くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「茜色に焼かれる」「いのちの停車場」

「茜色に焼かれる」

出だしは、いかにもないじめっ子や、認知症官僚のブレーキの踏み間違いで死ぬ男のシーンや、上司の顔色ばかりみるパート先の店長や、責任逃れだけの若い教師など出てくるキャラクターが酷すぎて、なんで今頃こんな陰気臭い映画を作るのかと、劇場を出たくなったが、次第に映画が動き出してくると、なかなかいい映画じゃないかと思い始めて引き込まれてきた。ただ、コロナをスクリーンの中に持ち込んだことは最後まで受け入れられず、その意味では最低の映画だったと自分では思う。監督は石井裕也

 

CGによる車が走る映像、一方で自転車で走る一人の男の映像、その二つが重なり、田中陽一という一人の男が認知症の官僚の車にはねられ死んで映画は始まる。まさに先日起こった新聞の事件のパクリである。それから七年が立ち、加害者の法事の場に陽一の妻良子がやってくるが息子らに体良く追い返され、さらに弁護士からも、そもそもなぜ事故の時賠償金を受け取らなかったかなどを問い詰められる。しかし、はっきりしたことを言わず帰る良子。

 

良子は中学の一人息子純平を養うために、昼はホームセンターでパートをし、夜は風俗で働いていた。義父は施設に入れ費用を払っている。陽一の愛人の子供の養育費まで払っている。純平は学校ではいじめられていたが、さりげない態度でいなしていた。良子のパート先の店長は、上司の命令で、良子を辞めさせるべく意地の悪い対応をする。純平の学校の担任は良子にいじめの原因を問い詰められても知らんふりをする。そんな中、良子は風俗店の同僚ケイと仲良くなっていく。

 

ある時、良子は中学時代の同級生熊木と出会い、ささやかながらときめくが、熊木は体だけを目的の最低の男だった。ケイは幼い頃から父にレイプされていて、糖尿病も患っていた。しかも、同居の男は暴力を振るうヒモだった。それでもケイはその男を愛していた。

 

良子がケイと飲んでいてつぶれてしまう。引取に行った純平はそこでケイと出会い、ケイに好意を持つようになる。ケイに電話番号を教えられ舞い上がる純平は乗ったこともない自転車の練習を始め、ケイの家に行くが、ケイはヒモの男の車で何処かへ去る。ケイは妊娠していて中絶させられたのだ。しかしその時、ケイは手遅れの子宮頸癌が見つかる。

 

良子は純平の担任に呼ばれて行ってみると、担任は、純平が並外れた成績だと言われ驚く、そして良子は純平に、父親と同じく行けるところまで行けばいいと言う。純平の父陽一はミュージシャンで、てっぺんのさらに上を目指して頑張っていたのだ。ある夜、純平のいじめっ子らが、純平がベランダに置いている本に火をつけボヤが発生、公営アパートを出て行かざるを得なくなる。良子は覚悟を決め、包丁を持って熊木を呼び出す。しかし駆けつけた純平に包丁を奪われる。逃げる熊木の前に、ケイと風俗店の店長中村が現れ、良子を助ける。

 

そしてまもなくしてケイは死んでしまう。葬儀には良子、純平、中村が行く。純平はもやもやしたものが次第に晴れてくる感じがしていた。良子は義父の施設で行われる映像イベントに芝居を撮り上映することにした。良子はかつてアングラ劇の役者をしていた。純平はそんな母の姿をじっと見つめる。夕暮れ、純平の自転車に良子も乗って走っている。純平が母に、大好きだと声をかけ映画は終わっていく。

 

良子が以前経営していたカフェがコロナで閉店になり、画面の中にもマスクをした人物が普通に登場する。さすがに見ていて目障りで、スクリーンの中に現実を持ち込んだこの、脚本なのか演出なのかは個人的には最低だと思う。映画全体の出来栄えはそれなりにまとまっている気がするけれど、その点だけでこの作品は認めたくないと思った。

 

「いのちの停車場」

ありきたりの診療所もので、特に秀でた感じはしなかった。主人公は吉永小百合だがさすがに精彩に欠け、松坂桃李の方が中心に見えた。個々のエピソードは涙を誘うものでしたが、全体を貫く一貫性は見当たらず、ラストで安楽死を取り上げて終わると言う流れはどうなのだろうと言う感じでした。映像は美しかった。監督は成島出

 

取ってつけたようなトンネル事故の後、大病院で救命救急医をしている咲和子が患者を捌き始める。そこへ、事故にあった子供を抱かえて、事務員の野呂がやって来る。しかし、救急に忙しい咲和子は、点滴の準備をしただけで、また救急室へ。痛がる少女を見かねて野呂が点滴をしてしまうが、野呂はまだ医師免許がなかった。それが問題になり、責任者の咲和子は病院をやめ、実家のある金沢のまほろば診療所という在宅医療を扱う診療所へやってくる。

 

そこで看護師の星野、さらに後から追いかけて来た野呂らと一緒に患者と向き合っていくのが本編となる。末期癌の妻の看病をする老夫、肺がんの芸者、癌のプロ棋士、ITベンチャー社長、などとのエピソードが描かれていくが、そのどれもが特に個性的な工夫があるわけでもない。しかしその中で、野呂は再度国家試験にチャレンジし医師になる決意をして去っていく。そんな中、咲和子の父が骨折、その後、痛みが取れない病気になって寝込んでしまう。苦しむ父は、安楽死を咲和子に頼む。

 

散々悩んだ咲和子は、診療所の院長仙川に診療所をさることを告げ、父の元へ向かう。果たして、安楽死を実行したのかは描かれず、父と咲和子が窓の外を眺める場面で映画は終わる。傍には安楽死のための点滴が置かれているようだが、そこは曖昧なままである。

 

エピソードの一つ一つは今更と言う感じで、吉永小百合の心の葛藤は全然見えてこないために、松坂桃李広瀬すずの存在感が際立ったテレビドラマのような仕上がりになっていた気がします。さすがに成島出監督の映像演出は美しいですが、それも今ひとつ効果的な役割を果たしていませんでした。普通の一本でした。