可もなく不可もなしのSF超大作という感じの出来栄え、原作の大ファンとしてはここまで出来ていれば合格というレベルの映画に仕上がってましたが、主人公ポールのカリスマ的な存在感がもうちょっとしっかり出ていれば良かった。それと、前半の丁々発止の権力争い部分のサスペンス色がもっとわくわく描けてればもっと良かったと思います。今回が前半なので後半が楽しみです。監督はドゥニ・ヴィルヌーヴ。
暗闇に声が聞こえるシーンから映画は幕を開ける。西暦10190年、一つの惑星を大領家が治めている時代、アトレイデス公爵家は、デューンと呼ばれる惑星アラキスを治めることになるが、そこは砂に覆われた辺境地で、いわば皇帝から左遷を言い渡されたような地であった。ただ、その惑星には、メランジという香料が採掘され、それが莫大な利益を生んでいた。しかし、アトレイデス公爵家の前にアラキスを治めていたハルコンネン家は、皇帝と結託してアトレイデス公爵家の党首レトを亡き者にしようと画策していた。
一方レトにはベネ・ゲセリットと言われる心身統御術で言葉によって人を誘導できる特殊な能力を持つ妻ジェシカと、彼女が訓練して育てた息子のポールがいた。ポールにはさらに未来を見通せる能力も備わっていたが、今はまだ目覚めていなかった。まもなくしてハルコンネン家と皇帝軍はアラキスに攻め入り、レトを殺してしまう。ここのサスペンスフルな展開はさすがに映画化にあたってあっさりと流したところがあり、ちょっと残念。
党首を殺され辺境の地へ追放されたジェシカとポールだが、持ち前の才能で嵐にツッコんでハルコンネン家に死亡したと思わせ、砂漠の先住民であるフレーメンに協力を仰ぐべく砂漠を旅する。そしてフレーメンを率いるスティルガーと出会い、彼に認められたポールは、次第にその能力を目覚めさせるとともに、フレーメンの地へ向かって映画は終わる。フレーメンの謎めいた存在感が全く描かれていないし、砂虫の恐ろしさも今ひとつ描写力が弱いのは勿体無いですね。
さすがに原作が超大作にして名作SFなので、エピソードの羅列に見える部分もあるのですが、やはり映像が素晴らしく、巨大スクリーンに展開する宇宙連合の姿は圧巻。ポールが次第に目覚めてくるドラマティックさも僅かながら描かれていたもののジェシカの強さがあまり前面に見えないのが物語全体を平坦にした気がします。とはいえ、これまでの大作SFを映像化するには満足するレベルに仕上がっていたと思います。
「燃えよ剣」
モダンな絵作りと演出で映像として楽しませてくれる作品でした。ストーリー展開は史実でもあり動かせないところはあるものの、少々派手気味ながらもリアリティあふれる迫真の殺陣シーンも含めて映画としては中の上の仕上がりだったと思います。監督は原田眞人。
幕末、武士になることを夢見ていた青年時代を回想する土方歳三の姿から映画は幕を開けます。前半、所々に回想という形で土方歳三が語る場面が挿入されますが、うるさくなるほど頻繁でもなく、後半はほとんどなくなっていきドラマに集中していきます。近藤勇、沖田総司らとともに京都へ向かった土方らはやがて芹沢鴨の元で新撰組を組織することになります。
倒幕派を倒していく降りや、朝廷とのやりとり、芹沢を倒して新撰組の規律を厳しくしていくくだりなど、見せ場をふんだんに取り入れ、その一つ一つがしっかり演出されているので飽きてきません。
中盤の最大の見せ場池田屋事件の殺陣アクションは半端ないほどにリアリティがあり、細かい演出に拘った台詞の数々と動きに引き込まれていきます。土方歳三の妻となるお雪とのドラマはやや希薄ですが、灯籠や灯りを効果的に配置した京都の街の美しい絵作りや、宴会シーンでのモダンなダンス演出、会話シーンの交錯するカメラワークの妙味など至る所に工夫が見られ、映画を見る楽しみにどんどん引き込まれます。
やがて大政奉還となり、武士としての居場所を無くしていく土方らは徐々に分裂していくとともに、新しい時代の変化に微かに染まり始めます。しかし、自分の生き方を貫こうとする土方歳三はやがて五稜郭での戰に身を投じていきます。五稜郭の戦いが終盤を迎え、土方歳三は一人官軍に突入して、撃ち殺されて映画は終わっていきます。
司馬遼太郎の原作は読んでいないし、過去に映画化されたものも見てないのですが、現代的な色合いをふんだんに取り入れた作りはなかなか面白かったし、大河ロマンの色合いは十分に出ていたと思います。傑作というにはほんの少し届かないものの、原田眞人監督の力量が光る良質の作品でした。