・ライト」

とにかく画面が美しい。光とセンスの良い落ち着いた色彩配置を考えた美しい構図が生み出す名作の貫禄のある映像にまず魅了されます。物語は大人の人間ドラマ、その上品な作りは、安っぽいラブストーリーなど吹っ飛んでしまうほどに心地よい。難点をいうと、前半の主人公ヒラリーのドラマがいつのまにかスティーヴンを中心にした黒人差別問題へ移って行く過程で、前半のドラマが薄められてしまったことでしょうか。でも、全体が一つに仕上がったクオリティの高い映像作品として、そして映画館で見る映画として楽しめる一本でした。監督はサム・メンデス

 

1980年、海辺の町マーゲイト、地元の人々に愛されている豪華な内装の古き良き映画館エンパイア劇場の姿から映画は幕を開ける。ここで働くヒラリーは、この日も入場者の整理に追われている。と言ってもかつての盛況は影を薄れ、世の中は不況に喘いでいる。過去に何かあったのかヒラリーは心療内科で診察を受け薬を処方されているらしい。ダンスを習いに行っているようだが、どこか引っ込み思案で一歩踏み出せない。劇場の支配人エリスと体の関係だけを続けている。従業員の一人が突然行方不明となり、後任に黒人のスティーヴンが赴任してくる。軽いノリで仕事をするスティーヴンを叱責スリヒラリー。しかし二人の間には何か共通するものがあった。

 

この劇場には階上に今は使われていない劇場が二つあり、ヒラリーがスティーヴンを案内した時、羽を怪我した鳩をスティーヴンが治療してやる。

 

ティーヴンは黒人であるが故に、日頃執拗にトラブルに巻き込まれていた。やがてヒラリーはスティーヴンと交際するようになり、一方エリスとの関係は疎遠になる。1980年の大晦日、劇場の屋上でヒラリーはスティーヴンと新年の花火を見る。この場面が恐ろしく美しい。ある時、海岸へデートをした二人だが、砂遊びをしていて、突然ヒラリーの感情が昂りスティーヴンは呆気にとられる。そして、劇場に来なくなり、スティーヴンはヒラリーが心配で家まで行ったりするも、ヒラリーは出てこなかった。

 

やがてエリスが企画していた「炎にランナー」のプレミア上映会の日がやってくる。エリスが壇上で挨拶をするが、突然ヒラリーが壇上に上がりスピーチをする。激怒するエリスに、ヒラリーはこれまでエリスにされたことをエリスの妻に告白しその場を去っていく。昨年夏、精神的に不安定になったヒラリーは入院していたことがあったのだ。スティーヴンはヒラリーの家に行くが、そこへソーシャルワーカーが警官を連れてやってくる。そしてヒラリーは入院させられていく。

 

ティーヴンは相変わらずエンパイア劇場で働いていたが、ある日、ルビーという黒人の友人が訪ねてくる。やがて二人は付き合い始めるが、デートしていてベンチに座るヒラリーと出会う。退院したヒラリーはまたエンパイア劇場で働くようになる。その歓迎会の日、外では大規模な若者達のデモが行われていた。従業員らはそれを見ていたが。そのデモの言葉の中、黒人非難の言葉を見つけ、慌てて入り口を閉じようとするが時遅く、暴徒になった若者が劇場内になだれ込み、スティーヴンはリンチにあって救急搬送される。同乗したヒラリーは、病院で看護師をしているスティーヴンの母マレーに出会う。マレーはスティーヴンが海岸へ一緒に行った相手だと知り、親しみを持って迎える。

 

ようやく回復したスティーヴンはヒラリーに、映画を観た方が良いと告げる。ヒラリーは終映後の劇場に行き、映写技師のノーマンに頼んでおすすめを上映してもらう。それは「チャンス」だった。ヒラリーはスティーヴンのアドバイスを受けた礼を言い、これから色々教えて欲しいというが、スティーヴンは大学に行くことになったと話す。以前から建築に勉強がしたくて目指していたがこれまで認められなかったのだという。ヒラリーは、ようやくこれからスティーヴンと楽しい日々を過ごせると思っていた思いをくじかれ複雑な表情をする。

 

旅立ちの日、スティーヴンを途中で待つヒラリーは、一冊の本をプレゼントする。そしてスティーヴンの未来を見送る。スティーヴンは送られた本を開き、未来へ向かう決心を新たにして映画は終わる。

 

様々な経験をしたヒラリーとスティーヴンが、それぞれ未来に向かって立ち直っていく大人の成長ドラマにいつのまにかじわっと感動を覚えてしまいます。しかも、映像がものすごく美しいので、映画全体が芸術作品のように魅力的です。良い、とっても良い映画、そんな感想がぴったりの一本でした。