「43年後のアイ・ラヴ・ユー」
いい映画になるはずなのですが、脇役が描ききれていないためにお話が薄っぺらくなった。さらに、リリィの若き日を演じた女優が大女優に見えないので、老人になってからのリリィと貫禄が違いすぎてちょっと残念。脇役をもっと大事にしないと作品は良くならないという典型的な映画でした。監督はマルティン・ロセテ。
元演劇評論家のクロードが友人のシェーンと戯れあっている場面から映画が始まる。たまたま雑誌の編集室に行ったクロードはリリィという元大女優がアルツハイマーで入院したという記事を見かける。彼女はクロードの初恋の女性だった。クロードは彼女の手助けをするべくシェーンに手伝ってもらって認知症のふりをしてリリィの入っている施設へ入所する。
そんな頃孫のタニアの父ローガンは不倫騒ぎで世間の注目を浴び、妻でクロードの娘セルマも呆れていた。タニアは大好きなクロードの家を訪ねてそこでクロードが認知症の施設に入ったのを知る。一方のクロードは、若き日の思い出の数々をリリィに届けてなんとか自分を思い出してもらおうと奔走していた。そんなクロードのところにタニアが訪ねてくる。クロードはタニアに、間も無くこの施設に来る劇団にリリィの若き日の名演技をした演目をしてもらう計画を話す。
学校で演劇部に所属するタニアはクロードの願いを叶えるため、施設に来るべき劇団を断り自分の演劇部を連れていくことを企画する。この辺りの展開がかなり雑で、ただエピソードを並べただけになっている。そして施設でお芝居が始まり、肝心のセリフに詰まったところでリリィがかつての台詞を思い出し舞台上で演じ切る。そしてクロードのことを思い出し、部屋でダンスを踊る。
クロードは、リリィの夫との三角関係も望まず、施設をさることを決意、リリィに別れを告げる。タニアも演劇部で恋人ができる。ではタニアの父はどうなったという感じだが、既に放って置かれている。典型的な雑脚本ですが、まあ、普通に見る分にはいいかなという映画でした。
「女の一生」
モーパッサンの原作を野村芳太郎、山田洋次、森崎東が脚色した作品。いかにも文藝大作という色合いの映画で、一人の女の大河ドラマ的な作品ですが、今ひとつ核になる迫力が足りないのと、オーバーアクトな演技の連続が妙に感情移入を妨げた感じで、普通の出来栄えの映画という印象でした。監督は野村芳太郎。
信州の大地主弥生家に三年の療養の末長女伸子が戻ってくるところから映画は始まる。戦争も終わり、父の友光も母京子も出迎え、順風満帆な船出のように思われる。そんなある日、戦死した息子の戦友の宗一がやってくる。好感な青年に見えた宗一は間も無くして伸子と結婚する。しかし宗一は使用人の民を手込めにしていて、やがて民が妊娠していることがわかる。
民は赤ん坊を産み、百姓をしている三男坊の家に嫁がされる。そして伸子も男の子を産み、子供のためにと離縁せずに暮らすが宗一の女癖の悪さは治らず、近くの発電所の所長の妻とも不倫し、その夫に撃ち殺される。伸子の長男宣一は大きくなって東京の高校へ行くことになり一人暮らしを始めていた。伸子はそんな宣一を突然訪ねてみると宣一は自堕落な生活をしていた。そして無免許で事故を起こし、伸子の父友光から感動されてしまう。
時が経つ。今や落ちぶれた弥生家は、友光も、京子もいなくなっていた。そんなところへ民が訪ねてくる。気のいい子供達に囲まれ平穏に暮らす民に伸子は羨ましさを感じながらも頼るようになる。宣一は何かにつけ金をせびってくるので伸子が東京へ行ってみると、1人の女と世帯を持っていた。後から駆けつけた民と一緒に伸子は帰るが、程なくして宣一の妻が出産、産後が悪く死んでしまう。伸子は宣一の子供を引き取り、民と一緒に信州へ戻る。そして間も無く信州へ帰ってくる宣一を待つようになって映画は終わる。
世間知らずな上に子離れのできない伸子の姿がいかにも大袈裟すぎて、周りから浮きすぎているのが最後まで違和感があり、さすがの岩下志麻も褒められる演技ではなかったと思います。川又昴のカメラが美しく、映画を格調高いものにしていたと思いますが全体としては普通の仕上がりの映画に感じました。