くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「風が吹くまま」「ロスバンド」「月光の囁き」

風が吹くまま

クオリティの高い秀作でした。大きなドラマ展開はないので物語は退屈といえば退屈ですが、淡々と繰り返す画面、美しい構図、素朴な景色を見事に切り取ったカメラアングル、そして、映像のリズムで見せる演出が素晴らしい。クライマックス、主人公ベーザードが医師のバイクの後ろで病院へ向かうシーンは目が覚めるほど美しい。いい映画です。監督はアッバス・キアロスタミ

 

クルド系の小さな村の取材のためにクルー達が車で向かっている場面から映画は始まる。広がる草原とジグザグの道、途中、案内の少年ファザードを乗せ、やがて車が村に到着する。村の老婆の容態が悪く、その葬儀の様子を取材に来たのだが、老婆の容態は一進一退で、二、三日の滞在のつもりが二週間を超えてくる。

 

ベーザードは、本部から連絡が来れば丘の上まで行かないと電波が受けられない状況で、毎日毎日、取材のタイミングを測っていた。村人達やファザードとの交流が淡々と描かれて、丘と村の往復を繰り返すベーザードの物語が続く。丘の上では、穴を掘る仕事をしている男がいて、声だけでいつも話をしていた。ボスから中止の連絡が再三くるが応じないベーザード。

 

ある時、丘の上で話をしていて、突然、穴を掘っている男が生き埋めになる現場に遭遇、慌てて人を呼びにいく。そして助け出された人を病院へ送り、駆けつけた医師のバイクに乗って村に戻り、老婆を診察してもらう。ベーザードもとうとう帰る決心がつきかけたが、その日、老婆は亡くなる。大勢の女性達が弔問に向かう様子をカメラに収め、ベーザードは帰路に着く。途中、初めて丘に登ったときに、穴を掘る男からもらった人間の骨を川に投げ捨てて映画は終わる。

 

淡々と平面の構図で繰り返す物語が、終盤一気にカメラアングルが変わり、リズムが変化してラストシーンを迎える映像テンポが素晴らしい上に、景色やベーザードがうろつき回る村のあちこちを切り取ったカメラの構図も見事。映像とはこうして作るものだと言わんばかりの秀作でした。

 

「ロスバンド」

なんとも、素人のような脚本と、ストーリーテリングのセンスが全くない演出に、まるで石につまづきながら前に進んでいるような感覚でした。しかも登場人物それぞれの人物演出が全然できていないので、人物が生き生きしてこない。いい映画になりようがあるはずなのに、尺を合わせるためだけのような無理矢理エピソードや、全体から明らかに浮いてしまっている終盤の橋を飛び越えるギャグのような展開に巻いた口がふさがらなかった。9歳のティルダがスパイスになるはずなのに、彼女の背景が全く描写されず、登場人物全員脇役に至るまで凡々たる有様はさすがに酷すぎる。残念な映画に久しぶりに出会ってしまった。監督はクリスティアン・ロー。

 

両親の仲が悪いグリムはドラム担当をし、親友でギタリストのアクセルとバンドを組んでいた。しかし、ボーカルのアクセルの歌があまりに音痴で、いつも機械で修正していたが、本人には言えなかった。ところが彼らのバンド「ロスバンド」がノルウェーのトロムソで開かれるロック大会の決勝に出場できることになる。

 

グリムはアクセルの音痴をなんとかカバーすべくメンバー追加を募集、やってきたのは学校で友達もいずに孤独なチェロ奏者の9歳の少女ティルダだった。しかも彼女の演奏はなかなかのもので、ティルダの持ってきた両親の参加許可証を信じてメンバーに加える。と、まるで子供騙しの展開。

 

開催地は北の果てなので車で行くことになり、父親に反感を持っていたラリードライバーのマッティンを雇って、開催地を目指す。物語の中心はロードムービー的な展開部分なのだが、時間がないと言いながら、途中、車の故障で式場へ遅れかけそうな新婦を乗せて、結婚式場で歌ってみたり、と言ってこのエピソードはなんのプラスもなく、新婦がやたら喚き散らす自己中女というだけ。

 

間に合わないという時間リミットの設定はどこ吹く風で、途中、憧れのかつてのロックスターに会いに行くエピソードやアクセルの歌は音痴だと遂に言われてカラオケ大会に立ち寄り、マッティンの歌が素晴らしいというのを見せる場面も登場、なんとも、計画性のない脚本に辟易としてしまう。そのほかダラダラした電話シーンが繰り返され、どんどんテンポがだらけてくるのはさすがに辛い。

 

そして、ティルダの両親がティルダの捜索願いを警察に出したことから、警察に追われる一方、マッティンが持ち出したのは兄の車だったので、マッティンを追いかけてくる兄と父のエピソードも絡んできて、どんどんグダグダになる。そして、あわやというところでティルダが警官に捕まる。ところがアクセルの機転で彼女を助け出してのカーチェイス。途中で切れている橋を飛び越すというとんでもない展開で開いた口が塞がらないままに会場へ辿り着く。

 

いざステージが始まるが、追いついたマッティンの父親がマッティンのステージに出るのを押しとどめるという、しつこい展開が追加され、明らかに、演出センスの悪い監督の典型的な流れである。そして、ステージは無事終わり、ティルダが、観客の帰ったステージで一人座っていて、グリムが寄り添って、そこにマッティン達がやってきて、次はツアーに行くという声でエンディング。

 

お決まりで、ステージシーンに今まで理解のなかったグリムの両親や、涙ぐむマッティンの父親、アクセルに気がある少女のカットなどが適当に、まさに適当に挿入されるリズム感のない演出に唖然とする。

 

とにかく、2018年から公開が干されていた理由がよくわかる一本で、名作「リトル・ミス・サンシャイン」のできそこないのような映画でした。

 

月光の囁き

思春期の女子高生の揺れ動く危うい心理状態を描いた作品という感じの一本。丁寧な演出と、卑猥になる一歩手前の節度のある描写が上手い作品でした。監督は塩田明彦

 

剣道部の朝練、日高と北原が熱の入った練習をしている場面から映画は始まる。ある時、日高は親友の丸山から、北原にラブレターを渡してほしいと頼まれる。日高が北原に手紙を渡そうとすると、北原は前から日高が好きだったことを打ち明ける。そして日高も北原が好きだったと答え、二人は付き合うようになる。

 

日高が風邪で休んだ日、見舞いに来た北原は日高にキスをし、そのまま体を合わせる。二人は初めてだった。その後も二人は交際を続けるが、北原が日高の部屋に来た時、日高が母に呼ばれて部屋を出てひとりになった時に、たまたまベッドの上で北原の靴下を見つける。そして日高の机を開いてみると、北原の色々が隠されているのを見つけ、北原は思わず飛び出してしまう。

 

日高と北原は疎遠になるが、日高は北原の家のそばにいつも来るようになる。そんな日高を北原は、犬のようだと言い、日高も自分は北原の飼い犬でいいという。北原は剣道部の先輩植松と付き合い始めるが、北原は、押し入れに日高を押し込めて、植松とSEXするところを見せたりして日高を責める。さらに足の指を舐めさせたり、無理難題をやらせたりするが、日高は文句も言わず北原に従うのだった。

 

北原はひとり河合温泉に行き、植松と日高を呼ぶ。そして滝を見せて、自分は植松と付き合い、植松のことが好きなのに、日高から心が離れられないと北原は叫び、さらに日高に滝から飛び降りて死んでくれと言う。日高はそれを実行するが、重傷を負った日高がベッドで目覚めると北原がそばにいた。

 

北原は、骨折して動きにくい日高にジュースを買ってこいなどと言うが、日高が戻ると北原はいなかった。近くの河原に座る北原の横に日高もやってくる。北原は、日高のギブスが取れたら、丸山も一緒に海に行こうと言う。こうして映画は終わる。

 

ちょっと危険な匂いのする物語ですが、淡々とした演出が、際どい一線を越えずに、不安定な思春期の高校生の心の揺れ動きをさりげなく描写していきます。傑作というレベルではありませんが、よくできた作品だったと思います。