「ライフ・ウィズ・ミュージック」
ミュージシャンが映画を監督するという事で、ほとんど期待していなかったのですが、これが思いのほかとっても素敵な映画でした。ポップな映像と音楽が映画全体をリズミカルに踊らせていく感じが楽しいし、登場人物の頭の中が映像になるミュージックビデオのような映像の数々も面白い、しかもストーリーも隅々まで書き込まれた脚本で、しっかりドラマが伝わってくるので、魅了されてしまった。監督はSia(シーア)というシンガソングライター。
黄色い背景で軽快に踊る女の子のポップな映像から映画が始まる。実は踊っているのは障害のあるミュージックという少女で、過敏な聴覚と発達障害なのか言葉を発することがほとんどできない。この日も朝を迎える。彼女の世話をしているのは祖母のミリーで、朝起きたら目玉焼きを作り三つ編みをして散歩に送り出す。近所に住む住民達が彼女をサポートし、養子に迎えられたやや自閉症気味の太った青年フィリップがミュージックの後をフォローして、露店のアイスなどをミュージックが手に取れるようにしてやったりする。このオープニングがとっても良い。ところがミリーが突然倒れそのまま死んでしまう。何もわからず戻って来たミュージックだが、理解できないまま、たまたま来た修理工のエボが連絡をしてやる。
アパートの管理人ジェームスは、ミュージックの唯一の肉親でアルコール依存症で疎遠だった姉のズーを呼んでやる。訳もわからずやって来たズーだが、ミュージックの世話の仕方もわからずパニックになる。そこへやって来たのが隣人の黒人エボだった。彼の助けで、ズーとミュージックはとりあえず日常を過ごすようになる。向かいに住むフィリップが光でミュージックに話しかけてやったりし、その灯でミュージックは幻想を頭の中に描く。映画は、登場人物の頭の中の気持ちの様子がミュージックビデオのように映像化され、ポップな曲とダンスで描写されながら現実の物語が展開していく。
ズーは、闇の薬の売人をして生活をしているが、なかなかうまく進まない。何かにつけてエボに頼るようになる中、二人の間には恋心が芽生えてくるが、エボの元妻はエボの兄と関係ができ結婚することになっていて、エボも後一歩ズーと体を合わせようとしなかった。ある時、薬の顧客にHIVの薬を配達しに行ったズーはその顧客がエボだと知る。エボはエイズ感染者だった。エボはボクシングの指導もしていてフィリップにも教えていた。フィリップの両親は彼を養子にして選手にする夢を持っていたがフィリップは戦うことが嫌いな優しい青年だった。
試合の日、フィリップは相手を打とうともせず両手を広げてしまう。家に帰ったらフィリップは、介助犬を申し込んでいた。家に帰ったらフィリップの両親が喧嘩をしていて、思わず止めに入ったフィリップは養親に突き飛ばされ頭を打って死んでしまう。一方、ズーは大口の顧客を見つけ、仲介人から大量の薬を借りて顧客の元へ向かおうとしたが、ミュージックを預かっているジェームスから催促され、仕方なくミュージックを引き取る。
ところが途中ミュージックが蜂に刺される。彼女は蜂アレルギーだったため、ズーは救急病院へ駆け込むが、薬を入れていたカバンを失くしてしまう。何もかも裏目に出ることに嫌気が刺し、思わずアルコールを飲んでしまい、大怪我をして家に帰ってくる。翌朝、ジェームズに手当てしてもらうが、限界を感じたズーはミュージックを施設にれる決心をする。一方、エボは兄達の結婚式に呼ばれていて、アパートを後にして出ていく。
ズーはミュージックを施設に連れて行ったが、「帰らないで」とつぶやくミュージックの言葉に目が覚め、一緒に生活する決心をする。そして、エボの兄の式場へ行く。スピーチをするエボに、一緒になってほしいと告白、エボは、かつてミリーが作っていた曲を結婚の祝福のためにピアノで弾き始める。すると、ミュージックがさりげなく口ずさみ始める。このシーンが抜群に良い。
必死で仕事を探すズー、そして、サポートするエボたちのところに宅配便で介助犬が届く。なんとフィリップがネットで頼んでいたのはミュージックのための介助犬だった。このラストは最高です。こうして映画は終わっていく。
細かいエピソードや演出の隅々が愛に溢れていて、一見現実の厳しさを見せるようで、全てにその理由づけがされている脚本は素晴らしい。少々ドラマ部分のカメラが手持ちを中心にしているので画面が落ち着きがなく感じるが、脳内イメージを描写するポップなミュージカルシーンがとっても素敵なので、映画にどんどん魅了されていきます。決して傑作とはいえないまでも、ちょっとキュートな佳作という感じの一本でした。
面白かった。アナログなスパイ合戦の面白さを実話を元にしてるとはいえ映像のリズムを巧みに操った演出にのめり込んでしまいました。さりげなく埋め込んだ切ない恋愛ドラマも物語に味付けをして、単純なミステリー映画に終わらせなかったのも良いし、決まったラストとはいえ、しんみりと真摯な締めくくりで見せた幕引きもうまい。監督はジョン・マッデン。さすがです。
1943年7月、暗い海の上、兵士たちが何かを海に沈めるところから映画は幕を開ける。そして物語は六ヶ月前、連合国はシチリア上陸作戦を準備していたが、ナチスドイツがそれを阻止せんと軍隊を配備していた。弁護士であるモンタギューは実はイギリスMI5の諜報員だったが、任務を隠していた。この日、妻のアイリスらをアメリカに送り、弟と残る。弟は何やら自分なりに共産主義的な活動をしているようだった。
MI5は、ナチスの目をギリシャに向けるための作戦を検討する。そこで思いついたのが、かつて失敗に終わったこともある、死体に重要文書を持たせてわざと敵に偽文書を掴ませる作戦だった。ここにイアン・フレミング少佐を登場させて、巧みにスパイ小説風に展開させる伏線を貼る。
モンタギューと相棒のチャムリーは偽の死体探しから仕事を始める。そして、文書を持たせる兵士をビル・マーティン少佐と偽名を作り、恋人をパムとして、よりリアルにするための背景を練り情報を固めていく。その過程で、情報室にいたジーンという女性に協力を得て、彼女の写真をパムとして死体に持たせる鞄に入れることにし、さらに情報局の暗号解読官へスターが、パムからビルへのラブレターなども作成する。一方、モンタギューはジーンを毎回自宅まで送り届けるうちに、モンタギューがビルでジーンがパムであるかの錯覚を生み出し、いつの間にか擬似的な恋愛関係から、実際の愛情関係へとほのかな物語が生まれてくる。
一方、相棒のチャムリーは、上官のゴドフリー提督から、モンタギューの弟がソ連のスパイである疑いがあるからとモンタギューをスパイするように指示される。チャムリーは戦死して行方不明の兄の死体を見つけ出してもらうことを条件に、モンタギューを監視することを引き受ける。
下準備が整い、決行は4月30日と決まる。そして、偽造文書とさまざまな手紙などを持たせた偽の死体が潜水艦に乗せられ出航、目的地で海に流される。あとは、思っていたスペインの海岸に流れ着き、そこからスペイン海軍に入り込んでいるドイツのスパイの手を経て、ベルリンのヒトラーの元へ手紙が届くことを祈るばかりとなる。
ここから、予定したドイツ人スパイにカバンがうまく渡らない中を、二重三重に入り込んでいるイギリスのスパイとドイツスパイとの丁々発止のフォローとバックアップが短いカットで繋がれていく。少々、人物名がたくさん出てくるのだが、前半、しっかり見て頭の隅に敵か味方かだけ大体記憶してれば、自然と思い出して物語は繋がる。
そして、スペイン海軍から鞄が回収されたが、中の偽造文書の入った手紙の封筒は中を一度開けられていることが判明し、ヒトラーの信頼のあるドイツ高官のところまで偽造文書が届いたらしいという情報が入る。
ここに来て、ジーンの自宅にテディという男がやってくる。そして、カバンの中にあったジーンの写真を見せて、何が行われているのか問い詰めてくる。テディは反ナチス組織に属しているらしいことがわかり、モンタギュー達は、作戦続行を検討する。ところが、ドイツがシチリアから軍隊をギリシャに移しているという情報が入る。果たして、この情報が真実なのか、これもまたドイツ側の嘘の情報なのか、モンタギュー、チャムリー、ゴドフリー提督らは散々悩むが、チャーチル首相はシチリア侵攻を決定しているという事を聞き、モンタギューも感ながらこのまま進めていくべきだと進言。
やがて作戦は決行され、7月、連合軍はシチリア上陸作戦を行う。作戦結果をじっと待つモンタギューたちのところにテレックスが入る。ドイツ軍はほとんどいなくて、シチリア海岸は制覇したという事だった。モンタギューはジーンにもう一度会いに行き、ジーンへの想いは本当だったと告げる。
ジーンは遠方への転属を申し入れていた。モンタギューはアメリカにいる妻アイリスに手紙を送る決意をし、チャムリーには息子の遺体が戻って来たという知らせが入る。こうして物語は終わる。モンタギュー、チャムリー、ジーンらの順風満帆となったその後がテロップされてエンディング。
複雑なスパイ合戦の映画なのだが、あまり思い込まずに見えてくるままに物語を追っていけば、ちゃんとストーリー展開が頭で整理されてくるのは、流石にストーリーテリングのうまさでしょうか。モンタギューとジーンの恋愛劇も程よいレベルで流れるし、クライマックスの緊張感もいい配分で配置されているし、イアン・フレミングのキャストの味付けも、娯楽映画の味わいを持たせて心地良い。ちょっとした秀作レベルの一本でした。